クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2025/7/13 ディドとエネアス/期待

2025年7月13日  バイエルン州立歌劇場(ミュンヘン・オペラ・フェスティバル)2
1 パーセル   ディドとエネアス
2 シェーンベルク  期待
指揮  ヴァレンティン・ウリューピン
演出  クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

ソニア・ヨンチェヴァ(ディド)、ギュンター・パペンデル(エネアス)、エリカ・バイコフ(ベリンダ)、ジョン・ホリデー(魔法使い)    他

サラ・ヤクビアク(女)

 

2日続けてのダブルビル公演。
ただし、前日の「カヴァ・パリ」は相性が良いお馴染みのカップリングだが、この日の曲の組み合わせはいったい何!? 何をどう考えたらこの組み合わせが成立するわけ?
音楽も物語も作曲された時代も全然違う。片やバロック、片や近現代音楽。共通項が見当たらない。
要するに「正反対の物を組み合わせ、ぶつけて、そこから何が生まれるか」みたいな実験ということか。

演出家ヴァルリコフスキは、現代演出の急先鋒。名前の発音と同じくらい難解な舞台を作って、毎回お客さんを悩ませるのが得意。クラウス・グート、ディミートリ・チェルニャコフと並び、世界三大「困ったちゃん」演出家(笑)。

まず、2つの作品を連続した一つの物語と捉え、インターミッション(途中休憩)も入れずに続けて上演される。しかし、案の定というか、その筋立てはよく分からない。
マフィアなのかギャングなのか、それともただのグレた若者なのか、とにかくそういう連中による森の中のアジトで物語は展開。銃を持ち、仲間を殺したりして、なんだか1970年代の連合赤軍による浅間山荘事件みたいな雰囲気。
(もうこの事件のことを知らない人が大多数なんだろうな)

演出の意図を理解したいが、自分の乏しい知識と想像だけではダメなので、ここはもう考えるのをやめ、ボーっと展開を眺めながら音楽を聞く。


このプロダクションは2022年にプレミエ上演された物の再演だが、初演時はソプラノのA・シュトゥンディーテが両作品に登場し、主役を一人でこなした。
実は今回も当初はS・ヨンチェヴァが両役の出演を引き受けていた。ところが、1か月前になって「期待」の方を降板。「ディド」のみの出演に変更された。
やっぱり両方は難しいんだろうなー。全然違う役だもんな。初演時のシュトゥンディーテは、よくやったよ。


そのディド役のヨンチェヴァが、深く染み入る歌唱。きちんとバロックを意識し、ベルカント風の抑揚を削ぎ落として、端正で規律正しい歌い方に徹しているのが素晴らしい。いい歌手だな、ヨンチェヴァ。

一方のヤクビアクは、シェーンベルクの難解な音符を忠実に再現させる的確な歌唱で、一歩も引かない。元々モノローグの一人舞台なので、集中力が研ぎ澄まされ、音楽の凝縮感がハンパない。
ということで、二人とも圧倒的な出来栄えだ。拍手を送ろうではないか。


上で「途中休憩を入れずに連続上演」と書いたが、パーセルシェーンベルクではピット内のオーケストラ編成、必要な奏者の人数がまったく異なる。いったいどのように対処するのだろうと注視していたら、なんと、ピット内の入替作業をしている間、舞台上では若者ダンサーによるブレイキン(ブレイクダンス)で場を繋ぐという荒業(笑)。


二作共にポピュラーな曲ではないし、更に、初演時の「難解で、よく分からないプロダクション」という評判の噂がおそらく響いたのであろう、客入りは無惨なガラガラ状態。よくまあ再演したな、こりゃ。

バイエルン州立歌劇場って立ち見席があるんだけど、立ち見席を買ったお客さんがこれ幸いとばかりに、空いている席に一斉に移動。場内係員もお咎め無し。これはワロタ。途中休憩もないから、上演が始まってしまえば、もうこっちのものってわけ。
ということで、皆さん無事にゆったりと鑑賞出来たみたいで、良かったね(笑)。

2025/7/13 ミュンヘン2

ミュンヘン二日目。この日はシュタルンベルク湖を訪れた。
ミュンヘンの南南西30キロくらいに位置する郊外のリゾート湖。ミュンヘンっ子たちは気候が良くなると家族や仲間とやってきて、遊覧船やヨット、ボートに乗ったり、湖岸を散歩したりサイクリングしたりしながら、のんびりと過ごす。

