クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ムーティ様、御来日!?

なんとまあ、東京・春・音楽祭で、リッカルド・ムーティ様が御来日し、「マクベス」演奏会形式上演(イタリア・オペラ・アカデミー)や、モーツァルト交響曲(ハフナー、ジュピター)のコンサートを行うことが決定した。

これは驚いた。本当かよ・・・。

さらに驚いたのは、本人自身の「マクベス」作品解説による講演会や一連のアカデミー講習も併せて行うことで、そうすると最初のスケジュールは4月9日なのである。

いやちょっと待てよ。
あと一週間を切っているじゃないか。
ってことは、入国後の二週間隔離待機は免除ってことだよな。

それって、「いいの??」

「天下のムーティ、皇帝ムーティ様なのだから、いいのだよん」などというのは、全然答えになっていない。

要するにこれは、外国人の入国許可の一律停止から、「ま、条件によってはオッケーの場合もあり」という、制限措置の緩和、変更を日本政府が決定したということである。

もう一度言うけど、本当にそれで「いいの??」

おそらく主催者は、ムーティを始めとする外国人アーティストたちについて、入国後に隔離措置や検査等を厳密に講じることとする計画書を政府に提出し、更には政治的なコネクションなども利用して、例外適用をなんとか認めさせたのだろう。

で、政府にしても、損得勘定の計算をしている。
内外におけるインパクトや政権の宣伝効果が大きいと判断した。もちろんその裏には、オリ・パラ開催と、その際に発生する外国人入国の政治判断が結びついている。

かくして両者の思惑が一致したわけだ。
昨年のウィーン・フィルの来日と一緒ってこと。

まあとにかく、音楽ファンにとってはありがたいことで、いちおう歓迎はしよう。
この調子なら、秋に予定されているウィーン・フィルの再来日、ベルリン・フィルの来日なども認められるかな??

一方で、日本国内における感染の状況や対策はまったく改善されていないわけだが。
マンボウ」という略語の言葉がどうのこうのとか、そんなこたーどうでもいいっての。

2021/3/26 東京シティ・フィル

2021年3月26日   東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団   サントリーホール
指揮   高関健
モーツァルト  交響曲第31番 パリ
ショスタコーヴィチ  交響曲第8番


客席に入ると、ちょうど指揮者高関さんが本日の演奏作品についてマイクを持って解説の真っ最中。
こうした指揮者の話を聴けるというのは、聴衆にとって良い機会だと思う。
作品に対する理解が深まり、より鑑賞を楽しむ一助になるからだ。
私自身「重要なのはうんちくではなく、出てくる音」なんて思いつつ、その実、指揮者が作品のどこに着目しているのか、その作品をどのように解釈し、そこから何を捉えようとしているのかなどは、結構興味があるわけである。

その高関さんの話によれば、モーツァルトの第31番「パリ」は、「モーツァルトがパリの聴衆を意識しウケを狙って、結構色々なことを詰め込んだが、少々やりすぎて失敗」の作品なのだという。そして、「今回の演奏では、そうした部分をきちんと開示するので、ぜひ注目して聴いてほしい」という。

「へぇー、そうなのか」と思い、「ならば」と耳を澄まして聴いてみた。

指揮者が「例えばこんなところですよ」みたいにタクトで示してくれたのは、分かりやすかった。
でも、それが「少々やりすぎて失敗」とはまったく思えなかった。普通に「モーツァルト」だと思った。
それはもしかしたら異色なのかもしれないが、そうした異色な特徴さえ、モーツァルトという天才の為せる技として聴こえてしまう。
結局、それこそがモーツァルトではないかと思った。

そんなことより、私はむしろ演奏の方、つまり、演奏のクオリティが気になった。
プロ奏者たちは皆「モーツァルトは難しい」と口を揃える。
そういうことなのかな、と思ってしまった。


メインのショスタコは、一転してシティ・フィルの総力を挙げた熱演で、鮮烈な響きを構築させた。指揮者高関さんのタクトのキレもよく、視界良好である。

一方で、オーケストラのマックスの容量は、もう少し欲しいと感じた。
同じ100の出力であっても、120の容量と100の容量とでは、全然違うのだ。

ただし、これは「もう少し体が大きい方がいい」と言っているようなもので、無いものねだりなのかもしれない。
だとすれば「それを望んじゃいけないよ」なのかもしれないが、それでも私は「何でそれを望んではいかんのだ??」とも思うわけである。

