クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2026/9/19 東響の「7つの封印の書」

2026年9月19日  東京交響楽団   サントリーホール
《創立80周年記念》
指揮  ロレンツォ・ヴィオッティ
合唱  東響コーラス
マキシミリアン・シュミット(テノール)、フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス)、クリスティーナ・ランツハマー(ソプラノ)、カトリオーナ・モリソン(メゾ・ソプラノ)、パトリック・グラール(テノール)、クレシミル・ストラジャナッツ(バス)、大木麻理(オルガン)
シュミット  オラトリオ 7つの封印の書

 

完売の公演である。
なんとまあ、びっくりだ。レアでマニアックな「7つの封印の書」が完売だなんて・・・。
これは、東響の創立80周年記念の御祝儀であると同時に、今年から音楽監督に就任し、始まったばかりだというのに早くも契約延長したL・ヴィオッティへの期待の表れであろう。
更には、期せずして演奏の機会と時期を共にすることとなったN響との実質的なコラボレーションが大きな話題となり、売上の貢献に結び付いたのも、厳然たる事実かと思う。

バッティングが判明した時は、もしかして事務局は一瞬青ざめ、心の中で「マズイな・・」と思ったのではあるまいか。
せっかくの記念公演だというのに注目が分散されてしまうのではないか、老舗であるN響の方にお客さんを奪われてしまうのではないか、辛辣な比較にさらされてしまうのではないか・・・。

でも、そんなことは杞憂だった。
上記のとおり、逆に話題になった。2つのオーケストラが揃って「一緒に盛り上げていきましょうよ」と機運を高めた。団員、合唱団の方々も、「負けられない。頑張るぞ!」と燃えた。
かくして、ボルテージは沸騰した。
いいじゃないか、最高じゃんか!!


N響のF・ルイージが「創立100年特別企画」で満を持してこの作品を取り上げたように、東響のL・ヴィオッティだって「創立80周年」「新音楽監督」として、この作品で渾身の勝負に打って出た。
なんでも、20歳の時(16年前)にウィーン楽友協会合唱団に所属し、アーノンクールの指揮でこの作品を歌ったことがあるのだとか。
この貴重な体験は、ある意味ヴィオッティの原点と言えるのかもしれないし、今回指揮をするにあたっての音楽的なベースになっているのかもしれない。
そんなことを想像するだけで、聴く側としてはワクワクするではないか!


だが、ヴィオッティ自身は、不思議なくらいに気負いや力みが無い。
今回に限らずだが、ヴィオッティのタクトはいつも繊細で、音を柔らかく包み込む。もちろん、力強い箇所ではダイナミックだが、決して肩肘張らない。
そんなヴィオッティらしい演奏が、サントリーホールの豊かな音響と合わさりながら、極上の音楽、超然の宇宙が形成された。
思わず比較してしまうことをお許しいただきたいが、印象としては、ルイージが作った音楽が教会の壮麗な装飾様式だとしたら、ヴィオッティは、同じ壮麗さを鮮やかな光とともに絵画に落とし込んだ筆使いのようだと感じた。(決して優劣や、好みによる良し悪しの問題ではないし、そのように片付けるつもりもない)


ソリストの歌唱も惚れ惚れするくらい優美。あたかも、この演奏のために、この作品のために、世界から連れてきたかのような人選。
話によると、M・シュミット、C・ランツハマー、C・モリソン、P・グラールの4人は、今年5月にハンブルクで開催されたNDRエルプ・フィル公演の「7つの封印の書」(指揮:M・ホーネック)に既に出演していたらしい。日本に来た時点で、もう出来上がっていたわけだね。


そして、極めつけが東響コーラスの暗譜斉唱!
別に、暗譜することが良いとは限らないし、必要性の議論は不毛だし、演奏の出来ではなく暗譜そのものに目を向けることは、まあどうかとは思う。
それでも、それだけ練習し、作品について深く学び、完璧になるまで身体に染み込ませた賜物ではないか。アマチュアとしての厳しい評価を下す人もいるかもしれないが、私なんかは十分なレベルだったと思うし、率直に良かった。