また、この湖はバイエルン国王ルートヴィヒ2世が謎の死を遂げた場所としても有名。東岸のベルクという地区には王が幽閉された塔や亡くなった場所を示す十字架があって、歴史ファンの密かな巡礼地にもなっている。
私も以前に行ったことがあるが、遊覧船からの眺めでなく陸地から行こうとすると、なかなか道が分かりにくい。ただし、今なら、スマホの地図アプリやナビを利用すれば簡単かもしれないね。


今回私が訪れたのは、西岸にある小さな薔薇島Roseninsel。シュタルンベルク湖で唯一の島。かつてバイエルン王家の別荘があり、ルートヴィヒ2世や皇妃エリザベートが滞在し、ワーグナーも招かれたことがあるとのこと。

ミュンヘン中央駅から最寄りの駅Feldafingまで約30分。湖岸まで歩いて約15分。(スマホのマップによるナビがあると絶対に助かる)

島までは渡し船が出ている。往復5ユーロ。

本当に小さな島で、ゆっくりと歩いてもすぐに島内を1周してしまう。ベンチに座って、遠くのアルプスやのどかな湖畔の景色、ボートやヨット、水鳥などを眺めながら、のんびりボケボケと過ごすのが良い。ていうか、それしかない(笑)。

名前のとおり島内にバラ園と呼ばれる庭園があるが、まあそれほど大したものではないな。

 

2025/7/12 カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師

2025年7月12日  バイエルン州立歌劇場(ミュンヘン・オペラ・フェスティバル)1
1 カヴァレリア・ルスティカーナ
2 道化師
指揮  ダニエレ・カッレガーリ
演出  フランチェスコ・ミケーリ

アンナ・ピロッツィ(サントゥッツァ)、リハブ・シャイエブ(ローラ)、ジョナタン・テテルマン(トゥリッドゥ)、ヴォルフガング・コッホ(アルフィオ)、ロザリンド・プロウライト(ルチア)

ヨナス・カウフマンカニオ)、アイリーン・ペレス(ネッダ)、ヴォルフガング・コッホ(トニオ)、グラニト・ムスリュー(ペッペ)、アンジェイ・フィロンツィク(シルヴィオ

 

毎年6月末から7月末、バイエルン州立歌劇場の年間シーズンの最後を飾っているのが、「ミュンヘン・オペラ・フェスティバル」。なんと、今年で150回目を迎えるのだという。
150年・・ものすごい伝統であるな。フェスティバル開幕の前日である6月26日には、記念式典が行われたとのこと。

そのバイエルン州立歌劇場のチケット入手は、コロナ禍以降ちょっと落ち着いてきている。
以前はソールドアウト公演が続出で難易度が高かったが、今はそれほどでもなくて、慌てなくても大抵の公演で普通に購入することが出来る。(※注目公演を除く)

・・・が、本公演に関しては注意が必要だった。
というのも、ミュンヘン生まれの大人気テノール歌手J・カウフマンが出演するからだ。いわゆる注目公演。この歌手が出演するだけでチケットは売れるし、しかも価格も上がる。
このため、今回のミュンヘンで鑑賞する5公演のうち本公演だけ、第一次抽選予約で申し込んだ。「申し込んだが、取れなかった」は嫌なので、希望席種の範囲を最高カテゴリー(S席)を含めて広く設定した。
そうしたら、見事(!?)その一番高いカテゴリー席が当たってしまった。
約4万円。高っ!

結果的には、一般発売からでも、もう少し安いカテゴリー席が十分余裕で買えたのである。ちょっと読みが外れ、失敗した。
まあ、あくまでも結果論なのだけど・・。

カウフマン人気も、少しは冷めてきたか? ええこっちゃ。


さて、本プロダクションは、今年5月に新演出プレミエ上演されたばかりのほやほや再演版。初演時の指揮者はD・ルスティオーニ。演出家は、調べてみたら、2013年ヴェネチアフェニーチェ劇場の来日公演、ヴェルディオテロ」を演出していた人であることが判明。天体の星座が描かれた舞台装置が印象的だったことを思い出した。

