クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2016/5/6 ムツェンスク群のマクベス夫人

2016年5月6日  アウグスブルク市立劇場
指揮  ドモンコス・ヘージャ
ユン・クオン(ボリス)、キム・ジフン(ジノヴィ)、サリー・ドゥランド(カテリーナ)、マティアス・シュルツ(セルゲイ)、アンドレア・ベルレット(アクシーニャ)、ケルスティン・ゲッシャー(ソニェートカ)   他
 
 
アウグスブルクといえば、日本での一般的なイメージは「歴史を感じさせるミュンヘン郊外の観光小都市」といったところだろうか。
実際には人口26万人もいる立派な中堅都市である。
よって、ここにも劇場がちゃんと存在する。
もちろんマイナーかもしれないが、ドイツでは指揮者や歌手、演出家たちは、まずこうした中小劇場からスタートし、キャリアを積み、ステップアップを目論む。なので、その中に将来のビッグネームが潜んでいることがある。決して侮れないのだ。
 
例えば、先日の東京・春・音楽祭「ジークフリート」などで評判となったテノール歌手ゲアハルト・ジーゲル。彼はこの劇場出身だ。ロビーや階段にこれまで上演してきた公演写真がパネル掲示されていて、その中にいくつも彼を見つけることが出来る。
日本ではミーメを得意とするキャラクター・テノールで有名だが、なんと、この劇場ではトリスタンやローエングリンなどのヘルデン・テノールとして出演していた!
 
さて、この日の公演について。
私はこの作品が大好きで、この作品が上演されるのなら、別にどこの劇場だろうと、指揮者や歌手が誰だろうと出向いてしまうわけだが、今回のスタッフ・キャストには誰でも知っているビッグネームがそこにあった。
そう、もちろん演出のペーター・コンヴィチュニーである。
 
かつて、世界の最先端を行く前衛演出家の一人として非常に高い評価を得、オペラの権威誌から毎年のように「最優秀演出家」として選出されていた。
 
今や過去形(笑)。かの栄光や、いずこ。
 
私は彼の凋落をずいぶん前に予見していた。
発想は決して悪くないし、十分に考え抜かれているとも思う。当初は好きな演出家だった。
だが、アイデアは他の演出作品にも使い回しされ、手法はパターン化される。最初のうちは「そうやるか!そうきたか!」と驚きの連続だったが、やがてそうした狙いが見透かされ始めた。「どうせ、こうするんだろ?」と予測すると、そのとおりになる。だめだよ、それじゃあ。
 
今回のプロダクション、彼一流の過激さや尖がりは影を潜めていた。いや、ひょっとすると彼なりに尖がりを主張したのかもしれないが、もはや目新しさを見いだせない、と言った方が正確かもしれない。
 
特徴としては、カテリーナの浮気は「拒んではみたものの、抗しきれず、運命の力によって墜ちてしまった」のではなく、「最初からその気満々で、心の中に誰もが持っている好奇心冒険心に逆らうことなく、あっけらかんと従っただけ」というもの。
 
「ふーん」という感じだ。それで? 別に、目新しくないんだけど・・。
 
いくつかある性描写シーンは、かなり露骨。ナイーブな人は眉を顰めるかもしれない。
だけど、それだってコンヴィチュの手法として、もはやパターン。「彼らしいのう」の一言で終わってしまうのだ。
 
主役カテリーナを歌ったドゥランドは、劇場専属歌手。とても良かった。立ち振舞いがあたかも女王様のように貫禄が漂う。この劇場で、やや強めの役はすべて彼女の物。トゥーランドットもトスカも、エルザもイゾルデも、みんな彼女。そりゃ、たくましくなるわなあ。
ボリスを歌ったクオンは、歌も素晴らしいし、演技にも凄みがあって、存在感抜群。
それにしても、近年の韓国人の活躍は本当に目覚ましい。ドイツ全土における数々の劇場で、彼らを見かけないことはない。オペラ上演の一端を完全に彼らが担っている。
それに比べて我らが同胞は・・・。
 
ちなみにこのプロダクション、ロシア語ではなく、ドイツ語訳上演。主に専属歌手でレパートリーをこなさなければならない中小劇場にとっては、原語上演は難しいか。
 
終演は午後11時。
ここで、恐れていたことがやっぱり起きてしまった。
遅くまで営業しているレストランを見つけられないのだ。飲むだけのBARならやっている。だが、食事は提供してくれない。コンビニなんか、あるわけない。(ホント日本はいいよなー。)
 
苦渋の決断で、今回もやっぱり最後の砦、最終手段にすがった。ケバブ店。またか・・・。でも仕方がない。
別にケバブでもいいんだけどさ、せっかくの旅行最終日の夜なのに・・というのがどうにも引っかかった。でも、ないんだから仕方がない。