クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

アルゲリッチ来日中止

アルゲリッチは残念ながら来日中止となってしまった。
せっかく別府行きの手配をしたのにな・・・。

その前から東京公演が中止になりそうな気配は、ひしひしと感じていた。
緊急事態宣言発令の対象都市だったし、宣言期間の延長は不可避の情勢だったからね。
一方で、大分の方は大丈夫じゃないかと密かに期待していたのだが・・甘かった。

東京公演が完売だと勝手に早合点し、別府公演のチケットを買ってしまった時は、正直ガクッときた。
その後、東京公演が中止になりそうな雰囲気になった時は、「おっ! 一発逆転ラッキーか!? ウッシッシ」などと、思わずほくそ笑んでしまった。
これがいけなかったな。勝ち誇りの気分になってしまった。そのツケを払うことになったのだ。反省しよう。

このキャンセルで、わずかながらも損害を被った。公演チケット代は全額返金されるが、航空券はキャンセル手数料が取られた。

もちろん、公演が中止でも行ってしまうという手も、なくはなかった。
だって、キャンセル手数料は、緊急事態宣言を発令した政府は補償してくれないわけだろ。あくまでも移動の自粛は「お願い」であって、命令ではないなのだから。

でもやっぱり、「アルゲリッチの公演」がなくなった時点で、私にとっては別府に行く意味はあっさり消えてしまったんだな。たとえそこに「温泉」という魅惑のアトラクションがあったとしても。
それに、「行っていいのか? その決断は正しかったのか?」という自問が、常に付きまとうことになる。万が一感染してしまった日にゃ、目も当てられない。世間からの非難は免れないし、職場にも迷惑かかるだろう。
そのリスクを負うほどの勇気は、あたしにはないというわけさ。


アルゲリッチさんの「これで世界が終わるわけではありません。コロナ禍が落ち着けば再び会えます。そのときを楽しみにしています。」というコメントには救われた。
是非、来年こそはお目にかかれますように。

シャイーの次は

ファビオ・ルイージについて、前回のブログ記事で「ルイージほどの指揮者なら、今後、更にビッグなオケ、一流歌劇場からお声が掛かる可能性も捨て切れない」と書いた。

ふと思った。
全然意識していなかったが、彼はもしかしたら「シャイーの次」候補なのだろうか?

言うまでもなく、シャイーの次とは、つまりスカラ座のポストのことを指す。

スカラの場合、バレンボイムがそうだったように、何が何でも純正イタリアン、みたいなこだわりはないと思われる。世界的なビッグネームの中からチョイスすることが可能。それが許される上級の団体だ。
それでも、この劇場が「イタリアオペラの殿堂」であろうとするのなら、母国出身のシェフが待望であり有望であることは、間違いないだろう。
で、もしそうなら、ルイージは確かに有力候補の一人だ。

ルイージを含め、現時点で優勢なのは、次の3人ではなかろうか。

ファビオ・ルイージ
ジャナンドレア・ノセダ
ダニエレ・ガッティ

あくまでも、現時点で。

ガッティの場合、例のセクハラ疑惑が果たして尾を引いているのかどうか。
あれさえなければ、最右翼だったはずだが・・。

ノセダは、「マリインスキーの首席客演や、BBCフィル、ワシントン・ナショナル管などのシェフを歴任」という異色のキャリアが、良く言えばインターナショナル、悪く言えばアウトローっぽい。果たして保守的なファンや専門家たちの評価はどうなのだろう。

そして、ルイージ
彼も、どちらかというと軸足がドイツ系にあるのが気掛かりではある。せっかくフィレンツェ歌劇場のポストを手に入れたのに、あっという間に決裂してしまったというのも、若干印象が悪い。

なんだかこうして分析してみると、3人ともイマイチ決定打に欠けると言えなくもないな(笑)。

ちなみに、ガッティとノセダがミラノ出身、ルイージジェノヴァ出身。
それが関係するのかどうかは、全然分からないけど。
ルイージが務めたチューリッヒ歌劇場の音楽監督をノセダが引き継いだという縁もある。


まぁ、「スカラのネクスト」について語るのは、正直、気が早いって言えば、そのとおり。シャイー政権が長く続く可能性だってある。
一方で、監督の人事というのは、一寸先は闇、何が起こるかわからない。
ある意味、魑魅魍魎の世界だからね。

ファビオ・ルイージ

前回のブログ記事で、パリとロンドンの人事情報をレポしたが、先月、東京でも大きな動きがあった。
ファビオ・ルイージN響の首席指揮者に就任」というニュースだ。

「おー、すげー」と思った。
ルイージは、言うまでもなく世界的な一流指揮者である。一時、「読響の指揮者になるのでは?」という噂が立ったが、結局はパーヴォ・ヤルヴィに続きビッグネームの招聘に成功したN響。やりましたな。さすがである。

