クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

感染者数って・・・

緊急事態宣言が解除された後、すぐに感染者数が前週比で増加傾向を示すようになり、マスコミや政府関係者、専門家たちはさっそく懸念や警告を発している。

私は思わず「フッ」とため息をつき、首を横に振る。

なに騒いどるねん。そんなの当たり前だろうがよ。
だって緊急事態宣言を解除したんだぜ。
解除したんだから人流が増え出すの、当然じゃんかよ。
で、解除すれば感染者数が増加することくらい、だれでも簡単に予想できただろうがよ?
ガキだって分かることだぜっつうの。バカじゃねえの?
感染者数の増加がヤバいんだったら、だったら解除するなよ。なんで解除したんだよ?
「まあいいか」と思って解除したんだろ? だったら、結果増加したからといっていちいち騒ぐんじゃねえよ。

そもそも私は思うことがある。
そのことは、もしかしたら私の勝手な思い込み、間違った思い込みかもしれない。
もしそうだとしたら、それはスマン。「バカなヤツだ」くらいに思ってくれ。

毎日毎日「感染者」の数値と傾向を飽きるくらい呆れるくらい報道しているが、「感染者数って本当に重要な数値なのか?」ということだ。

私は(あくまでも私は)、感染者数よりも、重症者数、死亡者数、医療逼迫の度合いに関する傾向の数値の方がよっぽど重要なのでは?と思うわけである。

なぜなら、このコロナCovid-19は、感染しても無症状だったり軽症だったりの人がほとんど。感染したら他の人に移さないように隔離し、自らは安静にしていれば大丈夫なケースがほとんどだからだ。つまり、感染したからといって、多くは直ちに重症化したり死に直結したりしない、それほど恐れるに足らずの病気なのである。

もちろん、重症化することがある。
そこ。問題はそこだ。
だからこそ、医療の供給体制が一番大事だ。その意味で、重症者数傾向、死亡者数傾向、医療逼迫の度合いに関するデータこそがまさに重要なのだ。

特に、ワクチン接種が徐々に進行しつつある今現在において、この理解は大切だ。

みんな、多くの人が、ワクチンを打ちさえすれば感染しないと思っている。
だから、ワクチン接種が非常に進んでいるイスラエルやイギリスなどで変異株による感染者数が増加しているというニュースを耳にし、人々は慄いている。

違うのである。
ワクチンは感染自体を防ぐことが出来ないのだ。そういう薬ではないのだ。
ワクチンとは、ワクチンの効能とは、体内に侵入したウィルスと戦う武器「抗体」を作り出すこと。感染したとしても、身体が重症化しないように抗体がウィルスと戦ってくれるのである。

なので、我々がしっかりと確認すべきことは、イスラエルやイギリスなどで重症者や死亡者の数がどういう傾向を示しているか、ということ。感染者数の動向ではないのだ。
もし、重症者数や死亡者数が感染者数に比例して増加しているのであれば、それはワクチン効果が表れていない証拠。一方で重症者数や死亡者数がある程度抑えられていれば、それはワクチン効果があったことを示す。
そこがポイントなのだ。

 

以前の記事にも書いたが、このコロナは自然消滅しない。

だからこそ、世界も日本も、「感染させない」ではなく、「感染したとしても重症化させない」という目標に舵を切り、その切り札となるワクチン接種の拡大に躍起になっている。

つまり、もうフェーズが次の段階に来ているのだ。


なのに、日本の報道は、国内においても海外においても、未だに感染者数の動向一色オンパレード・・・。

こんなド素人のオイラでさえ分かることなのに、世の中にたくさんの専門家たちがいて、どうしてきちんとした正しい知識が世間に浸透しないのだろうか??

