クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

1997/9/14 ウィーン国立 サロメ

1997年9月14日   ウィーン国立歌劇場
R・シュトラウス   サロメ
指揮  シモーネ・ヤング
演出  ボレスラフ・バルローク
ヒルデガルド・ベーレンス(サロメ)、ベルント・ヴァイクル(ヨカナーン)、ヨーゼフ・ホップファーヴィーザー(ヘロデ)、ネリー・ボシュコヴァ(ヘロディアス)、トルステン・ケルル(ナラボート)    他


この公演を鑑賞するためにウィーンに来たのだ。
「ベーレンスの歌唱については一秒たりとも一音たりとも聴き逃さない」という確固たる決意を持って臨んだのだ。
そういうわけだから、私にとってこの作品の上演時間約1時間45分は、大げさかもしれないが、全身全霊を傾けた一世一代の勝負のような時間だったかもしれない。
(やっぱり大げさだが、その時は真剣にそう思ったわけさ。)

演奏開始から約5分でサロメが舞台に現れる。
その数秒前から、既に私は自分の視線を、舞台中央ではなく舞台の袖に移している。彼女が登場するその瞬間でさえ、絶対に見逃さない。見落とさない。瞬き一つだってしない。
この時私は、集中のため、全神経を研ぎ澄ませていたと思う。

女神が舞台に現れ、音楽が俄然ヒートアップし始めた。緊張で固くなっていた全身に、麗しの声が染み渡る。
繊細でありながら芳醇な歌唱。圧倒的でありながら優しい包容力に満ちた歌唱。
想い焦がれていた声が、今、目の前で鳴り響いている。これは夢なのか、それとも現実なのか。
まあ別にどっちでもいい。現実でなくてもいいし、夢であっても構わない。
どっちでもいいから、この至福の時間は終わらないでほしい。このまま永遠に続いてほしい。


この日、ベーレンスの存在だけを脳裏に刻むつもりで臨んでいたのに、実はもう一人、強烈なキャラクターがそこに割って入ってきた。
B・ヴァイクルのヨカナーンだ。
登場シーンからして、恐懼の極みだった。閉じ込められた牢から出てきた姿は、まるで墓から蘇ったゾンビだった。
威圧的でありながら、それでいてどこか畏敬の念を抱かせる懐の大きな歌唱。これぞヨカナーンの声。
迫るサロメ、そして拒むヨカナーン
二人の壮絶な応酬は、ぞっとするくらい凄く、この日の白眉だった。


1時間45分があっという間に経った。永遠に続いてほしいと願う身にとっては、あまりにも短い時間だった。
だが、息を止めて舞台に集中しなければならない時間としては、もしかしたらこれが限界だったかもしれない。

一通りのカーテンコールが終わり、客席の照明が点灯したが、拍手は依然として続いている。
私はNくんに声を掛けた。

「行こう!」

自席を立って離れると、そのまま1階席の最前列へ直行。オーケストラ・ピットの真ん前でポールポジションをゲットすると、そのままスタンディングでアプローズを続行した。最後の一人になるまで、その場で拍手を送り続ける覚悟だった。

鳴り止まない拍手に応えて、ベーレンスが再び登場した。
Nくんはここぞチャンスとばかりに無我夢中でシャッターを切る。
撮影禁止? そんなことはもちろん分かっているさ。でも、お願いだ、どうか我々の熱い思いに免じ、許してほしい。

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私はというと、ずっとずっと熱烈に拍手を続けながら、憧れのディーヴァの神々しい姿をこの目に焼き付けていた。

宴が終わると、我々は劇場の楽屋口に駆け付けた。
普段はサインをもらうために出待ちをしない。
だが、この日は特別だ。
私は公演ポスター(キャスト名入り)を劇場内のショップで購入していた。そのポスターに、大きくサインを書いてもらった。

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サインを書いてもらいながら、私は思い切って彼女に声を掛けた。
「I came here all the way from JAPAN just want to see your SALOME.」
私はあなたのサロメを聴くために、わざわざ日本からやって来ました。
彼女の返事は「Really? Thank you!」だった。