2026/9/15 読響

2026年9月15日  読売日本交響楽団   サントリーホール
指揮  ユライ・ヴァルチュハ
セルゲイ・ハチャトゥリアン(ヴァイオリン)
シベリウス  ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ  交響曲第10番

 

前回のN響のブログ記事で、2週続けての「7つの封印の書」公演のことを「祭」と書いたが、実は今月は私にとって「ショスタコ祭」でもある。
先日の日本フィルの7番、この日の読響の10番、月末のロンドン響の5番と、ショスタコーヴィチの交響曲を3回も鑑賞するからだ。タコ好きの私にとっては、実に楽しいイベント月間。


その前に、まずシベリウスのコンチェルト。
ソリストは、2000年シベリウス国際コンクールの覇者S・ハチャトゥリアン。
史上最年少で優勝した際には大きな話題になったが、あれからもう四半世紀も経ったんだね。
ちなみに、「作曲家のハチャトゥリアンとは親戚?」とよく言われているのではないかと思うが、実際は何の血縁関係も無いらしい。それでも、同郷・同名ということもあって、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は、セルゲイの十八番だ。
ただし、本人が弾きたいと思っているのか、単に招聘先からの「弾いて!」という求めに応じているだけなのかは分からん(笑)。

このシベ・コンにしても、コンクール優勝以来、いったい何回弾いているのだろうね?
おそらく数え切れないだろう。プロの宿命とはいえ、まことに恐れ入る。

金属的な音色を駆使した鋭角な演奏。テクニックも十分に備わっている。
ただし、どういうわけか、特段ぐっと来るような演奏ではなかった。本人の演奏内容によるものなのか、それともこの曲をすっかり聞き慣れてしまっている私の問題なのかは、不明。
上で「数え切れないくらい演奏している」と書いたからといって、「だから演奏にマンネリ化が見られる」などといった安易な結論付けは、するつもりはないが。


メインのヴァルチュハのタコ10。
私はこの指揮者のタクトの振り方について、毎度とても感心する。
指揮という行為には「表現」、「統制」、「進行管理」という3つの要素が含まれ、これこそが指揮者の役割だと思うのだが、ヴァルチュハはこれら全てを完璧なまでに実践しているのだ。
各パートでどういう音が鳴り、どういう演奏になっているか、どういう響きになっているかを掌握。
ただし掌握するだけではダメで、上の3要素を使って自分がどういう音楽を作り上げたいのかを的確に要求しなければならない。ヴァルチュハはそれがバッチリなのだ。要求を満たすためのバトンテクニックも万全。
まるで「このように振ればオーケストラは自分の思うとおりに演奏してくれる」という見本のように思える。

実際にはどうなのか、オーケストラ奏者の皆さんがどのように思っているのかは、もちろん分からないが、良い演奏に導かれているのは間違いないし、読響が彼を首席客演指揮者に選んだという事実からも、決して的外れではないと思う。

ショスタコーヴィチでは、無駄が省かれ、咆哮しても決して音が暴れず、キリッと引き締まった演奏が展開された。
「熱いけどクール」
音楽的に高揚してもコントロールは冷静という、これまたショスタコーヴィチ演奏の見本のような見事なアプローチだったと思う。やはりこの指揮者、只者ではない。

2026/9/13 N響の「7つの封印の書」

2026年9月13日  NHK交響楽団 A定期演奏会   NHkホール
《N響100年特別企画》
指揮  ファビオ・ルイージ
合唱  新国立劇場合唱団
ミヒャエル・ラウレンツ(テノール)、ダーヴィド・シュテフェンス(バス)、迫田美帆(ソプラノ)、藤井麻美(メゾ・ソプラノ)、伊藤達人(テノール)、加藤宏隆(バス)、新山恵理(オルガン)
シュミット  オラトリオ 7つの封印の書

 

今年の日本クラシック界で最大の話題(ホントかよ?)、「7つの封印の書」祭。まずは第一夜、N響定期公演。100周年特別企画から。
それにしても、この珍しい作品が、日本の2つのオーケストラによって、2週に渡り連続上演されるとは・・なんという偶然であろうか。
N響芸術主幹の西川さんというお方が「惑星直列並みの珍事」と称したらしいが、確かに!
日本のみならず国際的にも類を見ない出来事であろう。今、世界の楽壇がトーキョーに熱い視線を注いでいるのだ!!(ホントかよ?)