スカラ座シーズン開幕ガラ・コンサート

3月21日に放送されたNHK-BSのプレミアムシアターを観た。ミラノ・スカラ座の2020/2021シーズン開幕ガラ・コンサートである。

スカラ座のシーズン開幕は、毎年12月。今年度は当初、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」(リッカルド・シャイーの指揮、ヤニス・コッコスの演出、リセッテ・オロペーサやファン・ディエゴ・フローレスらの出演)でスタートする予定だった。
しかし、コロナの影響で中止に。
やっていたら、可能であったら、是非とも現地で鑑賞したかった魅力的な演目であった。

予定どおりにシーズン開幕を迎えられなかったのは、世界中どこも同じ状況とはいえ、スカラ座にとって大きなショック、大きな損失だったはず。
だが、その代替公演で世界のトップ級歌手をこれでもかとばかりに集結させてみせたのは、いやはや、さすがは天下のスカラ座である。
(コロナのおかげ(?)でヒマになった歌手の出演アレンジメントがいつもより易しかったというラッキーな要因があるにせよ。)

とにかく、旬で選りすぐりの一流歌手が集った。そんな彼らが次から次へとステージに登場してくる様は、壮観の一言。
C・オポライス、C・ニールント、E・ブラット、S・ヨンチェヴァ、M・レベカ、E・ガランチャ、M・クレバッサなどといった女性陣。
R・アラーニャ、V・グリゴーロ、A・シャーガー、F・D・フローレス、P・ベチャワ、F・メーリ、C・アルヴァレス、L・サルシ、L・テジエ、I・アブドラザコフ、P・ドミンゴなどといった男性陣。

いやー、すごい。

当初の予定ではスター歌手J・カウフマンも出演予定だったが、キャンセル。さすがカウフマン、やっぱりカウフマン。こういうところ期待を裏切らないねえ。
フィナーレを除けばどの歌手も平等に持ち歌1曲のみなのに、ベチャワだけ2曲も歌って「ずるぃー」と思ったら、なんと、そのカウフマンの代わりだったみたい。
やっぱりお騒がせ男、カウフマン(笑)。

圧巻は、“レジェンド”ドミンゴで決まりか。
アンドレア・シェニエ」のカルロ・ジェラールのアリアを歌った。いやー、痺れました。
つい先日、晩節を汚し、汚名返上できぬままひっそりとお亡くなりになった指揮者がいたが、こちらの氏もセクハラ疑惑で世間を賑わしたにも関わらず、依然として大御所として存在感を際立たせているのは、対称的。さすがはレジェンド。


総合演出として、演出家のD・リヴェルモーレが、ちょっとした装置と背景映像、演技を織り交ぜながら、いくつかのシーンごとに舞台を作ったのは、とても印象的で良かった。
その一方で、イタリア人俳優たちを参加させ、寸劇やセリフによって曲と曲の間を繋がせたのは、はっきり言って不要だったかな・・。(イタリア人は面白かったのかもしれないが)
おそらく観客がいなくて演奏後の拍手が無く、間が悪いので、苦肉の策でそうしたのだろう。
でもやっぱり不要なので、一通り観終わった後、録画した物に編集を加え、ぜーんぶカットしちゃいました(笑)。あと、バレエとかも。そうしたら、約3時間の収録時間が2時間ちょっとに短縮した。

出演者もそうだろうし、観ている我々もそうだが、せっかく素晴らしい歌手たちが素晴らしい歌唱を披露しているのに、拍手喝采、ブラヴォーがないというのは、本当に寂しいし、残念。観客がいたら、どんなに盛り上がったことか。

それと、指揮者のシャイーも、指揮の最中ずっとマスクを付けているので、映像的にはなんだか様にならない。
リハは別にして、本番は外しても良かったと思うけどな。マスク姿の指揮がそのまま記録映像に残っちゃうからね。
それとも、「今回は、こういう特殊で異常な事態だったのだ」ということをあえて強調させる演出だったのだろうか。
なんとなくそうとも思えてきた。

2021/3/20 東京・春・音楽祭

2021年3月20日   東京・春・音楽祭(国立西洋美術館共催)   東京文化会館小ホール
美術と音楽 ~春(ダフニスとクロエ)
佐野隆哉(ピアノ)、島田彩乃(ピアノ)
サン・サーンス   死の舞踏
ビゼー   アルルの女 第一組曲、第二組曲
ラヴェル   ダフニスとクロエ 第二組曲