絶好のタイミングだったと言えるだろう。
数年前まで、ルイージは世界でも最も多忙な指揮者の一人だった。(ゲルギエフの次くらい?)
それが、メトロポリタン・オペラの首席客演契約が終わり、チューリッヒ歌劇場音楽監督の契約が終わり、フィレンツェ歌劇場もあっという間に終了。残っているのは、デンマーク国立管とダラス響くらい。チャンスだった。それをうまくモノにしたというわけだ。

N響コンマスの「マロ」篠崎史紀さんは、次のように語っている。
「オーケストラ、特にN響の奏者たちは一人ひとりが優秀な音楽家であって、考え方や音楽の解釈も皆違う。そうした個性集団に一定の方向性を与えることが出来るかどうかが大きなポイントで、ルイージはその点において傑出していた。」

なんとなく「我々のような優秀な音楽家集団を導いていくのは、簡単じゃないんだぜ」みたいなプライドが滲み出ていて、いかにもN響らしいが、それはさておき、ルイージがカリスマ性を持った指揮者だということが分かる一例だ。

そのルイージも、何かのインタビューで「現代のオーケストラは命令されることを好まない。共同で音楽を作っていくことがベストのやり方だ。」と語っている。
また、これまでに何度となくN響に客演してきて、「サヴァリッシュら先人が築いたドイツ的なサウンドの伝統を感じた」とも話すなど、自身のキャリアでウィーンやドレスデンなどで手腕を発揮してきた経験と実績から、志向性の一致と、手応えのある確信を掴んだと思われる。


とりあえずの契約期間は3年とのこと。我々ファンからすれば、是非長きに渡って素晴らしい演奏を聴かせ続けてほしいという期待が高まる。

一方で、ルイージほどの指揮者なら、今後、更にビッグなオケ、一流歌劇場からお声が掛かる可能性も捨て切れない。その場合、短期政権で終わってしまうこともある。
さらに、過去にドレスデンフィレンツェでは、首脳陣との仲違いや方針の不一致などで、一気に辞任を叩き付けることもやらかしており、一緒にやっていくにあたっては慎重を期す必要もあろう。
(まずバーンと一発かまして、その上で相手の出方を伺う、というのは、外国人の常套手段だ。)

日本人は、そういう相手、そういうやり方の対処が、結構苦手だから。我が国の「謙譲の美徳」精神は、こと対外交渉術においては、通用しない場合があるんだよねー。

世界の音楽監督事情

先月、東京ではムーティが来日して素晴らしい演奏を披露し、それ以外にもN響都響、東響、日本フィルなどがそれぞれ実力を見せつけて、コロナにも関わらず、連日の賑わいを見せた。
そんな中、一方で世界に目を向けると、いくつかの注目すべきニュースがあった。

まず、国立パリ・オペラ座の次期音楽監督にグスターヴォ・ドゥダメルが就任するという発表は、大きな話題となった。

まだ40歳ながら、既に世界的な名指揮者の一人に数えられているドゥダメル。決してオペラの叩き上げではないものの、実績は十分、実力は折り紙付き。パリ・オペラ座は、世界が認めるこの若き天才の招聘に成功して、さぞかし鼻高々だろう。
ドイツ系にもイタリア系にも染まっていないのは彼の強みであり、そのことを活かして様々なレパートリーを手掛けていってほしいと思う。


イギリスでは、ロンドン響がサイモン・ラトルの後継として、アントニオ・パッパーノを迎え入れることを発表した。

ラトルがロンドン響との契約を更新せず、あっさりとミュンヘンに移っていったのは、意外だった。ベルリン・フィルの大役を終え、故郷のイギリスこそが彼の最後の到達点だとばかり思っていたからだ。
やはり、ブレクジットの影響が大きかったのであろうか。

世界のトップ・オーケストラの一つであるロンドン響からしてみれば、国籍を問わず、世界中の実績のあるシンフォニー指揮者の中から釣り上げることも可能だっただろう。
にも関わらず、あえて国内にいたオペラの叩き上げ指揮者を選択した。こちらは、パリ・オペラ座と対照的だ。
ローマ・サンタ・チェチーリア管とのコンビによる実績も踏まえ、シンフォニーでも十分に行けると判断したロンドン響とのコラボは、これからお手並み拝見といったところか。

パッパーノを引っこ抜かれたロイヤル・オペラ・ハウスは、後任を見つけ出す必要に迫られている。

有力として誰もが予想するのは、グラインドボーン音楽祭音楽監督のロビン・ティチアーティであろう。現在のグラインドボーンとの契約がいつまでになってるのかは知らないが。
個人的には、ボローニャとの契約が終了しているミケーレ・マリオッティなんか、いいと思うけどな。


