2012年5月2日 ミラノ・スカラ座
プッチーニ トスカ
指揮 ニコラ・ルイゾッティ
演出 リュック・ボンディ
マルティナ・セラフィン(トスカ)、マルセロ・アルヴァレス(カヴァラドッシ)、ゲオルグ・ガグニーゼ(スカルピア)、デヤン・ヴァチコフ(アンジェロッティ)、アレッサンドロ・パリアーガ(堂守) 他
残念~。期待を下回った凡演。
まあ、特段に「不出来」であるとか、「ひでえ演奏」などと切り捨てるわけではない。ただ単に‘凡’。平凡、凡庸、フツーであった。
今回のトスカはいわゆるレパートリー上演(新演出ではなく、再演)。指揮者も客演。こういう状況では天下のスカラといえども気合が入らないのはある程度やむを得ないか。ウィーンだってメトだってパリだって、どこでも低調な時はある。
しかしなあ・・・。
これがドイツ物だったりフランス物、ロシア物だったりしたら、こっちは何の文句も言わない。
だが、この日の演目はプッチーニなのだ。コテコテのイタリア物なのだ。イタリア・オペラの総本山であるスカラ座のトスカともなれば、そりゃもう他の劇場と比べて「月とスッポン」くらいの段違いの実力差を見せつけてほしいのである。
凡演の責任は、「指揮者40%」「演出40%」「歌手10%」「観客の質10%」の割合で負ってもらいたい。
まずルイゾッティ。この指揮者、これまで私はずっといい指揮者だと思っていた。2004年2月、ジェノヴァ・カルロフェリーチェ劇場で聴いたヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」は、それこそ鳥肌が経つほどの名演で、私の数あるヴェルディのオペラ鑑賞歴のなかでも指折り。この公演を指揮したのがルイゾッティだった。
だから、東京交響楽団がこの指揮者を「首席客演指揮者」として迎え入れたニュースを知った時、「東響は先見の明あり。やるなあ!」と感動したものだ。
ところが、昨年の原発事故で客演指揮による来日をキャンセルし、その後も来日する気配を全く見せず、完全に「名ばかり主席」になっている。結局、東響を何回振ったんだ? このヤロー。てめえ、そんなに嫌ならポスト返上しろっつうの。だいたいなあ・・・ブツブツ・・・
・・・スマン、全然スカラと関係ない話になってしまいました(笑)。
次に‘凡ディ’の演出。これがまたアカン。まったくパッとしない。
ボンディは各幕の設定場所を、実在する名所から切り離し、特定できない抽象的な所に置き換えてしまった。第一幕では教会ではなく野外の路地で物語が展開したため、ラストのミサの音楽(テ・デウム)において迫力が失われたし、第二幕では宮殿内ではなく安っぽいサロンのような部屋にしてしまったため、スカルピアの強大な権力が霞んでしまった。
なぜスカルピアが憎たらしいかと言えば、それは彼が本来正義の側にいる警察長官でありながら、その絶大な権力を私利私欲目的に発揮してトスカに迫るという相反二面性があるからであって、そういう悪徳さが和らいでしまうような舞台では、仮に演出家に意図や目的があったにしても、「的外れ」とみなされても仕方がないだろう。
(ところでこの演出、メトとミュンヘンとスカラの3つの一流劇場の共同プロダクションなのだが、仮にミュンヘンとスカラはいいとしても、メトでこの陳腐な舞台はないだろう。スペクタクルが大好きなニューヨークでは特に不評だったのではないだろうか?)
歌手も、おしなべて悪くもなく良くもなくフツー。トスカを歌ったセラフィンは、歌姫役というオーラに乏しく、日毎に印象が薄れていくばかり。ガグニーゼ(名前はゲオルグ?ゲオルゲ?まさかジョージはないよな)は、上記のとおり演出の被害者。ビッグネームのマルセロ・アルヴァレスが一人で気を吐いていたが、一人で公演全体の成功を支えるのは所詮無理。