クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

カプリッチョ

「言葉(詞)が先か、音楽が先か・・・。」
「真の芸術たるは果たして詩なのか、それとも音楽なのか・・・。」

 深遠なるテーマを、一人の女性をめぐってライバル同士の作詞家(詩人)と作曲家が争うというドラマに重ね合わせ、作られたオペラ『カプリッチョ』。
 それぞれから言い寄られた未亡人の伯爵令嬢マドレーヌは、果たして詩人を選ぶのか、それとも作曲家を選ぶのか?

 人間が絡んでいるが、芸術上どちらが優れているかという究極論議にもなっており、そこに女優や舞台監督、バレエダンサーや歌手、さらにはプロンプターまで登場させ、物語をオペラ創作過程の裏話にまで発展させた、それはそれはまことに面白い作品である。名指揮者クレメンス・クラウスとの共同作業で生まれたR・シュトラウスの傑作にして彼の最後のオペラだ。

 作詞家が伯爵令嬢への思いの丈を込めて創作した愛の詩に、あろうことか作曲家は曲を付けてしまう。単語や文節、韻などはメロディの都合の良いように切り裂かれ、伸ばされる。
「僕の詩はいったいどこへいってしまったのか、果たして出来上がった作品は誰の物なのか?」
 作詞家が苦虫を噛み潰したようにつぶやく場面はいつ見ても笑ってしまうし、それぞれの立場から芸術上の優位性を討論する場面は、それを下支えするシュトラウスの天才的な作曲技法と併せて、のめり込んでしまう。

 マドレーヌは、詩も音楽も「どちらかが優れていてどちらかが劣る」という物ではないとし、もし一方を選んだらもう一方を失ってしまうのでは、と悩む。
 引き算の問題ではないのだ。それに、もし足し算をすれば、なんと「オペラ」が誕生するではないか!


 ということで、結論はでない(出しようがない)。

 だが。これはあくまでも私の印象と推論だが、マドレーヌの気持ちは50・50(フィフティ・フィフティ)ではないと感じる。ちょっとだけ「音楽」(あるいは作曲家)に傾いている気がするのだ。
理由その1。
作曲家が作った音楽作品を、常にうっとりと聴いている。
理由その2。
それぞれからの求愛に対し、作曲家に対してだけ「いつ、どこで返事をする」と答えている。また、この場面で、彼女は動揺しているように見受ける。(音楽的にも高揚を見せる)
理由その3。
兄の伯爵が「僕は詩の方が偉大だと思う。」と語っており、マドレーヌを若干音楽寄りとすることで物語全体のバランスが整う。

 もっとも、音楽家である指揮者C・クラウスと作曲家R・シュトラウスの共同作品なわけで、これはこれで頷ける。音楽ファンの私としてもむしろそうである方が嬉しい。


 ところで、今回のブログで、なぜ突然『カプリッチョ』かというと・・・。

 先日、友人Kクンと一緒に、今話題の映画「天使と悪魔」を見に行ったのである。
 世界的に大ヒットした「ダ・ヴィンチ・コード」(原作:ダン・ブラウン)の第2弾だ。

 映画は、まるでジェットコースターのようにストーリーが早く展開し、スリリング感満載で非常に面白かった。
 一方で、複雑な背景、歴史的経緯、専門用語や理論の解説、推理の過程、論争や演説といった、原作において特に重きを置かれている事項は、ことごとくすっ飛ばされている。映画は一定の時間内という制約があるからだ。

 先に原作の小説を読んでしまったことも悩ましい問題だ。
 要するに、もう、最初から犯人が分かっているわけで、「さあ、いったい犯人は誰か?」といったハラハラドキドキが失われてしまうのである。

「作品の優劣は映画か、それとも文学か?」
「原作を先に読むべきか、映画を先に見るべきか?」

 映画を鑑賞しその後に飲みに行って、帰宅途中酔っぱらいながら、これらについてずっと考えた。そうしたら、カプリッチョを思い出したという次第です。


 そういや11月の二期会日生劇場共催の「カプリッチョ」、チケット発売になりましたね。なかなか上演されない貴重な機会ですよ!