ただし、N響がこの作品を取り上げることについては、なんとなく予感があった。記念すべきN響定期2000回目のプログラムを決める際、ルイージが「3つの候補のうちの1つ」として挙げていたのだ。
実際はファン投票だったため、マーラー8番という無難な(?)選定に落ち着いたが、私は「残りの候補曲2つをこのまま引っ込めることはないだろう。いつかやるだろう」と睨んでいた。「やっぱりな」という感じである。

ルイージがこの作品に対し特別な思いを寄せていることは、間違いない。
YouTubeで検索すれば、彼の指揮によるダラス交響楽団とデンマーク王立管弦楽団の2つのオーケストラでのライブ映像が見つかる。こうして既に手中に収め、得意にしている曲というわけだ。
絶対に自負していると思う。「この曲の指揮の第一人者はオレだぜ」とね(笑)。


そのルイージの自信が見事に開花したパーフェクトな演奏だ。
全体の緻密な構成力に感嘆する。正確で純度が高く、一分の隙もない。合唱も含めた大編成でりながら、歌唱のソロを含め、あらゆるパートが絶妙の均衡を保ち、荘厳なオラトリオが完成している。

これは、N響奏者の皆さん、そして新国立劇場合唱団の皆さん、かなり入念に準備されたのだなあと思った。指揮者がやってきて最初にポンと振った時点で、おそらく音楽はもうほとんど出来上がっていたのではないか。ルイージからしてみれば、相当やりやすかったはずだ。あとは調整と仕上げさえすれば良かったのだから。(いや推測だけど)


もう一つ、個人的に感慨深かったのは、おそらく日本人にとって取扱いが難しいとされる聖書の題材、神からの預言といった宗教的神秘性が、強い説得力をもって迫ってきて、それをしっかりと受け止めることが出来たことだ。
これは、指揮者によるテキストへの深い洞察ということももちろんあろうが、分かりやすい字幕の貢献も大きかったと思う。
おかげで、改めてオラトリオの位置付けについて学ぶことが出来たし、現代の不穏な世界情勢に対する警告として捉えながら、今に生きることの意味を見つめ直す機会を得ることも出来た。人はなぜ神に祈ろうとするのか、何だか少しだけ分かった気がした。
(少しだけ。気のせいかも)


ソリストの中では、やはりというか、ヨハネ役のM・ラウレンツが強烈な印象を残す。
ほぼ出ずっぱりで進行を牽引し、音楽のレールを敷設。バッハの受難曲のエヴァンゲリオン役よりも節回しにアクを強め、世俗的なキャラクターを打ち出していたが、これはきっと意識的にやっていたと思う。
どこかで見たことがある名、聴いたことがある声だと思ったら、一昨年のウィーン国立歌劇場で鑑賞したワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にダーヴィッド役で出演していた。「あー、あの人だったか」と思い出した。


さてさて、お次は今週末に東響だ。
12日の一日目公演には、東響で指揮するヴィオッティさんもNHKホールに来てたらしいではないか。
どんな顔して聴いていたのかねえ。
「なるほど~、そうやるのねー、でもオレは違うけどねー」みたいにニヤニヤしながら聴いていたかな?(笑)。

2026/9/11 日本フィル

2026年9月11日  日本フィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮  カーチュン・ウォン
ショスタコーヴィチ  交響曲第7番 レニングラード

 

