クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2008/2/8 ウィーン コシ・ファン・トゥッテ

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いよいよオペラファン待望のウィーン国立歌劇場引っ越し来日公演開幕が間近に迫った。
公演の目玉にして最大の期待は我らがオザワセイジが振るフィデリオ・・・なんちてね。んなわけねーだろ(笑)。
ムーティコシ・ファン・トゥッテに決まっている。
そのムーティのコジを先取りすべく、2月にわざわざ現地公演に駆けつけたのである。(本音を言うと、日本公演をやることが最初から分かっていたら、わざわざウィーンに行かなくても良かったんだけどね)

 実を言うと、この2月の旅行記は、来日公演にうまく合うようにタイミングを計って書いていました(笑)。毎日のように必死に更新した甲斐あって初日(明日10月21日)前に間に合って良かったっす。
 それでは一足お先のレポをお届けしましょう。


2008年2月8日 ウィーン国立歌劇場
モーツァルト作曲 コシ・ファン・トゥッテ
指揮 リッカルド・ムーティ
演出 ロベルト・デ・シモーネ
バルバラ・フリットリ(フィオルディリージ)、アンゲリカ・キルヒシュラーガー(ドラベッラ)、イルデブランド・ダルカンジェロ(グリエルモ)、フランチェスコ・メッリ(フェランド)、ラウラ・タトゥレスク(デスピーナ)、ナターレ・デ・カロリス(ドン・アルフォンソ)


ムーティの公演を聴くときはこちらはいつも臨戦態勢。一音たりとも聞き逃すまいと集中し、身構えている。そんな私に対してマエストロは序曲を演奏しながら諭した。「まあまあ、そう固くなりなさんな。肩の力を抜いてモーツァルトの喜歌劇を楽しみましょう。」やや拍子抜け、まるで肩すかしにもあったかのように、穏やかに和やかに幕は開いた。

 その音楽には突っ張っているところがない。丸みを帯びている。いつもの佳境に向かって猪突猛進一直線のグイグイ感が影を潜めている。皇帝と称されダンディズムを地でいくムーティだから、にこにこしながら和やかにタクトを振るなんてことはないのだろうが、それでも心の中ではそうしてるに違いないと思わせる指揮ぶりだ。
 一昨年に聴いた同じモーツァルトフィガロで、圧巻とも言える統率でオーケストラと歌手を引っ張り、観客を昇天させてしまったあの躍動とは次元が異なっている。

 一言で言えば「円熟の極致」である。

 だが、何か意図がある気がしてならなかった。私はモーツァルトの極上の調べに酔いつつも、演奏中ずっとその意図を探し続けた。

 歌手について触れる。
 バルバラ・フリットリとアンゲリカ・キルヒシュラガー。容姿も美しいが、そのとろけるような二重唱はまさに奇跡、この世で最も美しい物だと思った。唯一来日キャストと異なるフェッランドのフランチェスコ・メッリも本当に素晴らしい歌声を聞かせた。ただし日本キャストのシャーデも定評があるので、全く遜色は無かろう。

話を戻す。
 探していた何かについて、ついに最後の最後で分かった。
 気まずくなっている二組の若いカップルに対して老紳士、人生の大先輩であるドン・アルフォンソが説く。『結婚しなさい。さあ抱き合って。言葉は必要ない。4人とも笑って。私はすでに笑っていますよ。これからもずっと。』

 このオペラに潜むキーワード、老境の「愉悦」と「達観」。

 これだ!

 ようやくたどり着いたオペラの奥座敷、人生の桃源郷ムーティが目指したのはそこだったのだ。マエストロは自分自身が心からこの音楽を楽しみながら、我々観客を愉悦と達観の境地に連れて行ってくれたのである。

 そうだ、同様に老境の「愉悦」「達観」をキーワードにする作品がもう一つあるぞ。
ヴェルディファルスタッフだ。
そして、この二つこそムーティが「もし無人島に持って行くとしたら」と公言憚らない至極の作品なのだ。

 そこまで理解が到達し、合点がいった私はうれしくて有頂天になった。終演後、私は鼻歌を歌いながら相棒と共に劇場近くの日本料理店「優月」に向かった・・・。



 この後、あっと驚くハプニングがあった。話は続きます。