クラシック、オペラの粋を極める!

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2008/10/27 ウィーン国立 コシ・ファン・トゥッテ

2008年10月27日 ウィーン国立歌劇場 東京文化会館
モーツァルト コシ・ファン・トゥッテ
指揮 リッカルド・ムーティ
演出 ロベルト・デ・シモーネ
バルバラ・フリットリ(フィオルディリージ)、アンゲリカ・キルヒシュラーガー(ドラベッラ)、イルデブランド・ダルカンジェロ(グリエルモ)、ミヒャエル・シャーデ(フェッランド)、ラウラ・タトゥレスク(デスピーナ)、ナターレ・デ・カロリス(ドン・アルフォンソ)


 カルロス・クライバーが久しぶりにウィーン国立歌劇場に登場してバラの騎士を振った時、ウィーンの新聞がこれを報じて「今宵のためにオペラはある!」と見出しを打ったそうだ。
 2008年10月、東京でとびっきりのモーツァルトを聴く悦びに浸った。これぞオペラ。これぞモーツァルト。これに優る物がこの世にあろうか?まさに「今宵のためにオペラはある!」

 私の感想には相当の指揮者への思い入れが含まれている。中にはムーティの音楽を良しとしない気むずかしいお方もいらっしゃるかもしれない。人の好みはそれぞれだ。

 ただ、そういう人でも、今回のキャストの豪華さを認めない人はいないだろう。フリットリ、キルヒシュラーガー、シャーデ、ダルカンジェロの最強の布陣を凌ぐ現役(あくまで現役ね)が、もしいるというのならどうか教えてほしい。いないと思うがね。

 特にフリットリの素晴らしさと言ったら!!強さ、弱さ、繊細さ、女性らしさ、全ての表現が自在である上に、見とれるほどの美しい容姿を兼ね備えているとなれば、向かうところ敵なし、もはや何も言うことはない。今やヴェルディモーツァルトで、世界最高だろう。
 以前のブログで、敬愛するH・ベーレンスとは年代が合わず生の公演を聴く機会が少なかったことを嘆いたが、逆に、フリットリを同じ年代で何度も聴けるのは望外の幸せだ。将来、私のニックネームもhbがbfに変わるかもしれない・・・なんちて。

 冗談はさておき、彼女は来年のスカラ座来日公演のキャストにも名を連ねている。歌うのはエリザベッタなのかアイーダなのか?正式発表が待ち遠しい。(フリットリはアイーダについて、機が熟するのを慎重に待っていたが、ついに来年6月ミュンヘンで歌うことが決まっている。アイーダで来て欲しいなあ。)

 実は今回、超大盤振る舞いで特等席で鑑賞した。1階2列目の正面だ。すぐ目の前にムーティがいる。普段の貧民席の舞台に遠いところとは雲泥の差!

 おかげで前回見たときには気付かなかった細かい演技演出をいろいろ見つけた。例えば、ドラベッラは変装して登場したトルコ風の男性に一目見た最初から興味津々だったこと。また、姉妹が元に戻って現れた恋人達の帰還に慌て、胸元にあるべきのペンダントのメダルが無いのを必死で手のひらでバレないように隠す仕草をしていたこと、などなど。

 それにしても出演者は、表情、手の仕草、ポーズ、動きなど、驚くほど細かい演技をしている。オーソドックスな演出イコール何もしていないと見てしまいがちだが、演出家がこうした一つ一つの動きに精密に指示を与えているとしたら、それは賞賛されるべきだろう。もちろん歌手自身の解釈に基づく自発的な演技も多々含まれていると思うが、こうした演技がモーツァルトの音楽をいっそうヴィヴィッドに躍動させている。

 演出について言うと、一番最後の二組のカップルをハッピーエンドにするのか、覆水盆に返らずでアンハッピーエンドにするのかは、現代演出上のポイントだ。ロベルト・デ・シモーネはこれについて明確な回答を示さず、6人を一列に並ばせつつ照明を徐々に暗くしていくという手法を取った。男女の普遍的なテーマは「一寸先は闇」という暗示なのだろうか?

 超特等席で見てもう一つ気が付いたこと。
 ウィーンでの鑑賞レポの中で「ダンディなムーティがニコニコしながら笑顔で指揮するなんて事はないだろうが・・・」と書いた。だが、実際にムーティは笑顔を交えながら指揮をしていた!各章ごとの演奏が終わると、オケの各パートに顔を向けて「良い演奏だったよ」と何度も微笑みかけていた。いいなあ。本当にマエストロとウィーンとの関係は蜜月で良好のようだ。


 私にとってのウィーン国立歌劇場来日公演はこれで終わり。残りのフィデリオドニゼッティはおまけ、消化試合。
 だけど、まあ、せっかくの高価品なので、いちおう聴いてきます(笑)。