当初に発表された予定指揮者は、このオケの桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフだった。
そのラザレフの来日中止理由、いちおう日本フィルの発表によれば「ご家族に健康上の懸念が生じたため」というが・・・本当かねぇ?
(公演の8か月も前に、その理由で降板しますかねぇ・・)

ロシアによるウクライナ侵攻があり、一時、世界的にロシア人の締め出しが行われた。そうした中でも日本フィルは、国家と個人を切り分け、何度か招聘の機会を伺ったが、いずれも叶わなかった。その延長上で「今回もやっぱり」というのが、何となく筋として理解しやすい。そう感じているのは、きっと私だけではないはず。
(大きな声では言えないが、何にしても「健康上の理由」という言い訳が世の中で一番通用しやすい。これ、紛れもない事実ね)

真実はさておき、いずれにしても残念である。別にゲルギエフが来日出来なくても悲しくも何ともないが、ラザレフは悲しい。私は純粋にラザレフの指揮による演奏が好きだったからだ。

幸いなことに、今回は日本フィルの首席指揮者がピンチヒッターを務めてくれた。プログラムを変更せず、同じ曲を振ってくれた。
私自身は、おそらく誰が指揮者であろうと、このコンサートに行ったであろう。この作品が好きだからだ。
そうしたところ、首席指揮者が振ってくれることになった。それならそれで、十分だ。


そのカーチュンのタコ7。印象としては、事前の想像と違い、若干意表を突かれた感じである。

もっと熱情を帯びた、激しい演奏になるかと思った。作品が書かれた戦時下の情勢描写を強調して、混沌、狂躁、凶暴を創出するかと思った。
実際は、非常に統制が取れた沈着冷静な演奏だった。これは実に興味深い。

例えば、カーチュンの得意なマーラーであれば、作品の深層に自ら率先してのめり込む主観的な演奏を繰り広げることが多い。ところが、今回のショスタコはどこか客観的で、俯瞰的アプローチに見えた。

あくまでも推測だが、もしかしたらショスタコーヴィチ特有の内在二面性に注意を払った結果なのかもしれない。
配布されたプログラムの中の解説で、山本明尚氏が「表向きの明快さの裏に別の声を潜ませている」と言及していたが、まさにカーチュンはそうした部分を慎重に探っていたのではあるまいか。「こっちかもしれないし、あるいはこっちかもしれない」みたいな。何となくだが。

一方で、そうすることで指揮者が音楽を語るというより、「作品が自ずと語りだす」という成果が導き出された。そこまでカーチュンが狙っていたとしたら、これはもう「さすが」と唸るしかない。


普段、「優劣を付けるかのような演奏の単純比較に意味はない」と言っている自分である。
別にその持論を撤回するわけではないが、「もし、ラザレフの演奏と並べて比較したら、その対比がめちゃくちゃ面白かっただろうな」と思った。

改めて、今、ロシアの中枢に位置する指揮者によるコテコテのショスタコーヴィチを聴いてみたい衝動に駆られる。
まだまだタイミング的には難しいと理解しつつ。
来月、ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団が、上海にてショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会をやるというニュースを目にした時、心の中で「ううぅ・・聴きてぇ~、行きてぇ~・・」と思ってしまったが・・・いかんいかん。ダメダメ。

2026/9/7 カルテット・エーレン

2026年9月7日  カルテット・エーレン   浜離宮朝日ホール
戸澤采紀(ヴァイオリン)、戸原直(ヴァイオリン)、島方瞭(ヴィオラ)、佐藤春真(チェロ)
ラヴェル  弦楽四重奏曲
ベートーヴェン  弦楽四重奏曲第13番  大フーガ付

 

チェリストの佐藤春真氏が中心となり、昨秋に旗揚げしたというカルテット。今回は第2回の定期演奏会だそうだ。
メンバーはドイツに留学したり、ドイツに拠点を置いていたり、ドイツ開催のコンクールで好成績を収めたり、といった「ドイツ」繋がりがあるのだとか。