2021/6/20 読響

2021年6月20日   読売日本交響楽団   東京芸術劇場
指揮   セバスティアン・ヴァイグレ
反田恭平(ピアノ)
ワーグナー  タンホイザー序曲
シューマン  ピアノ協奏曲
チャイコフスキー  交響曲第5番


いくら契約順守、あるいは首席指揮者の責務とはいえ、過酷な2週間待機隔離を受け入れ、来日してくれるのは、本当に頭が下がる思い。申し訳ないくらいである。
ただ、ヴァイグレの公演は、前回来日時と同様、複数のプログラムを振ることになっていて、滞在期間も長い。これなら本人も納得というところだろうか。
先日の東響のノット、N響のヤルヴィは、それぞれ2公演のみだった。これは辛い。公演の予定というのは随分と前から決まっていることなので、フレキシブルに対応できず、仕方ないかもしれないが、もうちょっと何とかしてあげられなかったのかな、と思う。

今回私が足を運んだのは、ちょっとライトなファン向け名曲コンサートっぽい趣き。
まあ、こういうコンサートもたまにはいいでしょう。
会場はほぼ満員。どうやらソリスト目当てのピアノファンが多く駆け付けた模様。
そういうコンサートもまた、たまにはいいでしょう(笑)。

ヴァイグレの音楽については、一つ新たな発見をした。
作品の中に演奏上のピークを見つけ、ベクトルを作り、そこに向かって推進していく。そういう音楽作りをしている、ということだった。さらっと流すところと、一気に畳み掛けるところのメリハリがはっきりしている。タンホイザーにおいても、チャイ5においても、そんな感じだった。

演奏はとても洗練されていて、スタイリッシュ、スポーティ。颯爽としてカッコイイのだ。
一方で、ドイツっぽい重厚さ、ロシアっぽいローカルさは、あまり滲み出てこない。
これは多分、ヴァイグレがというより、読響のスタイルのせいではないだろうか。
良いか悪いか、好きか嫌いかは、それぞれの感じ方次第だろう。

えー、人気ピアニストによるコンチェルトですが・・。
すみません、ウトウトしてました。ごめんなさい。


休憩中、そのピアノコンチェルトについて、お若い女性が「この曲、彼に合わない。絶対に選曲ミスよね!」と、お連れさんに鼻息荒く語っているのを、横で耳にしてしまった。

大きなお世話かもしれないが、たぶんそれは「曲が彼に合わない」のではなく、「単にあなたが勝手にイメージしているものと合ってない」だけなんじゃないか、と邪推してしまった。
もっとオープンに懐を広げて聴いてあげればいいのに、と思ったのだが・・・おっとすみません、ウトウトしていた人間が偉そうなことは言えませんな(笑)。

デンマーク対ベルギー戦

全世界に衝撃が走ったデンマークフィンランド戦。インテルで活躍するデンマーククリスティアン・エリクセンがピッチにバッタリと倒れた。騒然とした雰囲気の中、仲間の選手たちが彼を覆うように取り囲み、医師が救命措置を懸命に行っているシーンは、思わず息を呑んだ。
直ちに入院となり、無事回復したようだが、ピッチでは一時心肺停止にまで陥ったのだという。蘇生措置がうまくいき、多くのファンが安堵したことだろう。

続くデンマークの第2戦は、感動的だった。
デンマークのホームゲームのベルギー戦。満員に膨れ上がったスタジアム。
オープニング・セレモニーではエリクセンのネームが入った巨大なユニフォームパネルがフィールドに設置され、多くのファンやサポーターが各々エリクセンを励ますメッセージを書いたボードを掲げていた。
更に、ちょうどエリクセンが倒れた時間である試合経過10分になると、両チーム選手がプレーを中断し、エリクセンを励ますための拍手セレモニーを敢行。審判も参加し、会場全体が盛大で温かい拍手に包まれた。

なんて美しい、感動的な光景なのだろう。
見ていて思わず涙が出た。

世の中は世知辛い。アメリカでのヘイトクライムや中東での出来事を見るまでもなく、世界は憎しみや差別、欺瞞に溢れている。
それでも、コペンハーゲンで繰り広げられた連帯、絆を目の当たりにすると、人間って捨てたもんじゃないなと思う。


このベルギー戦で、デンマークの選手たちは、凄まじいくらいに気合いが入っていた。全員が「エリクセンのために」という旗印の下、一丸となったのだ。
そうなんだろうな。そうなるよな。当然だろう。

開始早々からベルギーのゴールに押し寄せる迫力はすごかった。優勝候補の一角を占めるベルギーは、しばらくの間押し込まれ、為す術もなく、タジタジだった。わずか2分でデンマークが先取点をゲットした時は、スタジアムが大きく揺れた。デンマーク国中の人々の心が一つになった瞬間だった。