これがそのポスターの現物。

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私の自部屋に飾ってある。23年間、こうして部屋の壁にずっと掛かっている。
(私の自宅に遊びに来たことがある方なら、必ずや目にしているはずだ。)
で、これからも、一生、私の部屋を飾り続ける予定。
たとえ部屋の模様替えをしても、引っ越しをしても(その予定はないが)、下ろすつもりはない。
もし私が死んだら、棺の中にこのポスターを入れてほしい。どうか一つよろしく頼む。

1997/9/14 ブラチスラヴァ

日帰りでのブラチスラヴァ観光のために、日本でビザを取ったことについては、プロローグで書いた。
ベルリンの壁が崩壊し、東と西の冷戦構造が解消されたとはいえ、入国管理はまだまだ厳重。観光だけなのに審査がある。面倒くさいが、一方で、ちょっとエキサイティングな感じ。

ウィーンから電車で約1時間。国境を越えた付近で、電車は一時停止。制服を着た警察官と入国管理官が車内に入ってきた。
「キター!」
緊張する瞬間である。
彼らは乗車している客全員のパスポートを回収していった。どうやらその場ではなく、いったん集めた上で、別場所でチェックする方式のようだ。
こちらとしては、事前の手続きに抜かりはないし、そこで問題が起こることは決してないんだけど、「海外では命の次に大事」と言われるパスポートを黙って渡し、そのまま持っていかれてしまうのはチョー不安・・・。

現在スロバキアは、短期旅行でのビザが不要などころか、EUの一員として圏内の自由な往来が認められ、しかもユーロ統一通貨を使用している。東欧の痕跡は消失しつつある。
つまり、この時のような「見えない障壁」「審査されるドキドキ」はもう味わうことができないわけだ。

ブラチスラヴァ中央駅に到着。下車前にパスポートが無事に返還され、入国が許された。
よし、こうなればもうこっちの物だ。
さあ、それではスロバキアという国を探索してみよう。首都とはいえ、小ぢんまりした古都で、旧市街の散策だけなら徒歩で十分。

街のシンボル、ブラチスラヴァ城。

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旧市街からはそのそびえ立つ威容が望めるし、お城からは旧市街、ドナウ川、川向うの新市街を見下ろす景観が素晴らしい。
(川向うの新市街に無機質な団地が立ち並ぶ様は、なんとなく旧共産主義国っぽい。)

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街の中心、旧市庁舎前のフラヴネー広場は、人々の憩いの場。

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この像はユニークでユーモアがあって、市民や観光客に愛されていそうだね。

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スロバキア国立歌劇場。

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その劇場前で、掲示されている公演告知ポスターを発見。なんと、母国が産んだ偉大なスター・ソプラノ!! キャー♡

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凱旋公演というわけだねー。
しかも指揮はスロバキアを代表する名指揮者オンドレイ・レナルトではないか。新星日本交響楽団の首席指揮者だったこともあり、日本でもおなじみだ。

9月22日かぁ・・・。一週間後なんだな。聴きたかったよな。残念。
もっとも、日程がうまく重なったからといって、チケットが取れるかどうかはまったく別問題だが。

現在、ブラチスラヴァには、こちらの旧劇場と、近代的でよりキャパシティが大きい新劇場の二つがある。
残念ながら、私はまだ一度もブラチスラヴァでオペラを鑑賞したことがない。
一度行くチャンスがあったのだが、他国でもっと興味深い公演が見つかり、計画を変更してしまった。

考えてみれば、ブラチスラヴァはウィーンから気軽に行けるのだから、ウィーンでオペラを観て、ついでに足を延ばすことは決して難しくないはず。ならば、今後もきっとチャンスがあるだろう。

物価、相変わらず安いのかなあ・・・。
市電の一回乗車券、たしか30円くらいだったぜ。「昭和か?」って感じ。

まずはとにかくその前に、コロナの収束が先決だが・・・。

2020/9/18 N響

2020年9月18日   NHK交響楽団   東京芸術劇場
指揮  広上淳一
ウェーベルン  緩徐楽章(弦楽合奏版)
R・シュトラウス  歌劇「カプリッチョ」より前奏曲弦楽合奏版)、組曲「町人貴族」


コロナのおかげで、というと語弊があるが、密を避けるためのプログラム変更によって、逆に魅力的な作品を鑑賞するチャンスが幾つか生まれている。
東京シティ・フィル然り、読響然り。そしてこのN響