私自身は結成してまだ1年のこのカルテットについて、よく知らなかった。2か月くらい前のコンサート会場で配られていた本公演のチラシを手に取り、そこで初めて知った。
行こうと思った動機は、単純にプログラム・演奏曲目に惹かれたからである。
だが、既にそれぞれ活躍中のメンバーの名前とプロフィールを眺めれば、若手連中でありながらも皆優秀で、今後更なる飛躍の可能性を秘めた英才集団であることが容易に想像できる。そういうことで、楽しみにしていた公演であった。


演奏は鮮烈を極め、鋭く、躍動的で、素晴らしかった。各自の能力や音楽性を存分に発揮しつつ、きちんとまとまって、見事なアンサンブルを形成した。

ありきたりに言うと、息がぴったり。
もう少し音楽的な感想で言うと、目指している方向性や全体の完成形が全員で共有され、徹底されているため、奏法や音色まで統一されている。リハや練習の段階で細かく合わせを図った結果なのか、それとも各自が瞬時に音を感じ、何も言わなくても揃っていくのか、そこら辺の極意は分からないが、いずれにしてもこれこそが室内楽の醍醐味だよなと思った。


ところで、この日の前半、ラヴェルの第4楽章の途中で、チェロの佐藤さんの弦が切れてしまうというハプニングが発生した。演奏は中断。しばし休憩となり、佐藤さんは退出。弦を交換して再入場し、もう一度第4楽章を演奏し直した。

実は、本当に偶然というか、ウソみたいなタイミングでびっくりしたのだが、このハプニングの直前、私は先日に鑑賞したサイトウキネン・オーケストラ公演の演奏中にコンマスの弦が切れたことをふと思い出していたのであった。
「大オーケストラの場合だと、奏者間で楽器交換リレーを行いつつ、演奏をそのまま続行させるが、さすがにこういう少人数アンサンブルだと、そういうわけにはいかんよなー」なんて考えていたら・・・まさにその時・・・。

そんなことってあるのか!?
オレって超能力があるのか!?(笑)
断っておきますが、誰かの弦が切れることを期待していたわけでは決してありませんからね。


最後に、彼らメンバーの今後の動向について、個人的に戸澤采紀さんには注目していきたい。コンクールにおいて多数の入賞歴を持ちつつ、現在ベルリン芸術大学修士課程に在学中、なおかつカラヤン・アカデミー在籍中。
もしかして、もしかしたら、ベルリン・フィル入団も密かに狙ってる??
あるいは、日本国内も含め、どこかのオケでコンサート・ミストレスを狙ってる??
お父さんは、東京シティ・フィルの現コンマスである戸澤哲夫さん。きっとオケのトップ奏者としてのDNAがしっかりと引き継がれているよね!?(笑)

座席選びの大失敗

東京二期会公演ヴェルディ「運命の力」を鑑賞するため、新国立劇場に足を運んだ。
幕が開き、上演が始まった途端、私は思わず絶句してしまった。自分の席から、ステージの右半分がほぼ見えなかったのだ。

具体的な位置、座席番号を正直に白状する。4階R3列3番だ。この3番というのは、壁に面した一番右側の席。カテゴリーで言うとD席。いわゆる最低ランクの席ね。

もちろん、そういう席を買った自分に責任がある。文句は言えない。文句があるのなら、ちゃんと最初からステージが見える場所、価格ランクを上げてでも良い席を選ぶべきだ。

迂闊だった。
新国立の座席にステージが見にくいエリアがあることは知っていた。だから、普段新国立劇場の主催公演を観に行く際には、最低ランクの席を買うことはまずない。ステージが見える位置をきちんと気にした上で、席を選び、購入している。

今回、二期会公演ということで、油断した。
東京二期会は、これまでの上演では東京文化会館を主会場として使っていた。東京文化会館も場所によってステージの端が見切れてしまうようなエリアがあるが、それほど酷いわけではない。
その文化会館は現在改修工事中で閉館しており、このため代替として新国立劇場に移っていた。どっちにしても自分は二期会公演に高いお金を投じるつもりはなく、安い席で十分と思っていて、実際、東京文化会館では安い席でも特段の不満を抱いたことがなかったため、今回の新国立でも席位置を深く考えず、安カテゴリー席を選んでしまったのであった。