しかし、歓喜は長く続かない。
デンマークはあまりにも気合いが入り過ぎ、あまりにも飛ばし過ぎた。気持ちは十分に伝わってきたし、理解できるが、やはり冷静さを欠いていたと思う。
サッカーは、90分間ずっと最初から最後まで全力で走り切ることなど不可能。気持ちだけでは勝てないのである。

百戦錬磨のベルギーは、それを分かっていた。たぶん相手が最初から前掛かりで来ることをお見通しだったのではないか。じっと耐え、先取点を取られても、落ち着いて冷静に反撃の時を待っていた。

反撃のタイミングを見てピッチに送り込まれた選手が、凄すぎた。
ケヴィン・デ・ブライネ、エデン・アザールアクセル・ヴィツェル。2018年ワールドカップで第3位という躍進を遂げたチームの主力たち。スーパースターだ。
こんな選出を途中交代で繰り出してくるベルギーは、まさに鬼である。

かくしてエリクセンのために勝利を捧げたかったデンマークを非情にも打ち砕く。

それでも、決勝点を決めたケヴィン・デ・ブライネは、ゴール・パフォーマンスを一切せず、他のベルギーの選手たちも喜びを控えた。国を越え、試合を越え、同じサッカー選手として、スポーツマンとして、連帯を示したのだ。本当に素晴らしかった。

デンマークの選手たちは、そりゃ悔しいだろう。
だが、スタジアムのファンたちは、全力で戦った選手たちに温かい拍手を送っていた。実に清々しかった。負けはしたが、語り継がれる試合をしたと思う。

2021/6/16 N響

2021年6月16日   NHK交響楽団   サントリーホール
指揮  パーヴォ・ヤルヴィ
青木尚佳(ヴァイオリン)
ペルト   スンマ(弦楽合奏版)
シベリウス   ヴァイオリン協奏曲
ニールセン   交響曲第4番 不滅


久しぶりのパーヴォ・ヤルヴィ。帰ってきたパーヴォ・ヤルヴィ
やっぱり首席指揮者が指揮台に立つと、オケ奏者たちの気合いの入れ方が違う。ものすごい熱気!
普段、なんとなくプライドが漂うあのN響の奏者たちが、ヤルヴィのタクトに食らいつくかのように前のめりになって演奏している。明らかにヤルヴィとのコラボを楽しんでいる。その様子を見ているだけでめっちゃ楽しい。
ヤルヴィは、タクトの仕掛けによってオーケストラが良い反応を起こすと、更に次の仕掛けを繰り出していく、そういう指揮者だ。
今回は、お互いが十分な手応えを感じながら、演奏がどんどんとエスカレートし、スリリングになっていく、まさしくそんな感じだった。

そんな迫真の演奏に導いた、もう一つの立役者がいた。
「曲」である。
ニールセンの交響曲第4番「不滅」。
もう本当にこの曲、最高だ。
聴いているだけでももちろん楽しいが、これは演奏していて、きっと楽しいんだろうなあ。
終盤の2台のティンパニーの炸裂は、いつ聴いても鳥肌モノ。
カーテンコールで、パーヴォさんが二人の起立を求めると、第一奏者さんがすかさず第二奏者さんのところに駆け寄って、腕タッチを交わしていた。いいなあ。素敵だなあ。

それにしてもワタクシ、この曲、好きすぎる。
今年3月の山田和樹指揮の読響公演に続いての鑑賞。頻繁に演奏される曲ではないが、これからもひとたびプログラムに載ったら、絶対に行くからね。


コンチェルトを演奏した青木尚佳さんは、ミュンヘン・フィルのコンサートマスターに就任したんですと。ほほう、それはそれは大したもの。
私はこのシベコンは個人的に、情熱的で激しい演奏ではなく、クールで理知的な演奏が好き。理想はヒラリー・ハーン
青木さんの演奏は、比較的私の好みに合っていて、良かったでございました。

ユーロが始まった

サッカー欧州選手権「ユーロ」が始まった。
本来なら昨年開催予定だった。オリンピックと同様、パンデミックで一年延期となっていた。大変な状況は今年も依然として相変わらずの中、こうして何とか開催の運びとなったのは喜ばしい。

