クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2024/3/26 イースター・フェスティバル3 エレクトラ

2024年3月26日  バーデン・バーデン・イースター音楽祭3    祝祭劇場
R・シュトラウス  エレクトラ
指揮  キリル・ペトレンコ
演出  フィリップ・シュテルツル
管弦楽  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ミヒャエラ・シュスター(クリテムネストラ)、ニーナ・シュテンメ(エレクトラ)、エルザ・ファン・デン・ヘーヴァー(クリソテミス)、ヨハン・ロイター(オレスト)、ヴォルフガング・アプリンガー・シュペルハッケ(エギスト)    他

 

ベルリン・フィル、凄まじい破壊力。
オーケストラ・ピットがぶっ壊れるんじゃないかと思った。
いったい何なんだ、これは!!

オペラにおいて、このような超絶演奏はこれまでに聴いたことが無いし、断言しよう、今後も無い。これ以上はもう不可能。名演、驚異的、などという褒め言葉でさえ陳腐でしかない。

究極。空前絶後
これらの言葉は、これまでにもブログの感想記事の中で用いたことがある。これ以上無い、唯一無二、という意味だから、度々使ってはいけない用語だろう。
ならば、これまでのを一旦リセットし、改めて本公演のために使わせていただきたい。
そうじゃないと、この演奏を形容することが出来ない。究極、空前絶後が最も相応しい言葉なのだ。


歌手陣も全員が素晴らしかったが、やはりタイトルロールを務めたN・シュテンメを大絶賛せずにはいられない。あの化け物のようなピットの演奏の壁を貫通させることが出来るのは、シュテンメをおいて他にいない。彼女のレーザービームの一撃は、強力で、輝かしく、なおかつオーロラのように神々しい。

私はこの公演のチケットを買った時から、「どうかシュテンメ様が降板しませんように」と、ずっと祈っていた。
会場に到着し、いよいよ上演が始まるという時間になっても、劇場支配人が突然出てきてドタキャンや不調を告げないか、不安だった。
幕が開き、無事に舞台上に彼女の姿を見つけたその瞬間、安堵と共に本公演の成功が確定した。
(一人の出演者(特に歌手)に多大な期待を寄せすぎると、落っこちた際にショックを受けるので、本当は程々の期待に留めておくのが良いと思う。)


演出について。
舞台は、何層もの可動式の段で出来ていて、それが階段になったり、フロアになったり、閉鎖的空間を作ったりしながら、構造化を図っている。
また、歌詞のドイツ語リブレットを全編に渡って舞台装置に投射。単なる字幕装置ではなく(字幕はまた別に設置されている)、テキストそのものをデザイン化、記号化している。ニコニコ動画で次から次へと現れるコメントみたいなのを想像してもらえればよろし。もうちょっとアートだけど。

このように歌詞そのものを演出プランに組み込んだ例は珍しく、そういう意味では斬新だが、どれほどの効果が得られたのかは、正直疑問。評価が分かれるところだろう。

人物として、オレストを、第一次世界大戦で重傷を負い、松葉杖で帰還した兵士に見立てていた(たぶん。私にはそのように見えた)のも特徴の一つ。アイデアは面白いかもしれないけど、ストーリー上の必然性が伴っているとは言えない。

また、装置の可動により、フロアにおける床と天井の間が狭まり、歌手が身をかがめながら歌う、という場面が何度かあったが、これはちょっといただけない。芸術的歌唱の正しい姿勢として、ムリがある。よく歌手側から文句が出なかったものだ。


以上のとおり、演出については賛否両論、ていうか、非難が噴出してもおかしくない。
事実、演奏終了後、ただちに一人の聴衆がつんざくような「ブー」を飛ばし、会場を凍らせた。
その後すぐ、そのブーをかき消し、全否定するかのようにブラヴォーが爆発した。

ブーを飛ばしたヤツ。
たとえ演出が気に食わなかったとしても、だからといって、あの演奏を聴いてよくブーイングすることが出来たなと、逆の意味であっぱれ。きっと耳が悪くて、舞台を目でしか見られなかったのだろう。かわいそうに、お気の毒様。

いずれにしても、どんな演出だったかについては時が経つにつれて忘却となり、最終的に「ベルリン・フィルの演奏が異次元だった」という記憶だけが固まり、そのまま永久に脳裏に刻まれることであろう。


今回の旅行の鑑賞スケジュールはこれにて終了。有終の美なんてもんじゃない、伝説的な夜であった。