序曲の演奏が終わり、幕が開くと、ステージの右半分に舞台装置としてのベッドが置かれていて、そのベッドの周辺でカラトラーヴァ公爵、レオノーラ、ドン・アルヴァーロ、クッラの4人の役が歌い演じていた。
つまり、声は聴こえるが、私の席から彼らの姿はまったく見えなかった。私は、誰もおらず、舞台装置も何も置かれていないステージ左側のぽっかりとした空間を、ただボケーッと見つめていた。

第1幕第1場が終わり、パラパラと拍手が起こって、次の場面に転換する直前、徐ろに席を立ち、ドアを開けてロビーに退出した。このまま鑑賞を続けることが耐えられなかったからだ。
時間にして、序曲演奏を含めても約30分。あっという間の退散劇であった。

もしかしたら、場面転換によって、あるいは歌手たちの立ち位置の変化によって、見える場面が生じたかもしれない。
だとしても、「見えたり見えなかったり・・」の状態に置かれっぱなしは、フラストレーションが溜まるだけだった。

元々、今回の公演で私が楽しみにしていたのはプロダクション、演出である。
二期会ファンの方々、それから関係者、出演者の方々には本当に申し訳ないが、私は二期会の同好会的体質が好きではない。仲間内の発表会的な演奏会が好きではない。なので、出演歌手についてほとんど期待しておらず、注目もしていない。
その一方、今回のプロダクションはボン歌劇場とウェルシュ・ナショナル・オペラの提携によるもので、しかも演出家D・パウントニーをきちんと来日させた上で、同氏が改めて演出を施し、演技指導を行って制作している。

であるならば、私の主な視点は、自ずと「舞台上で何が起きているのか」「それによって何が語られるのか」といった事に注がれる。

その探索が叶わない以上、そこにいる意味は無かった。その場に居座るのは時間の無駄だった。はいさようなら。
チケット代は無駄になってしまったが、さほどの後悔はない。「安チケットだったし、所詮は二期会公演だし、な」という納得感が勝った。


欧州における馬蹄形の歌劇場、シューズボックス・タイプのコンサートホールを思い出した。
こうした劇場やホールでも、真横側の席は視界が不良となる。
過去に、いったん退場し、改めてチケットを買い直して再入場したことがあった。
あるいは、わざわざカテゴリーランクの低い立見席にそそくさと移動して、視界を確保しながら鑑賞を続けたことがあった。
そんな過去の事を思い出しながら、帰路についた。

2026/8/31 R・フリードリヒ トランペット・リサイタル(草津音楽アカデミー&フェスティバル)

前日のOMF(サイトウ・キネン・オーケストラ)公演の後は、日帰りにせずに松本に宿泊。翌日に軽井沢に移動し、草津音楽アカデミー&フェスティバルの軽井沢出張公演へ。
午後3時開演だったが、早めに到着したので、旧軽井沢銀座通りと呼ばれる界隈をぶらぶらと散歩した。
さすが人気観光スポットなだけあって、平日だというのにたくさんの観光客で賑わっている。
で、ちょっとおしゃれで評判のレストランは、どこもズラッと行列が・・・。

すごいなあ・・。
あっしは食事のために行列に並ぶのが苦手。というか嫌い。
そりゃまあ、きっと美味しいんだろうし雰囲気も良いんだろうけどさ、なんつーか、「人気・評判のお店に行きました!」という自己満作りのために頑張ってる感が見て取れて、つい心の中で「ご苦労さま」と思ってしまうわけであった。やれやれ。


