クラシック、オペラの粋を極める!

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2021/3/26 東京シティ・フィル

2021年3月26日   東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団   サントリーホール
指揮   高関健
モーツァルト  交響曲第31番 パリ
ショスタコーヴィチ  交響曲第8番


客席に入ると、ちょうど指揮者高関さんが本日の演奏作品についてマイクを持って解説の真っ最中。
こうした指揮者の話を聴けるというのは、聴衆にとって良い機会だと思う。
作品に対する理解が深まり、より鑑賞を楽しむ一助になるからだ。
私自身「重要なのはうんちくではなく、出てくる音」なんて思いつつ、その実、指揮者が作品のどこに着目しているのか、その作品をどのように解釈し、そこから何を捉えようとしているのかなどは、結構興味があるわけである。

その高関さんの話によれば、モーツァルトの第31番「パリ」は、「モーツァルトがパリの聴衆を意識しウケを狙って、結構色々なことを詰め込んだが、少々やりすぎて失敗」の作品なのだという。そして、「今回の演奏では、そうした部分をきちんと開示するので、ぜひ注目して聴いてほしい」という。

「へぇー、そうなのか」と思い、「ならば」と耳を澄まして聴いてみた。

指揮者が「例えばこんなところですよ」みたいにタクトで示してくれたのは、分かりやすかった。
でも、それが「少々やりすぎて失敗」とはまったく思えなかった。普通に「モーツァルト」だと思った。
それはもしかしたら異色なのかもしれないが、そうした異色な特徴さえ、モーツァルトという天才の為せる技として聴こえてしまう。
結局、それこそがモーツァルトではないかと思った。

そんなことより、私はむしろ演奏の方、つまり、演奏のクオリティが気になった。
プロ奏者たちは皆「モーツァルトは難しい」と口を揃える。
そういうことなのかな、と思ってしまった。


メインのショスタコは、一転してシティ・フィルの総力を挙げた熱演で、鮮烈な響きを構築させた。指揮者高関さんのタクトのキレもよく、視界良好である。

一方で、オーケストラのマックスの容量は、もう少し欲しいと感じた。
同じ100の出力であっても、120の容量と100の容量とでは、全然違うのだ。

ただし、これは「もう少し体が大きい方がいい」と言っているようなもので、無いものねだりなのかもしれない。
だとすれば「それを望んじゃいけないよ」なのかもしれないが、それでも私は「何でそれを望んではいかんのだ??」とも思うわけである。