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思い出のベト7

 新日フィル定期でベートーヴェン交響曲第7番を聴いた。ここで、ベト7で忘れられない公演を振り返ってみる。衝撃的だったクライバーバイエルン国立管の公演はまたの機会で書くことにし、バーンスタインにする。


1990年7月12日 ロンドン交響楽団 オーチャードホール
指揮 レナード・バーンスタイン(※ 大植英次
ブリテン ピーター・グライムズより4つの海の間奏曲
バーンスタイン ウェストサイド物語よりシンフォニックダンス(※)
ベートーヴェン 交響曲第7番


 この来日公演で事件が起こったことをご存じであろうか?
 ベト7とは関係ないので簡単に触れるに留めるが、プログラム中、2曲目のシンフォニックダンスの指揮を、バーンスタインは当時はまだ若手で無名だった一人の日本人指揮者に委ねたのだ。
 これに対し観客は怒った。
 サントリーホールの公演では終演後に納得のいかない観客が主催者に詰め寄り、一悶着あったことがニュースになった。

 かく言う私も上記の件については大変ガッカリした。しかし、公演を終えて一番ショックだったのは、メインのベト7が、精気がなくて、まるで「重しを背負わされているかのような」演奏だったことだ。バーンスタインはあたかも病床からようやく立ち上がり、ふらふらになりながら指揮台に上がったかのようだった。

 ウィーンフィルとの録音や映像にみられる輝かしくて喜びに満ち溢れたベト7はそこにはなかった。あまりの落差に、聴いていた私はただただ呆気にとられた。苦しそうな指揮姿に「もういいよ。やめようよ。無理しなくていいよ。」と心の中で声を掛けた。

 演奏後、私は一緒に行った友人に一言「バーンスタイン、死にそうだね。」と感想を伝えた。
 断っておくが、その時点で氏が既に病に冒されていることなど全く知らなかったし、知る由も無かった。だが、その演奏は完全に病んでいた。

 結局バーンスタインはこの公演を終えた後、残りの日程を消化できずに途中で帰国した。
私は当初、良かれと思って大植にプログラムの一部を委ねたことが逆にファンの失望を買い、そのことに落胆して怒って帰ってしまったのかと思った。

 それからわずか3ヶ月後、大巨匠は天に召された。
 今、改めて振り返って、偉大な芸術家の最後の力を振り絞った壮絶な闘いに立ち会ったのだと思う。「重しを背負っていたかのような演奏」と書いたが、十字架を背負っていたのだと思う。たくさんの巨匠の公演を聴いたが、あたかも神の啓示を受けたかのような体験があるのはバーンスタインのみである。