もっとも、これらはあくまでも私の個人的な嗜好に合致しただけなのだが。

主催側からしてみれば苦渋の決断による変更かもしれないが、私なんかは「むしろ、最初からこういうプログラムで行けよ」なんて思っちゃうわけである。

とはいえ、弦楽合奏作品だったり、小規模編成作品だったりは、やっぱり楽団員の出番の問題があって、積極的に組めない事情があるのだろう。
だから、最初に書いたとおり「コロナのおかげで」という言い方になるわけだ。
まあ、とりあえず何事も前向きに捉えようではないか。


ウェーベルンの緩徐楽章は、生で初めて聴いた。
元々は弦楽四重奏のための作品だが、弦楽合奏のしっとりとした響きがなんとも心地よい。
十二音技法で有名なウェーベルンだが、若かりし頃の習作のため、まだ和声がそれほど複雑でなく、マーラーの延長上として、とても聴きやすい。

続いてカプリッチョ
こちらも元々は弦楽六重奏で、シュトラウスのオペラとして慣れ親しんでいる作品だが、やはり弦楽合奏ならではの響きの美しさが際立つ。

そして、町人貴族。
N響の皆さんはさり気なく演奏しているが、個々のソリスティックな演奏技術の安定感がバツグン。何とも言えない優雅さに、思わず「さすが、上手い」と唸る。この作品はしっかりと手中に収めて上手に演奏しないと、しばしば退屈感を催してしまう。結構難しい曲なのだ。

指揮の広上さんのタクトは、いつものようにタクトだけでなく体全体を使った表現力がとてもユーモラス。
一見すると、音楽に合わせて躍っているだけのような感じだが、実は正反対で、あの動きで音符に生命感や躍動感を吹き込んでいるのだ。ヒューマニティ溢れる音楽が実に素晴らしい。


それにしても残念だったのは、客入り。ガラガラ。
これはもう、ソーシャルディスタンス確保のための座席配置の結果じゃなくて、単純に不入り。

プログラムの変更、指揮者の変更、会場・・・。
すべてが裏目に出ちゃったわけだね。あーあ。

私の個人的な嗜好との合致は、ライトなお客さんからは相容れられず、客席が埋まらないという厳然たる事実・・・。

演奏が良かっただけに、つくづく残念。

1997/9/13 ウィーン国立 トリスタンとイゾルデ

1997年9月13日   ウィーン国立歌劇場
ワーグナー  トリスタンとイゾルデ
指揮  ズービン・メータ
演出  アウグスト・エヴァーディング
ジョン・フレデリック・ウェスト(トリスタン)、ガブリエレ・シュナウト(イゾルデ)、ペーター・ローゼ(マルケ王)、ファルク・シュトルックマン(クルヴェナール)、マリヤーナ・リポヴシェク(ブランゲーネ)、ゴットフリート・ホルニック(メロート)    他


ベーレンスの「サロメ」を観るためにウィーンにやって来たわけだが、別にベーレンスの「イゾルデ」でも良かったんだよね。何なら連日で両方歌ってくれても良かったんだよね。

おっと、もちろんそんな無茶なこと、出来るわけがない。冗談さ。

この頃、ベーレンス、シュナウト、それからポラスキの3人が、最高のドラマチック・ソプラノとしてしのぎを削り、世界で大活躍していた。

だが、歌唱の特性は、三者三様。

シュナウトの声は非常に硬質で、金属的な輝き、眩さが持ち味だ。威力も半端なく、分厚いオーケストラの響きをいとも簡単に突き抜けるほど。ウルトラマンが放つスペシウム光線みたいな感じかな(笑)。
この日のイゾルデも、パワー全開で圧倒的だった。

シュトルックマンのクルヴェナールを聴けたのは、個人的にとても嬉しかった。
私が初めてシュトルックマンという歌手を知ったのは、ちょうどこの2年前くらい。
1994年バイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」上演を収録した映像(バレンボイム指揮、H・ミュラー演出)がテレビ放映され、それを観て、シュトルックマンの堂々としたクルヴェナールに感銘を受けたのだ。
ファルク・シュトルックマン・・・知らなかったけど、この歌手いいじゃないか!! その名をしかと覚えておこう。

