クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2008/9/14 二期会 エフゲニー・オネーギン

2008年9月14日 二期会 東京文化会館
チャイコフスキー エフゲニー・オネーギン
指揮 アレクサンドル・アニシモフ
演出 ペーター・コンヴィチュニー
東京交響楽団
津山恵(タチアーナ)、田村由貴絵(オルガ)、黒田博(オネーギン)、樋口達哉(レンスキー)、佐藤泰弘(グレーミン公爵) 他


 何はともあれ、やはりコンヴィチュニーの演出が第一であろう。微細隅々まで行き届いた演技指導で、オペラを「演劇」に仕立てた。歌手の皆さんは本当によく演じたと思う。ただ、どうしても「演技している」と見えてしまう。もう少し自然さが欲しかったが、役者じゃないのでしようがないか。

 コンヴィチュニーという演出家は、「(慣例的に)ここは当然こうするもの」という常識を必ずと言っていいほど覆す。だから、舞踏会の場面は上流貴族たちの優雅なダンスパーティには絶対ならないだろうと予想していたが、案の定である。気取った仮面を剥ぎ取って人間の本性をさらけ出そうとするから、酔っぱらった乱痴気騒ぎが登場する。アイーダの凱旋場面でもそうだったとおり、彼の常套手段だ。それが人間の深層のドラマを作っていくための彼流の手法なのだ。そのことを見る側が受け入れ、理解しようとしないと、彼はただ単に作品をぶっ壊す醜い演出家にしか映らない。しかし、要は、見る側の我々こそがその度量の大きさを試されているような気がする。

 あろうことか決闘するはめになってしまうオネーギンとレンスキー。二人は歌う「もう、もとに戻ることは出来ないのか?ノーだ。」心の中で、バカなことをやってしまったと思っていても、時計は元に戻せない。戻そうと思っても、世間など様々な障壁がそれを許さない。多数の人間がそれを迫り、取り囲まれて逃げられない状況に追い込まれて決闘となる。レンスキーが死に、元に戻らないことに嘆き悲しみながら亡骸と一緒に踊るポロネーズはまさに「衝撃的!」の一言だ。ここのシーンこそがこのプロダクションの核心だったと思う。

 歌唱のレベルは十分に満足できた。難しいロシア語をよくまあ物にしたなあと思う。原語を学び、セリフを暗記し、その上演技して歌う、つくづくオペラ歌手って大変だなと思う。