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思い出のラトルの公演

1985年3月7日 フィルハーモニア管弦楽団 昭和女子大学人見記念講堂
指揮 サイモン・ラトル
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
ブリテン 青少年のための管弦楽入門
シベリウス 交響曲第2番


 ラトルがベルリンフィルのシェフになる前までは、バーミンガム市響の音楽監督だったことはみんな知っていますよね。日本にもこのコンビで何度かやって来ました。でも、思い出の公演として私が採り上げるのは、上記の公演。間違いないと思うが、これが初来日だ。ネヴィル・マリナーと一緒だった。

 そもそも何でこの公演に行ったのか、思い出せない。この時、私はラトルという指揮者を知らなかったはずだ。
 多分、ラトルというよりも、フィルハーモニア管弦楽団というオケを聴こうとしたんだと思う。だが、それならなぜ既にネームバリューのあったマリナーに行かなかったのだろう??我ながら不思議だ。


 舞台袖から登場してきて指揮者を見た瞬間、「な・・なんじゃこいつは??」と思ったことを今でもはっきり憶えている。人を見かけで判断してはいけないが、指揮者としては異端の長髪カーリーヘア。燕尾服の中の腹巻は真っ赤。
 指揮ぶりも眉をひそめた。腹巻きの色と同様に超派手。単にカッコつけてるとしか思えなかった。オケから出てきた音楽は、外見の割にはまあまあだと思ったが、それは伝統あるフィルハーモニア管がこの無鉄砲な若手指揮者をうまくいなし、諫めながら演奏していたからだろうと思った。

 公演が終わっての感想。

「おそらく今後、この指揮者の公演に行くことはもうないだろう。」(笑)


 今、若き日のラトルのことをこのように書きながら、一人の現代若手指揮者を思い出している。鋭い方はピンと来るだろう。そう、ヴェネズエラから彗星のごとく現れたグスタヴォ・デュダメルだ。
 デュダメルはまだ一度も聴いたこと無いけど、風貌といい、派手さといい、当時のラトルにそっくりだ。
 現在の私は決して見かけで判断しません。デュダメル、是非聴いてみたいですねー。

 話をラトルに戻しましょう。もう二度と行くまいと思ったラトルであったが、9年後の1994年バーミンガム市響の来日コンサートに行った。何で行ったかというと、真ん中のプログラム、プロコのピアノ協奏曲3番のソリストアルゲリッチだったから。完全にアルゲリッチ目当て。ただ、その頃はもう既にレコードやコンサート評論でラトルの評価がかなり高く確立されていたので、私も彼を色眼鏡で見ることなく、ちゃんと敬意を持って聴きました。

 そんなラトルが、まさか世界の頂点に立つとは!!やはり人を見かけで判断してはいけませんね(笑)。