そうやってマークしていたところ、ウィーンで聴けることとなった。しかもクルヴェナール。「やったー!」というわけ。
まさかその後、アンフォルタス、ヴォータン、ザックスなどのワーグナー諸役で不動の地位を築くほどまでに成長するとは思わなかったが。

トリスタンのJ・F・ウェスト。
シーズン・ラインナップが発表された時のトリスタン役の歌手から替わっていた。後から知ったのだが、その歌手は交通事故で死亡してしまい、代役でウェストが起用されたとのことだ。(名前は忘れた。サルバトーレ・リチートラじゃないからね)

私は彼が出演したオペラ公演をこれまでに4回聴いている。
なんと、全部「トリスタンとイゾルデ」である。
日本でも、2000年ベルリン・フィルの「ザルツブルクイースター音楽祭」来日公演、2001年バイエルン州立歌劇場来日公演で、トリスタンを歌っている。
つまり、ウェストと言えば「トリスタン」。トリスタン役で一世を風靡し、世界のあちこちで歌い、いわばスペシャリストというわけだ。
(御本人からすれば、「いやいや、それだけでメシ食ってたわけじゃないぜ」とおっしゃるかもしれないが)
トリスタンの上演にあたり、ウェストは貴重な“資源”として大いなる需要があったわけだが、要するに「他にいなかった」という深刻なヘルデンテノール不足の事情は、正直あったわけだよなー。


エヴァーディングの舞台は、1986年のウィーン国立歌劇場来日公演で披露された「トリスタンとイゾルデ」と同じ物だ。
私はこの頃まだオペラに関心がなかったため、来日公演に行っていない。(この時のトリスタン役には、しっかりとルネ・コロ様が入っていたっけ。)
特に第一幕の舞台が印象的で、よく覚えている。マストや帆によって形作られた写実的な船上の装置がとてもいい雰囲気で、すぐに物語に没頭することができた。
対照的に、第三幕は舞台上にほとんど何もない簡素な装置だったが、荒涼さを表現すると同時に、観客を音楽と歌唱に集中させて、作品を見事に完結させていたと思う。


それにしても、今あらためて思うのは、この頃のウィーンは、まだ脚本に忠実なオーソドックス演出がしっかりと基本になっていたなあ、ということ。
この時に観た4本「ドン・カルロ」「トリスタンとイゾルデ」「サロメ」「エフゲニー・オネーギン」は、いずれもオーソドックス演出だった。
時代は新たな局面を迎えつつあり、バイロイト音楽祭を始めとして、実験的要素を採り入れた読み替え演出が徐々に幅を利かせるようになっていた。
しかし、伝統を重んじるウィーンは、かなり頑な姿勢を保っていたと思う。
今でもウィーンは、どちらかと言えば保守的だ。観光客=初心者が売上げを支えている部分が少なくないからというのもあるのだろう。
それでも、徐々に少しずつ、そうした潮流を受け入れている。


最後に、メータについて。
この日の公演は、彼に捧げられていた。ウィーン国立歌劇場名誉会員の称号が授与され、その記念公演と銘打たれていたのだ。
だからというわけではないが、気合が漲った、力強い、推進力のある演奏だった。まるで、極太の筆に墨をたっぷり含ませて書き上げた達人の「書」のような出来栄えだったと記憶する。

終演後、ステージ上で即席の授与式が行われた。海外の劇場でこうしたシーンにお目にかかるのは珍しく、貴重な機会だったと思う。
メータはここで答礼のスピーチを披露したが、ドイツ語だったので、もちろん何を言ったのかは不明。
もっとも、こういう場で話す内容なんて、アカデミー・アワードと同様、ありきたりのはずだが。

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2020/9/13 東響

2020年9月13日   東京交響楽団 名曲全集   ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮  原田慶太楼
鐵百合奈(ピアノ)
スッペ  詩人と農夫序曲
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第0番
プロコフィエフ  交響曲第5番


どこのオーケストラも、客席だけでなく、ステージ上においても「密」を避けるために、当初に組んだプログラムを見直す作業を行っている。
そこで新たに何の曲をやるかについては悩みどころで、奏者の間隔を開けるため、結果として古典などの小編成作品や、弦楽合奏・管楽合奏作品を採り入れるなど、色々と御苦労されているようだ。

そんな中、今回東響は当初のプログラムを変更させることなく、そのまま、さりげなくしれーっと、比較的規模の大きい「プロ5」(三管編成)をやってのけた。

ステージ上にはフルオーケストラの面々。
先日の読響では、弦楽器奏者は二人でのプルトを組まず、間を開け、譜面台も一人一台だったのに、東響は通常どおり二人一組のプルト。管楽器との距離も特別に大きく取っているわけでもない。

やったじゃんか! 確信犯的? 堂々と先陣を切ったわけ? 勝負に出たわけか?