もしかしたら、例年なら目に留まらない、足を運ばないコンサートだったかもしれない。
幾つかの岐点やポイントが重なったことで、本公演が目に留まった。

まず、コロナの影響で、外来公演を中心にたくさんのコンサートが中止や延期に追い込まれ、鑑賞の機会が減ったため、自分の中にあった「コンサートを選ぶ基準」のハードルが下がったこと。
次に、そんなわけで自分のコンサート計画も寂しくなり、3月14日の読響公演からその次の26日のシティ・フィルの公演までの間、予定が何もなく、ぽっかりと空いていたこと。
それから、本公演は国立西洋美術館との共催だったことから、元々は美術館内のロビーで行われる予定だったが、国立西洋が現在改修中のため、その結果、ちゃんとしたクラシック専用ホールで催行することになったこと。

このような運と巡り合わせが重なり、目に留まった公演だが、よくよく見るとなかなか凝っていて、企画に優れた興味深いコンサートである。

美術館との共催ということで、音楽と絵画に共通している題材をテーマにし、まず題材の絵について美術館のキュレーター(主任研究員)からの解説があって、その後に、今度はその題材を扱った音楽が演奏される。
今回で言えば、「ダフニスとクロエ」である。

これは、音楽だけでなく美術鑑賞も趣味の一つにしている私にとって、とても面白かった。

ダフニスとクロエについて、古代ギリシャの物語がモチーフになっていることは知っていたが、それを題材にしてミレーが描いた一枚の絵を通し、作品や物語の起源に迫る。これは、純粋に自分の知識や教養を豊かにし、好奇心を刺激してくれるものだった。
つまり、「一粒で二度美味しい」公演だった。


肝心の音楽だが、プログラムはどの曲も日頃からオーケストラ作品として、オーケストラの演奏として、自分の耳に馴染んでいる。
それを、ピアノデュオで演奏したわけだが、私はというと、ピアノを聴きながらオーケストレーションを想像している。頭の中で、オーケストラの響きを思い浮かべている。

一方で、聴いている自分とは異なり、演奏者はあくまでもピアノ作品としてアプローチし、譜面を追いかけ、楽器を響かせている。当たり前って言えば当たり前だが。
そこに面白さが出てきたのだ。
あちこちの箇所でオーケストラと異なるピアニズムを感じ取ることとなり、ハッとする。作品の新たな視点や魅力が見つかるわけである。

お客さんの入りが少なかったのが少々残念だったが、私は「行って良かった」と心から思えたコンサートだった。

ジェームズ・レヴァイン

ジェームズ・レヴァイン氏の訃報が飛び込んできた。77歳だったとのこと。
「そういう歳か」という思いがある。「まだ早いよな」という思いもある。両方が折り混ざって複雑な気持ちだ。
ここ10年くらいはずっと健康不安を抱えていた。本人からしてみたら、もっと踏ん張りたかったかもしれない。

更に本人にとって生涯の痛恨だったのは、性的虐待疑惑が浮上し、晩節を汚したことだろう。

自らはこれを否定していた。
一方で、その疑惑は限りなくクロだとされ、表舞台から強制退場させられた。
メトは永年の功労者である彼を解雇。これを不服としたレヴァインは訴訟に持ち込んだが、最終的には和解になったと聞く。
どのように落とし所を付けたのかは定かではない。が、いずれにしても、二度とメトのピットに入ることはなかった。

本人は忸怩たる思いだっただろう。それくらいメトロポリタン・オペラとの関係は強固に結ばれていた。レヴァインは、まさにメトの看板、顔だった。

私は現地ニューヨークで、彼が振ったオペラを4回鑑賞している。
聴衆に支えられているな、地元のファンに愛されているな、とつくづく感じたものだ。指揮者に対する拍手が熱いのである。
そりゃそうだろう。長年にわたってメトを引っ張り、メトを世界屈指の歌劇場に育て上げたのはレヴァインだ。彼は、オペラを愛するNY市民の誇りだったと思う。

キャリアの中では、ウィーン・フィルとの定期的な共演やレコーディング、ザルツブルク音楽祭バイロイト音楽祭での華々しい活躍など、クラシック界の寵児として、一時代を築いた。
その後にポストを得たミュンヘン・フィルやボストン響では、必ずしも大成功とはいかなかったが、メトがあまりにも忙しすぎて、腰を据えて取り組めなかったという事情があったのかもしれない。

日本との縁やつながり、来日公演の機会も、残念ながらそれほど多かったとは言えない。
軸足が歌劇場のシェフだったため、普通の外来オーケストラの客演のようにはいかなかったのだろう。2001年の来日が最後(のはず)で、20年もご無沙汰で、そのままもう二度とかなわなくなってしまった。
それでも、なぜか妙に馴染み深いと感じるのは、メトロポリタン・オペラのメディア戦略である「メト・ライブビューイング」に頻繁に登場し、インタビューに応じて、その人懐っこい顔を世界中に売ったからに違いない。