演出の解釈として、時間の経過や場所の移動といったものを、テーマというか軸に置いている模様。
「カヴァレリア」でいうとトゥリッドゥ、「道化師」でいうとカニオをアウトローの旅人に見立て、彼らは事件を起こしたらそこから追われ、また去っていく。そのための小道具・装置として電車の車両を登場させ、2つの物語を紡いでいく、そんな感じ。
例えば「道化師」では芸人一座ではなくバー&レストランのシェフや店員といった具合に、読替えによって微妙に設定が置き換わっているが、演出家によるテーマ一貫性のために無理やりそうなっているだけなので、あまり詮索せずに展開をあるがままに眺めた方が、受入れが容易だろう。

また、こうしたよく判らない現代演出では、とにかく難しく考えずに歌手など演奏の出来栄えに集中するやり方が無難と思う。
今回では、テテルマン、コッホ、カウフマンといった男性歌手陣が素晴らしい歌声を披露して聴衆を熱狂させた。特にテテルマンが圧巻で、まさに「スター誕生!」みたいな輝きだった。


指揮のD・カッレガーリは、元々の指揮者だったA・バッティストーニの降板による代役。
変更の発表があったのは7月7日で、同演目公演の初日が7月9日だったから、まさに緊急登板。バッティからすると、いわゆる一つのドタキャン。
一体どうした? 何があった? バッティストーニ。
歌手の場合だと喉の不調というのはよくある話だが・・。もしかして、演出や歌手とぶつかってしまい、「こんなんじゃ振れねえよ」と怒って帰っちゃったとか?

カッレガーリはイタリア・オペラの職人指揮者なので、急な代役でも振るだけなら楽勝だろう。どこまで自分の音楽を作ったのかはよく分からなかったが、十分に音楽が鳴っていたとは思った。


最後に、公演の内容ではないけど、バイエルン州立歌劇場におけるお客さんのチケット所持について。

近年、ほとんどの劇場やコンサート主催者がバーコード・QRコード付きのデジタルチケットを採用。チケットをオンライン購入すると、即座にメールでPDFファイルチケットが送られてきたり、リンクによるダウンロードが案内されたりする。そうやって受け取ったEチケットをスマホ画面で提示すれば、入場が可能だ。
なので、私も基本的にモバイル派なわけだが、ここバイエルンの場合、面白いことに、お客さん(※)のほとんどが紙チケットを持参して劇場にやってくる。
ここでいう紙チケットとは、客自身がEチケをプリントアウトした物もそうだが、劇場側が発券した通常チケットを持っている人がかなり多い。両方を足して、全体の8割くらいのお客さんが紙チケット派だ。

どういうことかというと、要するにお客さんの年齢層が非常に高いということ。デジタル化になかなか付いていけない方々。
あるいは、「チケットの所持」そのものが一つのステータスで、黄金の入場券を持参して劇場に通うことに誇りを持っているハイソサエティ連中。
通常、劇場発券の紙チケットは送料などの手数料がかかる仕組みになっているので、余計な費用としてなるべく避けたいところだが、ハイソ連中はまったく意に介さないわけですな。手数料なんて所詮ははした金。なんたってハイソですから(笑)。

以上については、バイエルンの客層の大きな特徴であろう。

 

※ 追記

上記の紙チケット持参のお客さんというのは、あくまでも現地の地元民の様子です。

2025/7/12 ミュンヘン1

前日の11日午後4時半にミュンヘン到着。一夜明けて実質的なミュンヘン観光のスタート。天気は晴れ。気温は、午前が18度くらい、最高で25度くらいと、ちょうどいい。

これまでに何度となく言及しているが、もはやミュンヘン観光はし尽くした感がある。正直に言って、どこで何をしようか、新しい案がもうほとんど思い浮かばない。

・・という話をアメリカに一緒に行った友人Kくんにしたことがある。
Kは言った。
「別に無理して観光しなくていいじゃん。カフェでくつろぎ、公園などでくつろぎ、何もせず、ゆったりと本を読む、そういうのでいいじゃん。なぜそれが出来ん?」

いやー、「なぜ?」と言われてもなあ・・・。
色々とせかせか歩き回るのが、オレの旅行スタイルだからなあ・・・。スタイルはそう簡単に変えられんわなあ。


ということで、振り出しに戻って、ミュンヘンを代表する観光名所「レジデンツ博物館」を訪問。旧バイエルン王国君主の家系ヴィッテルスバッハ家の宮殿。旧市街の中心マリエン広場の北側、バイエルン州立歌劇場のすぐ隣。
何度目だ? 5回目くらいか? まあ何度でもええわ。