いやいや、いいと思うぜ。ホント。マジで。

コロナの感染って、人の口からの飛沫が問題なんでしょ?
オーケストラの場合、歌唱と違い、黙って演奏するわけで、飛沫を飛ばさないんだから。

もちろんエアロゾルの問題は完全に捨て切れないだろう。特に管楽器はね。
でもねえ。それを言ったら、我々の日常生活における電車の中、ビルや施設の中、職場、家、どうなのよ?って話。

プロコ、良かった。久々に聴いて感動した。いい曲だよなあ。大好き。


指揮者の原田氏。近年、日本国内で急速に知名度を上げ、今、乗りに乗っている若手指揮者。来年4月からは東響の正指揮者就任が決まっている。私は今回初めて聴いた。
(初めて聴いたと言えば、ベートーヴェンのP協「ゼロ」番は、びっくりしたなあ。)

とにかく活きが良くて、キレがあって、ダイナミック。
単に力を込めて振り回しているだけかと思ったが、頭の中でスコアを整然と鳴らしてる印象が伺える。
時に打楽器などを猛烈に叩かせて音量をマックスにさせていたが、あれは間違いなくわざとそうさせたんだろうな。なぜなら、指揮者って尋常じゃないくらい耳が良い人たちなので、出てくる音の総量とバランスに無頓着であるはずがないから。

ただ、個人的な好みで言えば、あの曲は爆発ではなく、爆発寸前の溜まったマグマの塊のような充満した響きの方がいい。これはあくまでも好みの問題。

でも良い良い。若いんだし、思い切り鳴らしちゃえ。世の中、コロナで鬱憤が溜まっているんだ。あれくらい鳴らせば、爽快ってもんだぜ。

1997/9/13 ウィーン2

ウィーン二日目。
最初に訪れたのは、ウィーンの定番観光スポット、シェーンブルン宮殿
私自身が既に何度も訪れていたとしても、ウィーン初めてのお連れ様がいらっしゃる場合は、必ずここに御案内する。そうしなければならない。それくらいの定番観光スポット、シェーンブルン宮殿

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続いて、セセッションと呼ばれるウィーン分離派会館。

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ここは、グスタフ・クリムト作の「ベートーヴェン・フリーズ」が常設展示されていることで有名だ。

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このベートーヴェン・フリーズ、昨年に開催されたクリムト展でレプリカが来日した。ご覧になった方もいらっしゃろう。私も当然行った。
さすがに本物は建物の壁に描かれているので持って来られないが、レプリカは本物と見紛うくらいに精巧だった。しかも近接で観られたのは大きい。現地では壁に描かれている分、高さがあり、遠い。

この作品、ベートーヴェン交響曲第9番、いわゆる「第9」をイメージして作られたことで知られる。
実際の絵を見ると、あの「第9」の曲想からは程遠く、イメージとのギャップが生じる。ウィーンで初出展された時の世評も芳しくなく、私も初めて見た時は「これのいったいどこが第9なの?」と戸惑ったものだ。

だが、今となっては、「さすがはクリムト、これぞクリムト」と感嘆することが出来る。
つまり、これは芸術家の際限のない想像力の賜物だ。

この想像力は、オペラの現代演出における欧州の演出家のイメージの膨らませ方によく似ていると思う。
見えたとおり、聞こえたとおりのイメージに当てはめるのではなく、そこからいかに飛躍させるか。そこに、いかに自分のオリジナリティを加えられるか。

つまり、我々はまさに鑑賞力を試されているようなものなのだ。


この後我々は、クリムトのコレクションとして世界最大級を誇るベルヴェデーレ宮殿上宮のオーストリア・ギャラリーを訪れ、まさにクリムトの世界、ウィーン世紀末における頽廃芸術の精美に触れたのであった。