同じくパッパーノの後任を見つけなければならないサンタ・チェチーリア管は、ローマの地元紙の情報(噂?)として、ダニエレ・ガッティの名前が上がっているそうだ。
そして、そのガッティがもしサンタ・チェチーリア管に移る場合、ローマ歌劇場がガッティの後任として目を付けているのが、マリオッティという情報も・・。

まあ、こうした情報や噂の類は、実際に決まって正式発表されるまでは単なる憶測の域を越えないわけであるが。

いずれにしても、世界の音楽監督人事というのは、玉突きのように動きを見せていく。コロナが落ち着き、コンサートやオペラの上演が再開されるようになれば、ますます活発になっていくことだろう。

2021/4/24 日本フィル

2021年4月24日   日本フィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮   アレクサンドル・ラザレフ
グラズノフ  交響曲第7番 田園
ストラヴィンスキー  ペトルーシュカ


4月17日から始まった私の怒涛のコンサート週間は、緊急事態宣言という遮断器により、突如クローズしてしまった。
予定では、昨日25日は新国立劇場で「ルチア」、本日26日は都響で「タコ1」&「大地の歌」のはずだった。これらは残念ながら中止になった。開催されていれば10日間で8公演の鑑賞だった。
クラシックのコンサートは、広い空間の中で聴衆は静かに黙って鑑賞するので、「感染リスクは大きくない」という専門家の意見が出ているし、事実、会場を源とするクラスターはこれまで発生していない。主催者は感染対策を怠りなく施しているし、別にいいじゃんかとも思う。
それでも、今回の場合は目的が「人流の抑制」ということだし、クラシックコンサートだけでなく、映画館を含めすべての劇場・会場が閉鎖となる。そこまでするというのなら、これはもう仕方がない、黙って従いましょう。

と、このようにスッパリと諦めの境地にたどり着けたのは、ギリギリセーフで聴くことが出来た日本フィルの演奏が実に素晴らしく、この上ない満足感に浸ることができたからだ。
いやー、ラザレフさんが来日することができて本当に良かった。ラザレフ&日本フィルの演奏を聴けて本当に良かった・・・。

断言しよう。ズバリ、「The・名演」だった。
もしかしたら、これまでに自分が聴いてきたすべての日本フィルの演奏会の中で、一番かもしれない。これに匹敵する感動を得られた日本フィルの公演として、思い当たるのは、2014年10月、チャイコの弦セレとショスタコ第4番というプログラムの公演くらいだ。その時の指揮も、もちろんラザレフ将軍。

東京春祭オケ公演のブログ鑑賞記で、私は「偉大な指揮者の導きによって、奏者全員が同じ方向を向いて全精力で演奏した時、音楽は至高に到達する。」と書いた。今回、同じ現象が日本フィルでも起きた。
ラザレフを待ち望んでいたのは、お客さんだけでなかった。日本フィルの奏者の皆さんもそうだった。彼らはラザレフの下で、まさに水を得た魚のようだった。

ただし、東京春祭オケと決定的に違っていたことがある。
春祭ではオーケストラが完全に指揮者の下僕になっていたのに対し、日本フィルでは指揮者との信頼関係が出来上がっていて、要求に応えつつ、自分たちが持っている演奏解釈を指揮者に投げ返すというやりとりが展開されていたこと。
なるほど、これこそが既存のプロオケ集団の余裕なんだな、指揮者とオーケストラとのプロフェッショナルな関係なんだな、と感心した。
こうした共同作業によって音楽が生き生きと輝き、聴く側も心から楽しむことができた。

楽しかったと言えば、やっぱりラザレフのステージパフォーマンス。毎度おなじみ。
フルートのソロ部分では、「はい皆さん、ちゃんと聴いてあげてね」とばかりにタクトを振るのをやめて指揮台から降り、客席の方を向いちゃうし、演奏終了後も、拍手喝采を自分ではなく全部オーケストラに捧げるようにお客さんを煽ろうとする。

ラザレフ最高! もう本当に最高!
そして、こんな素敵な指揮者を桂冠指揮者に迎え入れている日本フィルも最高。
次回、10月の来日もどうか叶いますように。絶対に行きますから。

2021/4/22 東京春祭オーケストラ

2021年4月22日   東京春祭オーケストラ(東京・春・音楽祭)   東京文化会館
指揮   リッカルド・ムーティ
モーツァルト   交響曲第35番 ハフナー、交響曲第41番 ジュピター


ムーティはこれまでに何度も東京・春・音楽祭のために来日し、このために特別に編成されるアカデミー・オーケストラも何度も振っている。
しかし、今年ほど比類がないほどのスペシャル感、格別感を彷彿とさせたのは無かったのではなかろうか。
それは、パンデミックで開催が危ぶまれた中、その困難を本人、関係者、演奏家たちが必死に乗り越え、実現に至らせたからだ。本公演は文字どおり特別だった。