博物館に入って最初の部屋、見学客を出迎えるギャラリーの間。ヴィッテルスバッハ家歴代の肖像画がズラッと並ぶ。その眩いばかりの豪華さはいかにも誇らしげで、先祖代々の栄華を自慢しまくっている。ったく、鼻につくわ(笑)。


装飾が凝っていて荘厳なアンティクヴァリウム。たぶんレジデンツの中で一番有名な広間だろう。

レジデンツの部屋はたくさんあって、ゆっくり全部見ようとすると、2時間は余裕でかかる。


ミュンヘン随一の眺望は、マリエン広場の南側に建っている聖ペーター教会の塔の展望台から。5ユーロを払って階段を登ると、マリエン広場、新市庁舎、フラウエン教会が一望に見渡せる。


午前中いっぱいを旧市街の真ん中付近で過ごしたら、昼食は私の大好きな醸造メーカー「パウラーナー」のビア・レストランへ。
お約束の白ビール「ヘーフェ・ヴァイスビア」(ヴァイツェンビール)。

旅行の序盤なので、時差ボケもある。早めにホテルに戻り、休憩して、夜のオペラに備えた。

2025/7/11 ドイツに向けて出発

2025年の海外旅行第三弾。夏休み恒例企画、「音楽祭とバカンスで心と身体のお洗濯」の旅。ただ今、出発前の羽田空港のラウンジ。
主たるお目当ては毎度のミュンヘン・オペラ・フェスティバルだが、昨年7月の旅行と同様に、またちょっとマニアックな音楽祭を計画に含めているのがオレ流。

元々、計画の発端は、C・ティーレマンベルリン州立歌劇場の音楽監督(GMD)として初めて振るオペラ「無口な女」(R・シュトラウス)、これが今月に上演されるという24-25シーズンスケジュールの発表だった。確か昨年の3月末だったと記憶しているが、ドイツ行きはその発表を見た瞬間に決まった。つまり、1年以上前から予定していた旅行である。
今回の旅行では、このなかなか上演されない「無口」に加え、ミュンヘンで同じくレア演目「ダナエの愛」も観る。シュトラウス好きの私にとって、これは絶好の機会なのであった。


また、上に書いた「ちょっとマニアックな音楽祭」というのは、オーストリアの山間の避暑地「エルル」で開催される「エルル・チロル音楽祭」と、それからミュンヘンザルツブルクの間にある「キーム湖」で開催される「ヘレン・キームゼー音楽祭」の二つ。両方ともリゾート地なので、ゆったりと過ごせたらいいなと思っている。


これからルフトハンザドイツ航空による午前9時30分発のミュンヘン行きに乗る。

なんと、ビジネスクラス

いやいや・・別に買ったんじゃないすよ、もちろん。マイレージによる特典航空券の利用です。
永年にわたってマイルをコツコツと貯めてきたが、コロナが明けて以降、貯蓄から消費へと転換。この2年でビジネスクラスで2回飛行機に乗った。今回3回目のビジネスを利用したら、これで保有マイルをほぼほぼ使い果たす。
つまり、ビジネスクラスで行くおそらく人生最後の欧州旅行。もう二度とないだろう、たぶん。

くそー、名残惜しいなあ・・。名残惜しいから、朝からラウンジでビールがぶ飲みだぜ、ちくしょうめ。


それでは気を付けて行ってきます。旅行記をまた現地からのアップも含め、一つずつ書いていきます。

※ルフトのビジネスクラスの食事の前菜。(あくまでも前菜)

2025/7/9 スイス・ロマンド管

2025年7月9日   スイス・ロマンド管弦楽団   サントリーホール
指揮   ジョナサン・ノット
HIMARI(ヴァイオリン)
ジャレル   ドビュッシーによる3つのエチュード
シベリウス   ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキー   春の祭典

 

噂の天才少女:HIMARIを初めて聴いた。
2011年生まれの14歳。「史上最年少で〇〇◯」みたいなプロフィール、コンクール入賞歴、著名オーケストラとの共演歴は、もうあえて言う必要もないので省略。さっそく聴いた感想を述べるが、「この若さで、すごい!」みたいな言い回しもやめて、純粋な音楽的観点からどう聴こえたかだけを記す。