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1997/9/12 ウィーン国立 ドン・カルロ

1997年9月12日   ウィーン国立歌劇場
ヴェルディ   ドン・カルロ
指揮  ミヒャエル・ハラス
演出  ジャン・ルイージ・ピッツィ
フェルッチョ・フルラネット(フィリッポ2世)、ニール・シコフ(カルロ)、カルロス・アルヴァレス(ロドリーゴ)、エリアーヌ・コエッリョ(エリザベッタ)、ヴィオレッタ・ウルマーナ(エボリ公女)、グレブ・ニコルスキー(宗教裁判長)    他


以前の記事に書いたとおり、初日のこの日に限り、立ち見鑑賞を決行した。
この立ち見席、ミラノ・スカラ座バイエルン州立歌劇場など、ウィーン以外でも設けている劇場はあるが、たいていは天井に近い上階エリアが普通である。
ここウィーンにおいて特筆すべきなのは、上階エリアだけでなく、平土間席の後方にも設置されていること。場所的には、客席全体の中でも、ある意味特等席と言える。
数メートル離れた場所に座っている人のチケット代はおよそ2万円。こっちは300円。学生など安く観たい人にとって、利用しない手はない。
しかも、立ち見用として割り当てられている総数は500以上。非常に多い。だから、一見さんのような観光客も、連日のように通っている地元の常連客も、常にたくさんの人たちが群がっている。

必ず当日に販売される、というのも大きい。
ネームバリューのある指揮者や歌手が登場するプレミエ公演だと、前売り券が早々に完売となり、入手難となることがある。そうした場合、最後のチャンスとして「立ち見席があるではないか」というのは、とてもありがたい。前売り券の入手は運にも左右されるが、立ち見席なら「頑張れば必ず観られる」というわけだ。

私は、本公演を含め、これまでに5回ほどウィーンで立ち見鑑賞している。
近年、歳を取るにつれて、立って鑑賞するのはしんどいと感じるようになったので、利用が遠のきつつあるが、上演時間が長くないオペラなら、いいかもしれない。
2時間くらいの作品で、しかも幕間休憩もしっかり2回ある「トスカ」とか「トゥーランドット」なんか、最適だね。

逆に言うと、長大なワーグナー作品を立ち見で観る人たちの根性は、すごいというか、信じられないというか、無謀というか(笑)。
でもね、幕が進むに従い、単なる観光客の一見さんたちが次々とドロップ・アウトしていき、エリアから人が減っていくという現象が起きるのだ。そして最後は猛者だけが残る。これはなかなか面白いね。
(※ 現在ウィーン国立歌劇場は、このコロナ禍においても9月から20-21年シーズンを開始させているが、三密エリアと言っても過言ではない立ち見席は、さすがにクローズにしているとのこと。)


立ち見の話が長くなってしまったが、本公演について話を戻そう。
出演キャストを見てほしい。錚々たる顔ぶれだ。

数々のヴェルディのオペラの中で、ドン・カルロほど「いい歌手が揃うかどうか」がカギになる作品はないのではないか。
フィリッポ2世、カルロ、ロドリーゴ、エリザベッタ、エボリ公女・・・それぞれが個性的な役柄で、音楽的にも聴き応えのあるアリアが散りばめられている。良い歌手が各々の持てる実力をフルに発揮した時、このオペラはキラキラと輝く。
で、そうした優秀な歌手を集めることが出来るのが、一流歌劇場の証。ウィーン国立歌劇場は、そういう意味でも世界のトップ歌劇場の面目躍如というわけだ。

シコフ、アルヴァレス、フルラネット。世界にその名を轟かせている彼ら。
その彼らを、私はこの時初めて聴いた。感激だったし、「さすが」と唸った。特にフルラネットは、フィリッポ2世歌いの第一人者として、やがて他の追従を許さなくなっていくのである。

だが、実を言うと、この公演で最も衝撃を受けたというか度肝を抜かれたのは、ウルマーナだった。
彼女については、当時、名前だけ聞いたことがあるといった程度だったが、本当に驚いた。ヘビー級王者のようなド迫力の歌声だった。

ウルマーナは、この頃から世界最高のメゾの一人として一気にスターダムにのし上がっていった。その破竹の勢いの瞬間をこの時目撃することが出来たのは、とても良かった。