私が個人的にレヴァインの印象として脳裏に焼き付いているのは、LD・DVDソフトの1988年ライブ収録作品、メト制作の「ナクソス島のアリアドネ」で、そこに特典として付いていた同プロダクションのリハーサル風景。
指揮者がいかにしてオペラの舞台や音楽を作っていくかという過程を垣間見せてくれる。とても貴重で興味深い映像だ。

レヴァイン自らピアノ伴奏しながら、ジェシー・ノーマンに稽古をつけるシーン。
彼女の痺れるような歌声に「アンビリーバボー!」と首を横に振り、ため息をつきながらも、もう楽しくて仕方がない、嬉しくて仕方がない、なんてジェシーってすごいんだ、なんて音楽って素晴らしいんだ、みたいに感じ入りながら、笑顔を湛えているそのレヴァインの表情が、すごくいい。

レヴァイン、きっと三度の飯よりも音楽が好きなんだろうな。

そんな好感を抱かせるほどだったのに、晩年のセクハラ疑惑はとんだ冷や水だった。
なんだか日本中の誰からも親しまれていた愛ちゃんの不倫疑惑みたいな後味の悪さ(笑)。

ま、それはともかくとして、どうか安らかに。

2021/3/14 読響

2021年3月14日   読売日本交響楽団   東京芸術劇場
指揮   山田和樹
清水和音(ピアノ)
コープランド   エル・サロン・メヒコ
ガーシュイン   ピアノ協奏曲
ヴィラ・ロボス   ブラジル風バッハ第9番
レスピーギ   ローマの松


山田和樹が3つのプログラムを担った3月の読響公演シリーズ。彼の手腕がイマイチ分からなかったため、今回の一連の公演で確かめる機会にしたい、と思っていたことについては、以前のブログに書いた。こうして3つとも聴き終えた今、彼の実力の片鱗をはっきりと捉えることが出来、何だかスッキリ。清々しい気分でいっぱいだ。

3公演のプログラムにはたくさんの作品が並んだ。合計10曲。これら一つ一つの作品が個々の魅惑に満ち、鮮やかに輝いていた。指揮者が作品にスポットライトを当て、躍動感と色彩感を与え、生命力を宿したことは間違いがない。そう確信した。

この日のコープランドガーシュイン、ヴィラ・ロボスは、南北のアメリカを代表する作曲家。ヨーロッパの古典物とは一味違う風情があるが、そうした雰囲気、ぬくもり、薫りみたいなものを漂わせ、エキゾチックさを醸し出すヤマカズさんのサウンド作りが、いかにも粋であったと思う。

異国情緒溢れるアメリカ物から、一気に南欧に飛ばしたプログラムの意図は不明だが、レスピーギらしい絢爛豪華なサウンドと、「松」らしい圧倒的な盛り上がりは、純粋に心躍るものだった。

また、個人的に、エル・サロン・メヒコを聴けたのは、嬉しかった。生で初めて聴いた。
厳密に言うと、大昔、アマチュア吹奏楽の演奏で聴いたことがある。高校生の時、結構お気に入りの曲だったのだ。
当時ラッパ小僧だった私は、この曲の最初の方に出てくるトランペット・ソロ部分をよく真似て吹いた。何気ない旋律のように聴こえるが、リップトリルという高度なテクニックが必要だった。だから繰り返し繰り返し練習したっけな。
読響のラッパ奏者さんは、実にさりげなく、軽々と、難なく演奏していた。やっぱりプロってすごい。

ニールセン 交響曲第4番「不滅」

交響曲などクラシック作品には、標題が付いている物が少なくない。
作曲家自身が付与した物、他人が付けた物、なんとなくいつの間にかそのように呼ばれるようになった物、様々だ。
作曲家自身が付与していない物について、「作品タイトルとして扱っていいのか」という問題や議論はあろう。それはさておき、現実的には標題があると略称、呼称になって便利だし、親近感が湧くというメリットもある。
中には、日本語のネーミングが見事に絶品で、その日本語標題が作品そのものを完全に体現していると言っても過言ではない物もある。「悲愴」とかね。

そして、ニールセンの交響曲第4番に付いている「不滅」も、これまたまさにその部類に入ってくる。

「不滅」
いやー、めっちゃカッコいい響き。「永久」「永遠」を想起させる言葉であり、壮大かつ深淵で、実にイイ。

作曲家が付与したオリジナル原語を直訳すると、「消し去ることが出来ないもの」「滅ぼし難いもの」みたいな感じらしい。
それを、「不滅」。
いやー、カッコいい(笑)。
この日本語訳を付けた人(あるいは定着させた人)、グッジョブである。

