2023年11月22日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 サントリーホール
指揮 アンドリス・ネルソンス
ワーグナー トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第9番
「良い意味で」とあえて最初に断っておくが、ゲヴァントハウス管はローカルなオーケストラだと思う。
ローカルというと、どうしてもネガティブ・イメージになってしまうが、そうではない。
近年、世界の一流オーケストラは世界各国から優秀な奏者が入団し、演奏レベルも上がって、よりモダンで洗練された美しい音になっているが、ゲヴァントハウス管の場合、そうしたトレンドに背を向けているような気がするのだ。
特に、シューマン、メンデルスゾーン、そしてブルックナーの演奏において顕著だと思うのだが、例えばこの日のブルックナーでも、圧倒的な音響の構築というより、もっと陰影に富み、華美に走らず、しっとりとした表現をオーケストラの方から積極的に発信している印象を受ける。そのような演奏が「ブルックナーらしさ」を伴った香気となり、聴いている我々に伝わるのである。
指揮者ネルソンスも、そこらへんのことはよく分かっているとみえて、音楽の大局的な方向性を示す一方、ニュアンスやアーティキュレーションについては、オーケストラの主体性に任せている感じがする。そのやり方で十分に音楽が成立することを確信しているわけだ。
ならば、ネルソンスがオーケストラの音作りやビルドアップに深く関わっていないかといえば、決してそんなことはない。
なぜなら、シャイーが音楽監督だった時代とは、明らかにオーケストラの響きが変わっていることが見て取れるから。
まあ、シャイーの音作りがちょっと特異だったというのも、一面としてあるかもしれないが。
前半の「トリスタンとイゾルデ」も、興味深い演奏だった。
オペラではなく、いかにもオーケストラ・コンサート仕様の演奏。テンポ、弱音から強音のレンジの広さ、曲のピークへの持って行き方・・。
あえて対比させることを狙ってやっているのか、それとも、コンサートとして普通のアプローチなのか。ネルソンスさんに聞いてみたい。
コンサート・マスターは、私のお気に入り、「踊るコンマス」S・ブロイニンガー。
上で述べたゲヴァントハウス管の個性、特徴って、もしかして、この人の役割、存在感が大きく関わってたりする・・かも??