2015年11月1日 マイニンゲン劇場(南テューリンゲン州立劇場)
指揮 フィリップ・バッハ
演出 アンソニー・ピラヴァキ
カミラ・リベロ・ソウサ(伯爵夫人マドレーヌ)、デヘ・シン(伯爵)、ダニエル・ゼイリ(フラマン)、マリアン・クレイチク(オリヴィエ)、エルンスト・ガルステナウアー(ラ・ローシュ)、リタ・カプハンマー(クレーロン)、エルフ・エイテキン(ソプラノ歌手)、シヤボンガ・マクンゴ(テノール歌手) 他
驚いた。「劇場の街」と誇るだけのことはある。人口わずか2万人規模で、これだけの高水準のオペラを上演できる町が世界のいったいどこにあるというのか。にわかには信じられない。下手をすると1300万都市・東京にある某歌劇団よりも上を行く。これは客観的かつ正当な評価だ。第一に、ここには自前の劇場と自前のオーケストラがある。
ローカルにありがちな「地元民の地元民による・・」では決してない。上記出演者の名前を読んだだけで、インターナショナルであることがお分かりであろう。オケピットを覗いても、アジア系の人がチラホラ混ざっている。厳格なオーディションによって選ばれ、ここでキャリアを積み上げながら、あわよくばステップアップしようと目論む演奏家たちだ。かつてここの音楽監督を務めたこともあるキリル・ペトレンコも、そのようにして頂点に上り詰めていった。
特徴として、極めてアンサンブル能力が高いことが挙げられる。それから細かい演技が皆上手だということも。これはおそらく専属歌手で固める中小劇場の強みであろう。
歌手の中では、韓国出身デヘ・シンが上手い。ドイツ語も完璧。ブラジル出身カミラ・リベロ・ソウサは、少しクセのある声と歌い回しが特徴。演技の仕方、雰囲気、佇まいが、この役を得意とするルネ・フレミングにそっくり。まさか参考にしているなどということはないだろうが・・。
演出も、とことん考え抜かれていて、思わず唸るほどだった。
下記の写真を見てほしい。
冒頭、序奏の弦楽六重奏。舞台上で奏でられたのだが、そのこと自体は大した問題ではない。
まず、右側の壁と窓がボロボロに破損されていることがおわかりであろうか。これは空襲の中での出来事なのだ。設定された時代は、第2次世界大戦の最中。つまり、作曲された時期である。
演奏者の後ろでスコアを手に持ちながら演奏を見守っている人物はラ・ローシュ。芸術の守護者を自認するラ・ローシュは、ひょっとするとR・シュトラウス自身なのかもしれない。そんな気がする。空襲を恐れ、不安な日常を過ごしつつも、常に平和を希求し、そういう時代だからこそ心の拠り所として音楽を求めている。そんな彼は、昔の古き良き時代を懐古する。
すると、だ。
写真の背景に飾ってある大きな額縁の絵の中から、ロココ調の衣装をまとった人物が蘇って舞台に登場してくる。つまり、てっきり絵として描かれていたと思っていたのは、実は生の人間だったのだ。このトリックには腰を抜かすほど驚いた。(絵に見せかけ、立体感が出ないように、あえて紗幕を差し込み、ぼかしを作るほどの手の入れ様。)
なので、物語が大詰めを迎え、伯爵夫人マドレーヌが「音楽か詩か」「フラマンかオリヴィエか」を決めかねつつ、深い哀愁を帯びた歌を歌い終わると、彼女は額縁の絵の中に再び戻っていく。あたかもばらの騎士の公爵夫人マルシャリンのように、毅然としつつ、名残惜しむような後ろ姿で。こうして古き良き時代の懐古が終わるという筋書きだ。これは本当に見事!鮮やか!素晴らしい!
なかなか観賞の機会がないR・シュトラウスの最後のオペラを観るために、はるばるここまでやってきて本当に良かったと心から思えた名プロダクションであった。