何を隠そう、私がこの作品に出会ったきっかけも、たまたま手に取ったレコードのジャケットに記載されたタイトルに思わず惹かれたからである。
大学1年生くらいだったかなあ。カラヤン指揮ベルリン・フィルの録音盤であった。

聴いてみると、音楽もカッコよくて、思いきりハマった。クライマックスの例の2台のティンパニーの炸裂に興奮し、熱狂した。
「この曲、最高じゃんか!!」 そう思った。

当時、大学の管弦楽部に入っていた私は、ぜひこの曲を演奏したいと思った。
大学3年生の時、部の創立25周年記念定期演奏会で、大曲「ブルックナー交響曲第8番」に挑み、大いなる充実感と達成感を獲得したその翌年。学生生活最後の年、私はこの「不滅」をなんとしてもやりたいと思った。

定期演奏会のメインプロに何の曲をやるかについては、部内で決めるための手順があった。
まず、一般部員からやりたい曲を公募。その後、「選曲委員会」を立ち上げ、そこで議論して候補を絞り、決める。最終的な決定権は音楽監督(指揮者)にあったが、選曲委員会が上程した曲は尊重され、音楽監督がこれをひっくり返すことはほとんど無かった。
つまり、選曲委員会がどの曲を選ぶかが、運命の分かれ目だった。

委員会メンバーではなかった私は、ここで積極果敢に諜報活動とロビー活動を展開。地道かつ緻密な工作活動(何人かのメンバーにはコーヒーおごったっけな)が実を結び、私のイチオシ「不滅」は、ついに「最終候補に絞られた2作品のうちの1つ」になった。いいぞ!!

しかーし。
ここまでだった。あえなく落選。ガクッ・・・・。

委員会メンバーから落選理由を聞き出した私は、その内容に唖然としてしまった。
この曲を知っている方はお分かりだと思うが、後半部に、弦楽器においてちょっと難しそうな素早いユニゾンのパッセージがあり、視聴会でここの部分を聞いた弦楽器の委員たちが一斉に「難しそう」「多分無理」「破綻しそう」と怖じ気づいた、というのだ。

なんたること・・・。
情けないったらありゃしない。本当に泣けてくる。
アホか、おまえら。「難しい」だと?
だから何だ。難しいのなら練習しろ。それだけじゃないか。
あのさあ・・。逃げるなよー。挑戦しようぜー。俺たちはアマチュアなんだぜ。結果なんて誰からも問われない。自己満足、やったもん勝ちの世界なんだ。

ちなみに、最終選考に残った2曲のうちもう一つ、「不滅」と争ってついに栄冠を勝ち得たのは、チャイコフスキー交響曲第4番。「チャイ4」だった。

チャイ4かあ。チャイ4に負けたか~。ガクッ・・・・。

マチュア、シロウトって、ほんとチャイコとかブラー◯スとか、好きなんだよな。
私はアマチュアのマジョリティに負けた。連中の無難なオーソドックス志向に負けた。くそー。


大学時代のエピソードをもう一つ。
これは「不滅」というより、「ニールセン」に関して。

管弦楽部とは関係のない友人仲間の一人が、生意気にも学生の分際で休暇を利用しヨーロッパ旅行に行きやがった。そしたら、現地でデンマーク人と知り合いになり、お友達になった。
そのデンマーク人が、今度はそいつに会うため、はるばる日本にやって来た。(男女ではなく、男同士の関係です。)
友人は、さっそくそのデンマーク人をおもてなしするため、仲間を招集し、飲み会を催した。そこに、私もお呼ばれされた。
とは言っても、相手は日本語がまったく分からないガイジン。向こうは英語がペラペラだったが、我々は片言。楽しかったけど、結構悪戦苦闘した記憶が残っている。

そんな中、仲間の誰かがそのデンマーク人に質問した。
「ところで、童話作家アンデルセン以外で、世界的に有名なデンマーク人って、誰かいますかね??」

北欧からやってきた男は、こう答えたのである。
カール・ニールセン!」

ニッポン人一同、キョトン。「誰? それ?」みたいな。

その中で、「おお!! ニールセン! コンポーザー!」と声を上げ、立ち上がった人がいた。

オレ様である。
へっへっへ。

デンマーク人は、「Oh! You know him?」と言い、喜んだ様子で私に握手を求めてきた。
その瞬間、私は仲間連中から驚きと羨望の眼差しを向けられ、しばし優越感に浸ったのであった。
どうだおまえら。まいったか。

もっとも、その時点で私が知っていたニールセンの作品は「不滅」たったの一曲のみで、作曲家の顔すら知らなかったわけであるが・・・。
(ていうか、今でも顔のイメージは湧きません)