今年はオリンピックも開催される(笑)。
(なに、その(笑)って)
だが、オリンピックの場合、残念ながら人々の関心や焦点は「競技」ではなく、ひたすら「日本人の活躍」「日本のメダル」へと向かってしまう。アホらしいくらいに。
日本なんかどうでもよくて、純粋に競技そのものを楽しみたい私。そんな私にとって、このナショナリズム的な異常現象はただただ気持ちが悪く、邪魔なものでしかない。

その点、ユーロはいい。
何と言っても日本は出場しない。「頑張れニッポン!」が無いのがいい。純粋にサッカーという競技に集中できる。レベルの高いプレーだけを楽しむことができる。いやー嬉しい。

注目点は、幾つもある。
まず、前回ワールドカップ覇者であるフランスが王者の威厳を見せつけるのか、ということ。
チャンピオンの貫禄に加え、タレントも豊富、経験も豊富。ベンゼマの復帰で戦力は更に上積みされた。優勝候補最右翼だろう。

次に、同じく前回のワールドカップで、フランスと好対照に世界の期待を裏切った伝統国ドイツ、イタリア、オランダが復刻の狼煙を上げてくるのか、ということ。
特にイタリアは予選全勝という圧倒的な力で勝ち抜け、開幕戦でもハンガリーに3:0と完勝した。アッズーリの栄光の時代は再び到来するのか!?

今回私が個人的に注目しているのはイングランド
若手の台頭が著しく、しかもそうした連中がチャンピオンズリーグの大舞台で華々しく躍動した。選出されたメンバーの名前を眺めるだけでワクワクし、思わず応援したくなってしまうスリー・ライオンズ

こうして、これから約1か月間、私はサッカー漬けの毎日を送る。
忙しいので、頼むから声掛けないでね。別にコンサートがなくても全然寂しくないからさ(笑)。

2021/6/12 N響

2021年6月12日   NHK交響楽団   東京芸術劇場
指揮  下野竜也
フィンジ   前奏曲
ブリテン   シンフォニア・ダ・レクイエム
ブルックナー   交響曲第0番


珍しい作品、いわゆるレア物をプログラムに据えることで、自らの方向性、スタイル、キャラを完全に確立させてしまったシモーノこと下野さん。
人とは違う自分の領分、居場所を確保し、それによって確かに個性は際立っている。世の中にはレア物好きの人も少なからずいるだろうし、オーケストラだってレパートリーを新規開拓したいだろうから、一定のニーズはあるのだろう。実際彼は多くのオーケストラからお呼びがかかり、活躍しているわけである。

だが、個人的に「なんだかなあ・・」と思う。困惑の一言。
私はレア物好きではない。これまでに聴いたこともなく、作曲家の名前さえ知らず、どうせ今後も聴く機会がほとんどないような作品は、はっきり言うが、私にとってどうでもいい。
例え聴いて「あ、いい曲だな!」と感じたとしても、その1回限りで終わってしまい、もう二度と聴けない作品の鑑賞に、いったいどれほどの価値があるというのか!?

ところが、最近はどこのオーケストラも、こうしたレア物をプログラムに積極的に採り上げるようになってきた。傾向、流行、風潮と言ってもいい。

これって、シモーノさんの功績なのか!?
やれやれ。


そんな下野さんのコンサートだが、時々「おー、これはいいな。これなら自分的にオッケーだな。」というのがある。(滅多に無いが)
この日のプロは、まさにそうしたものだった。(一曲目は、まあアレだが)

プログラム曲目の選考はさておき、下野さんが作る音楽は曖昧さがなく、フォルムがしっかりとして、毎度完成度が高く、感心する。
この日のブリテンも、ブルックナーも、立体感の構築が素晴らしい。
まるで、一級の建築士のようだ。
スコアという平面に書かれた設計図から、土台を固め、柱を立て、空間を作り、外装と内装を美しく施していく。仕上がりは万全なのだ。


