クラシック、オペラの粋を極める!

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1997/9/16 フィガロの結婚

1997年9月16日  パリ・オペラ座   バスティーユ劇場
モーツァルト   フィガロの結婚
指揮  ジェームズ・コンロン
演出  ジョルジョ・ストレーレル
アンソニー・マイケルズ・ムーア(アルマヴィーヴァ伯爵)、ソイレ・イゾコスキ(伯爵夫人)、バーバラ・ボニー(スザンナ)、イルデブランド・ダルカンジェロフィガロ)、シャルロッテ・ヘレカン(ケルビーノ)、デッラ・ジョーンズ(マルチェリーナ)、クリスティン・ジグムントソン(バルトロ)   他


本公演の着目ポイントは、演出のストレーレル。
音楽第一主義で、音楽を考慮しない(考慮できない)演出家を厳しく一刀両断にする指揮者リッカルド・ムーティが、ストレーレルを「偉大な演出家」と持ち上げている。
ということは、ストレーレルは、音楽を理解し、音楽に寄り添いながら、それを昇華させることが出来た演出家ということだろう。マエストロが絶賛するのだから、間違いない。

そのマエストロは、まだスカラ座音楽監督に就任する前の1981年、同歌劇場でストレーレル演出の「フィガロの結婚」プレミエを任されている。
ムーティのタクトによって幕が開いたこの舞台は、その後長きに渡ってロングランが続き、スカラ座の看板プロダクションへと育っていく。スカラ座フィガロと言えばストレーレル版。ウィーン国立歌劇場のポネル演出と並び、「フィガロの結婚」の決定版になったのだ。
映像も収録されていて、DVDやブルーレイで視聴することが出来るし、You Tubeで検索すると、ムーティが指揮した貴重な初演時の映像も見つけることが出来る。

ならば、スカラ座のプロダクションがオリジナルで、後にパリに貸し出されたのかと思い込んでしまいそうだが、実を言うと、さにあらず。

何を隠そう、パリでストレーレル演出の「フィガロ」がプレミエとしてお目見えしたのは、ミラノより更に遡る1972年なのだ。これ、驚きの知られざる事実。

まあ、別にどっちが本家本元なのかということは、この際どうでもいい。大した問題ではない。
ストレーレル演出の「フィガロの結婚」が観られた。
それが、私にとって重要なマターだったということだ。

それでは、この時の舞台を思い起こしてみよう。
舞台装置は非常にシンプルで、白っぽさを基調にしていた。衣装は当然トラディショナル。あっと驚く仕掛けや舞台転換でスペクタクル性を求めるのではなく、人物の動作ときめ細やかなポーズで、物語を展開させていく。確か、全幕を通して「箱のような部屋の中の出来事」にしていたと記憶する。
意味深なこと、訳が分からないことは、決して起こらない。登場人物は生き生きと動き、隙きがなく、音楽と一体となって輝いている。

私は「ああ、これがムーティが絶賛するストレーレルの舞台なんだな」としみじみ思いながら、心地よいモーツァルトの調べにどっぷりと浸かった。

ただし。
もし、今現在私がこの舞台を観たら、果たしてどのように感じるのだろうか・・・。

今の私は、近年の先端演出家にかなり感化されちゃっている。「演出家の仕事とは、新たな視点の発見であり、想像の展開を可能にするアイデアの提示である」と考えるようになっているわけ。

もちろん、舞台の中に「ストレーレルのこだわり」みたいな物が見つかれば、きっと私はそれだけで十分満足すると思うが・・・。


歌手について。
フィガロとアルマヴィーヴァ伯爵の両役で世界中を席巻し、一流歌劇場で引っ張りだこの「イタリアの伊達男」ダルカンジェロ
数えてみたら、私はこれまでに彼の出演オペラを計13回鑑賞しているが、「初めて」は本公演であった。
「演技が上手い歌手だな」と思った記憶が残っているが、歌唱についてはあまり覚えていない。
いずれにしても、まさか現在のような押しも押されもせぬスター歌手になるとは、この時まったく想像もしなかった。

ダルカンジェロがつくづく賢いと思うのは、これほどの不動の地位を築き、セクシーな容姿を携えれば、色気付いてヴェルディのバス・バリトン諸役に飛び付いてもおかしくないはずなのに、一貫してモーツァルトを軸に据えている点だ。
私だって個人的にはルーナ伯爵とかロドリーゴとか、聴いてみたい気がするが、彼の頑なな基本姿勢については、しっかりと支持しようと思う。

昨年のロイヤル・オペラ・ハウス来日公演で披露したメフィストフェレスは、もしかしたら彼のステップアップの転換点だったかもしれないが、これについてはもう少し動向を注視することとしよう。

スザンナのボニーも、とても良かった。とにかくチャーミングで、私がこれまでに聴いた数々のスザンナの中でもベストと言ってもいいかもしれない。


指揮のコンロン。
ちょうどこの2年前の1995年にパリ・オペラ座音楽監督に就任。それまでロッテルダム・フィルやケルン市立歌劇場の監督などの経歴を持っていたが、正直、「天下のパリ・オペラ座で、何故コンロン?」みたいな感じは否めない。

考えてみれば、前任のチョン・ミョンフンだって、選ばれた時は「チョンって何者?」と囁かれた。だから「サプライズ抜擢」はパリ・オペラ座の得意技なのかもしれない。
ていうか、バレンボイムの招聘失敗で、大物にすっかり懲りちゃった、怖気づいちゃったというのが真相かも?(笑)。

で、そのコンロンのタクトのフィガロだが・・・全然覚えてません(笑)。
スンマセン。


1997年9月の旅行記、おしまい。