演奏技術は、やはり並外れている。特に重音奏法の正確さは、完璧と言っていい。
音楽的な起伏については、かなり指揮者ノットに助けられている。本人なりに一生懸命表情を作っているが、美しさは湛えているものの陰影の濃淡には乏しい。そこをオーケストラがしっかりと補っていて、全体としてシベリウスの音楽に肉薄させている感じだ。
まあ、それこそが協奏曲、ソロとオーケストラによる共演の醍醐味なわけだが。

コンチェルトよりも更に素晴らしいと感嘆したのが、アンコールのイザイの無伴奏ソナタ
あたかも水晶のようにキラキラと輝く音色。緩急自在の表現力によって、短い曲にもかかわらず情景の変化が目まぐるしい。

ということは、現時点では協奏曲よりも独奏作品の方が惹き付けるパワーが大きいということだろうか。
これからいくらでもオーケストラとの共演経験が積み重なっていくことだろうし、成長の伸びしろは限りなくあるので、心配御無用ではあろう。


メインのハルサイは面白かった。視界良好な指揮者のタクトにより、沸騰して泡がポコポコと発生するかのごとく各パートや楽器の音が飛び出してくる。そうした音をノットが嬉々として捌いている感じ。壮絶さ、難解さは皆無。ひたすら楽しいハルサイ。
これでいいのか?
うん、まあいいんじゃね?(笑)

今年は東響音楽監督のラストシーズンということで、この指揮者の動向・活躍から目が離せないと思ったら、まさにこのタイミングで26/27シーズンからバルセロナ・リセウ大劇場の音楽監督就任のニュースが発表された。
脂が乗り切っていますねえ、ジョナサン・ノット

映画「国宝」を見て思ったこと

話題になっている映画「国宝」、観てきました。

ネタバレになっては申し訳ないので、内容に関する詳細は言及を避けるが、絶賛されている評判のとおり、二人の主役:吉沢亮さんと横浜流星さんの圧巻の演技には目を瞠った。
聞くところによると、1年半に及ぶ演技の特訓を重ねたらしいが、いやいや、1年半であれだけ出来るなんて信じられない。本物の歌舞伎役者って、10年20年、あるいはそれ以上の稽古を積んでいるのだから。

ただし、あくまでも個人的な感想だが、作品全体としては、人間関係やエピソードが紆余曲折、一転二転三転し、あまりにも沢山を詰め込みすぎていて、ストーリーとしては少々散逸していると思った。
そんなに詰め込まなくても、例えば、役者として成長していく姿を追っていくだけでも十分に完成品になるのではないか、とも思ったが・・・。
まあ、それだと単なるドキュメンタリーにしかならない、ということかもしれない。

いずれにしても、観る人によって様々な感想が生まれるのは、別に悪いことじゃなく、むしろ良いことだ。


実はワタクシ、昔の話だが、歌舞伎に結構はまり、2か月に1回くらいのペースで劇場通いしていたことがあった。以前に職場の同僚だった人が歌舞伎好きで、その人に誘われながら通っているうちにのめり込んでいったのだ。
残念ながら、職場の人事異動でその同僚と離れてしまったら、劇場に行く回数が徐々に減ってしまい、最近はすっかりご無沙汰になってしまったのであるが。

それでも、歌舞伎の様式美については、今でも素晴らしいと思っているし、確立された舞台芸術として日本が誇るべき文化だと思う。


時々、歌舞伎とオペラの比較文化論を見かけることがある。
どっちが良い悪いみたいな短絡的な話は論外として、両方とも一定の制約の中で繰り広げられる芸術であるということは、間違いないだろう。
歌舞伎には演技や所作などに「型、形式」があるし、オペラには「音楽」という枠が定まっている。そうした制約の下で、どれだけ創造性を生み出しているか、役者も演奏家も日々しのぎを削っているわけである。

個人的な観点で言うと、オペラは音楽だが、歌舞伎は音楽ではなない。歌舞伎にも音楽が採り入れられているが、あくまでも伴奏、BGM。
そういうことなら、むしろ共通点はバレエの方にあるのではないか・・・などとも思ってしまうが、ま、あくまでも個人的な観点ということで。

 

追記。

この映画「国宝」は、才能か血筋かというテーマが軸になっているが、別に血筋を重視する歌舞伎の在り方を否定するつもりはないけど、芸術は才能があってこそ。才能が最も大切という風潮であってほしいと思う。