もしかしたら下野さん的に「ブル0」はレア物扱いとしての採り上げだったかもしれないが、私はこの曲結構好きだ。他のブルックナー作品と比べても決して遜色ないと思う。
にも関わらずこの曲がマイナーの扱いにされてしまう原因は、「0番」というちょっと困ったナンバリングのせいではなかろうか。

この日配布されたプログラムの曲目解説によれば、元々第1番の次に作曲され、作曲家自身が自筆譜に「第2番」と記したが、後年に「0番」に直し、無効、取り消し扱いにした、とのこと。へえ、初めて知りました。

もしこの作品が普通に「第2番」になっていれば、その後の作品番号が一つずつ繰り下がって、「交響曲が第9番でストップする伝説」の作曲家群から外れたかもしれない、というわけか。
それはちょっと面白い。

入国が認められる基準は何?

今月に来日し、デュオ・リサイタルやデュオ・コンチェルトなどの演奏を行う予定だったウィーン・フィル木管コンビ、ダニエル・オッテンザマー(クラリネット)とソフィー・デルヴォーファゴット)。残念ながらコロナによる入国制限措置で来日が叶わず、一連の公演は中止になってしまった。私は、彩の国さいたま芸術劇場でのデュオ・リサイタル公演(6月26日)に行く予定だった。

デルヴォーが演奏するファゴットという楽器は、オーケストラのパートの中でもかなり地味で、あまり目立たない。だから、私も普段はファゴットの音に聴き入ることも注目することもほとんどないわけである。
ところが、あるウィーン・フィルのコンサートで、その麗しい音色に驚き、「うわー、この人めっちゃ上手ぇ~!」と聴き惚れ、その奏者の名前を慌てて確認したことがあった。
それがソフィー・デルヴォーであった。

そして、もう一人のアーティスト、ダニエル・オッテンザマー。ご存知、超が付くサラブレッド。
だいたい父がウィーン・フィルの元首席、弟がベルリン・フィルの首席、自分もウィーン・フィル首席って、どんだけ凄いクラリネット家族なの??

そんな二人のリサイタルは、楽しみだった。本当に残念だ。


ここで、ふと疑念が沸いてくる。
なぜ彼らは来日出来なかったのだろう。なぜ彼らは入国が認められなかったのだろう。

スケジュール上、待機隔離のため2週間以上の日程を確保し早めに来日することが出来なかった、あるいは出演者がそもそも2週間の待機隔離を受け入れられなかった、というのなら仕方がない。
そうではなく、本人たちは2週間の待機隔離を受け入れる覚悟だったのに、日本側当局の決定で外国人入国制限の対象にされ、ビザが下りなかったのだとしたら、「なぜ??」と思ってしまう。
ちゃんと入国が認められて、国内公演を行っている外国人アーティストが現にいるからだ。

バレンボイムムーティといった特例VIPはとりあえず置いておき。
ジョナサン・ノットやバッティストーニ、ヴァイグレ、ヤルヴィといった指揮者たち。
まあ彼らは各団体の首席指揮者だから、「絶対に不可欠」という申請申立てがあり、それが認可されたのだろう。

そうではない人たちがいる。
例えばテノール歌手ヴィットリオ・グリゴーロ。彼は今月の公演のため、もう既に来日したらしい。
それからサントリーホールが主催するチェンバー・ミュージック・ガーデン公演に出演中のエルサレム弦楽四重奏団
それ以外にも新国立劇場に出演する歌手、飯守泰次郎傘寿記念公演に出演したS・グールドなどの歌手たちも。

これに対し、オッテンザマー&デルヴォー、東京・春・音楽祭に出演予定だったマレク・ヤノフスキやその他の出演演奏家たち、アントニ・ヴィットなど客演として国内のオケを振る予定だった指揮者たちは、情報によれば、当局からの許可が得られず、泣く泣く来日を断念したらしいのだ。

この差は何?
認める認めないの基準は何?
いったいどこの誰が判断しているわけ?
政治力や強力な力添え、後ろ盾などがあれば有利なのか?

基準を明確にしろよ。そうじゃないと、楽しみにしていたファンを裏切ることになるし、関係者だって振り回されるし、損害を被ることにもなるんだぞ。
オッテンザマー&デルヴォー彩の国さいたま芸術劇場公演、完売したんだぜ!?