若いオーケストラ奏者たちが真摯に楽曲に取り組む姿勢や眼差しの鋭さについては、「マクベス」公演の鑑賞記の中で指摘した。
偉大な指揮者の導きによって、奏者全員が同じ方向を向いて全精力で演奏した時、音楽は至高に到達する。この熱気は、むしろ若い演奏家たちの臨時編成のオーケストラだったからこそ獲得できた、芸術の一つの指標だったと言えるだろう。


この日のモーツァルトは、外観するとシンプルでオーソドックスなスタイルを纏っていた。
いわゆる斬新さみたいなものは見当たらない。
ていうか、「そもそもモーツァルトに斬新さを求める必要などない」とでも指揮者は語っているかのようだ。
ただし、音符には意味があり、そこだけは注意深く拾っていく。すると、シンプルさの中にちょっとした表情や仕草が加わってくる。
たぶん「モーツァルトの演奏はそれだけで十分だ」というのが、マエストロの解釈なのだろう。


ところで、興味深いことだが、ムーティが日本でモーツァルトの「ハフナー」を披露するのは、(見落としがなければであるが)これが3度目である。(私は更にミラノで行われたスカラ・フィルの演奏会でも聴いている。)
そして、なんと、今秋に予定されているウィーン・フィルの来日公演プログラムにも、この曲が入っている。

エストロはこの曲が好きなのだろうか?

 

2021/4/20 都響

2021年4月20日   東京都交響楽団   東京文化会館
指揮   大野和士
安藤芳広(ティンパニー)
カレヴィ・アホ   ティンパニー協奏曲
マーラー   交響曲第1番


コロナ前までは、特に外来オケが来日公演のメイン曲として「マラ1」を盛んに採り上げる傾向に対し、「ったくワンパターンだよなー」なんて嘆いていたっけな。聴きすぎて飽きが来ることがないように、行く公演を程よく厳選していたものだ。

それが今、コロナでステージ上が密になりがちなマーラー作品は敬遠されるようになり、曲目が変更になったり、公演自体がキャンセルになったりした。
そうなると、途端に「マーラー聴きてぇ」症候群に陥ってしまう。
前回にマラ1を聴いたのは2019年3月のV・ユロフスキ指揮ベルリン放送響。わずか2年ぶりなだけなのに、なんだかものすごく久しぶり感が漂う。ということで、楽しみにしていた公演だ。

楽しみにしていたのは、もう一つ理由があって、何かというと「初めての大野さんのマラ1」であった。

これだけ内外で活躍している指揮者であり、なおかつこれだけの人気名曲なのだから、今まで聴く機会は絶対にあったはず。にも関わらず初めてというのは、よほど私が厳選を絞っていたということか・・・。
ちなみにマイ・データベースで調べてみたら、私がこれまでに足を運んだ「マラ1」公演は、ぜーんぶ外国人指揮者。よって、初めての日本人指揮者(笑)。小澤征爾若杉弘でも今までなかったという摩訶不思議。
何か変なこだわり、決めつけ、偏見でもあったのだろうか・・。そんなことはないと思うんだけどな。

さて、そういうことで今回のマーラー。私が聴きたくて聴きたくてうずうずしていたのと同じくらい、オーケストラ奏者の皆さんもやりたかったのではないか、と思わせるような狂おしい熱演。
こんなにも気合いが入って、集中力が漲っていて、研ぎ澄まされた演奏を聴かされたら、もう冷静ではいられない。心、震えました。

大野さんの手綱捌き、コントロールも抜群に冴えている。押し、引っ張り、抑え、そして煽りながら、音楽を躍動させ、頂点に導こうとしていた。

やっぱりマーラーはいいよなあ。かっこいい。


前半は、珍しいティンパニーがソロを務めるコンチェルト。打楽器が活躍する曲というのは、視覚的に迫るものがあるから、実に楽しいし、盛り上がる。ナイスな選曲だ。


演奏とはまったく関係ないことだし、こんなことを言うのは実にけしからんことだが・・・どうか許してくれ。
作曲家さん、日本に来て自己紹介で自分の苗字を名乗ると、ちょっと難しい問題が起こってしまうなあ。
本人にはまったく罪はないのに。日本語が罪なわけで・・。

随分と前、フィンランドで同苗字の人が首相になったことがあり、ニュースで「アホ政権誕生」という見出しを見て、私は大笑いしてしまった。
人の名前で笑っちゃいけないことは重々承知なのに、でもおかしいんだから仕方がない。
日本語がいけないんだ。
フィンランドにはこの名前のお方が少なからずいらっしゃるようで、本当にごめんなさい、日本人を代表して私が謝ります(笑)。