さ、そうこうしているうちに、開演時刻が迫ってきた。それでは会場の軽井沢大賀ホールに行くとしましょう。何を隠そう、ここのホールは初見参だ。


2026年8月31日  ラインホルト・フリードリヒ トランペット・リサイタル  軽井沢大賀ホール
《第46回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル》
-Three Mountains Project Vol.3- 乾杯コンサート in 軽井沢
ラインホルト・フリードリヒ(トランペット)、竹沢絵里子(ピアノ)、カーリン・アダム(ヴァイオリン)、トーマス・インデアミューレ(オーボエ)、ザビエル・ラック(フルート)、クラウディオ・ブリツィ(チェンバロ)、草津フェスティバル弦楽合奏団
F・トーメ  トランペットとピアノのための幻想曲
ラヴェル  ハバネラ形式による小品
トレッリ  トランペット協奏曲「エスティエンヌ・ロジェ 188」
バッハ  ブランデンブルク協奏曲第2番       他

 

毎年、温泉地:草津で開催されている老舗の音楽祭だが、その草津を離れ、別会場に移動して公演を開催するのは、今年が初めてだそうだ。
なんでも新たにアーティスティック・アドバイザーに就任したミヒャエル・ヘフリガー(名テノール:エルンスト・ヘフリガーの御子息)の肝煎りプロジェクトだそう。
ちなみに、この日は今年の草津音楽祭の閉幕公演であったが、実質的開幕となるプレ公演が8月16日、群馬県高崎市の高崎芸術劇場で行われた。その高崎近郊にある榛名山、草津にある白根山、そして軽井沢近郊にある浅間山の三名山を音楽で繋ぐというコンセプトで、「Three Mountains Project」と銘打っているとのこと。

はい、宜しいんじゃないでしょうか(笑)。
広域化を図り、裾野を広げつつ、認知度と集客力をアップさせようというわけだね。
そのおかげで私も初めて大賀ホールを訪ねることが出来たわけだし、ね。
(あのソニーの元社長・名誉会長にして、カラヤンの数少ない(?)親友の一人だった大賀典雄さん(故人)が私財を投入して建てたホール。開館の際は、随分と話題になったよなー)

もっとも、「軽井沢大賀ホールは初めてだから」「ちょうど松本フェスティバルのついでだから」という理由だけで、本公演に足を運んだわけではない。
偉大なるトランペッター、大御所ラインホルト・フリードリヒのリサイタル。
これ。これなら、わざわざ乗り換え、軽井沢で途中下車する価値がある。


フリードリヒの名を知ったのは、クラウディオ・アバド指揮によるルツェルン祝祭管弦楽団の演奏会。
ルツェルン祝祭といえば、綺羅星の世界的名手たちがアバドを慕って集結し、創設されたオールスター軍団。そのメンバーの中に、彼はいた。Tpの首席奏者として。

あれから年月が経ち、今、御年68歳。さすがに多少の技術的な衰えが見えてしまうかなと思ったが、いやいや、美しく輝かしい音色はまだまだ健在だった。
私もねえ、大昔のことだが中学・高校の時はブラスバンドでラッパを吹いていたのよ。いちおうトランペッターの端くれだったので、この楽器を扱う難しさ、フリードリヒの音の凄さ、あのレベルに到達するまでの道のりの大変さは、身にしみて分かる。だから、感心しかないのである。


本公演はリサイタル形式ではあったが、トランペットの場合、ぶっ通しで吹き続けることが出来ないので、合間にピアノ・ソロ曲や、古楽式弦楽合奏、オーボエとチェンバロのコンチェルト等を挟む。
それによってプログラム構成が豊かに広がる演出効果が現れ、更には音楽アカデミーっぽい様態まで創出して、バラエティに富んだ楽しい演奏会になった。
(開演前には、草津フェスティバル名物、アルペンホルンの演奏がホールに鳴り響いた)

あー、こういうコンサートを聴けるのなら、来年以降も松本&軽井沢のセットで足を運んでもいいな、ぜひともまた来たいな、と思った。

あとは、せっかく信州に出かけているのだから、足を伸ばしてトレッキングやハイキングとかも、きっといいよね。天気次第だけどね。