クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」2

N響の記念すべき定期演奏会第2000回公演が、いよいよ迫ってきた。
今から37年も昔の1986年、第1000回記念公演を聴いた人間としては、感慨深いものがある。そもそもマーラー交響曲第8番を生で鑑賞するのは、いつだってどんな時だってスペシャルなこと。期待のあまり胸の高まりを抑えられないが、その特別感をしかと噛みしめながら会場に足を運び、演奏を楽しみたいと思う。

ということで、今回のテーマは、その「千人交響曲」について。

実は、随分と以前、まだブログを開始したばかりの頃、一度この曲に関する記事を書いている。なので、いちおう今回はパート2という形になる。もしよろしければ、パート1もご覧になっていただけると幸い。

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 - クラシック、オペラの粋を極める! (hatenablog.com)

 

なお、今回の記事には、ちょっと湿っぽい、個人的に切なく辛い過去のお話が含まれている。予め、おことわりしておこう。


パート1記事にて、私が初めてこの曲を録音で聴いた時のエピソードを書いたが、初めて生公演で鑑賞したのは、1986年10月。若杉弘指揮による東京都交響楽団の演奏であった。
1986年、と聞いてピンと来る人は、かなりのクラシック通、そしてかなりのオールドファン(笑)。
日本のクラシックの殿堂、世界に誇るサントリーホールの記念すべき開館年。
オープニング・シリーズとして、ウィーン・フィルベルリン・フィルなど華やかなコンサートが連日開催されたが、都響のマラ8もそれらの一環の公演だったのである。

これはねえ・・・。痺れましたよ、マジで。

今でも、大音響によってホール内の空気が振動し、それが肌に伝わった興奮をはっきりと覚えている。一生忘れることはないだろう。

この時ソリストとして、R・ポップ、P・ザイフェルト、B・ヴァイクルといった名歌手が出演した。
この3人、同時期に開催されたN響1000回公演(メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」)にも出演。グッドタイミングが重なったことで、豪華なラインナップになったのであった。


2回目の生鑑賞は、1990年11月。
今度は、東京芸術劇場の開館記念のシリーズとして開催された、シノーポリ指揮フィルハーモニア管の来日によるマーラー交響曲全曲チクルス。この時も、S・ステューダ、W・マイヤー、T・アレン、H・ゾーティンなどといった名歌手たちが、華を添えた。

当時、日本のクラシック界において、「マーラー・ブーム」なるものが巻き起こっていたのをご存知か。
この東京芸術劇場の全曲チクルスは、そうした時勢にまさに乗っかっていたと言えよう。バブル景気が崩壊する直前だったこともあり、豪勢な企画が可能な時代でもあった。
うーー、懐かしいのう・・。
(完全にジジイの懐古)


この大曲をこれまでに海外で聴いたのは、たったの1回のみ。そう、記憶に新しい今年の5月、ライプツィヒで開催されたマーラー・フェスティバルだ。A・ネルソンス指揮ゲヴァントハウス管の演奏が、私の初めてのマラ8海外鑑賞だったのだ。


実はそれ以前に一度、海外にて聴くはずだったのに、夢、幻と消えてしまったことがあった。
1999年9月、ハイティンク指揮によるベルリン・フィルのマラ8公演(@フィルハーモニーホール)に行く予定で、私はドイツ旅行を計画した。チケットは入手済。ホテルも飛行機も予約済。それこそ、あとは現地ベルリンに行くだけだった。

ところが、残念なことに、旅行自体の中止、断念に追い込まれてしまう。

この時、私は親孝行のつもりで両親を海外旅行に誘った。家族旅行のはずだった。
ライトな音楽ファンではあったものの、決して大のクラシック好きではない両親にとって、ベルリン・フィルの現地鑑賞はあまりにも分不相応で、もったいないくらいだったが、それでも息子からの誘いと手配を喜び、楽しみにしてくれた。私は、この作品、そしてこの公演がどんなにスペシャルであるかを親に言って聞かせ、「耳に馴染ませるために、暇な時に聴いておいて」とマラ8の録音テープを手渡した。「はいはい」と、笑って受け取った母親。

旅行出発の2か月前の7月、その母が病に倒れた。それまで普通に元気だったのに、突然入院となった。急性白血病だった。

それこそ旅行どころではない。キャンセルはやむを得ず、そのことにこれっぽちの躊躇も無かった。

病状が一向に安定しないある日、見舞いのため入院先の病室に行ってみると、母はベッドに横たわりながら、ラジカセで音楽を聴いていた。
私が「聴いておいてね」と言い伝えた、マーラー交響曲第8番だった。

もう旅行は中止になったのに・・・。それどころではない体調のはずなのに・・・。
でも、きっと母にとって息子から渡されたその音楽は、一縷の希望の灯だったに違いない。その様子を見て、私は胸が締め付けられ、心の中で泣いた。

結局、母の病状は改善せず、そのまま他界。

以来、ずっと思っている。旅行の中止は仕方がなかったが、それでも「正直、あのタイミングは勘弁してほしかった」と。人間いつかは皆死ぬわけだが、でも、あの時じゃないだろうと。お迎えは、旅行に一緒に行き、ベルリン・フィルのマラ8を聴き、家族の楽しい思い出を作った後でもよかったじゃないかと。

と言いつつ、時期を選べないのがこの世の常。だからこそ「親孝行 したい時には 親はなし」ということわざがあるのだろう。