クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ジェームズ・レヴァイン

ジェームズ・レヴァイン氏の訃報が飛び込んできた。77歳だったとのこと。
「そういう歳か」という思いがある。「まだ早いよな」という思いもある。両方が折り混ざって複雑な気持ちだ。
ここ10年くらいはずっと健康不安を抱えていた。本人からしてみたら、もっと踏ん張りたかったかもしれない。

更に本人にとって生涯の痛恨だったのは、性的虐待疑惑が浮上し、晩節を汚したことだろう。

自らはこれを否定していた。
一方で、その疑惑は限りなくクロだとされ、表舞台から強制退場させられた。
メトは永年の功労者である彼を解雇。これを不服としたレヴァインは訴訟に持ち込んだが、最終的には和解になったと聞く。
どのように落とし所を付けたのかは定かではない。が、いずれにしても、二度とメトのピットに入ることはなかった。

本人は忸怩たる思いだっただろう。それくらいメトロポリタン・オペラとの関係は強固に結ばれていた。レヴァインは、まさにメトの看板、顔だった。

私は現地ニューヨークで、彼が振ったオペラを4回鑑賞している。
聴衆に支えられているな、地元のファンに愛されているな、とつくづく感じたものだ。指揮者に対する拍手が熱いのである。
そりゃそうだろう。長年にわたってメトを引っ張り、メトを世界屈指の歌劇場に育て上げたのはレヴァインだ。彼は、オペラを愛するNY市民の誇りだったと思う。

キャリアの中では、ウィーン・フィルとの定期的な共演やレコーディング、ザルツブルク音楽祭バイロイト音楽祭での華々しい活躍など、クラシック界の寵児として、一時代を築いた。
その後にポストを得たミュンヘン・フィルやボストン響では、必ずしも大成功とはいかなかったが、メトがあまりにも忙しすぎて、腰を据えて取り組めなかったという事情があったのかもしれない。

日本との縁やつながり、来日公演の機会も、残念ながらそれほど多かったとは言えない。
軸足が歌劇場のシェフだったため、普通の外来オーケストラの客演のようにはいかなかったのだろう。2001年の来日が最後(のはず)で、20年もご無沙汰で、そのままもう二度とかなわなくなってしまった。
それでも、なぜか妙に馴染み深いと感じるのは、メトロポリタン・オペラのメディア戦略である「メト・ライブビューイング」に頻繁に登場し、インタビューに応じて、その人懐っこい顔を世界中に売ったからに違いない。


私が個人的にレヴァインの印象として脳裏に焼き付いているのは、LD・DVDソフトの1988年ライブ収録作品、メト制作の「ナクソス島のアリアドネ」で、そこに特典として付いていた同プロダクションのリハーサル風景。
指揮者がいかにしてオペラの舞台や音楽を作っていくかという過程を垣間見せてくれる。とても貴重で興味深い映像だ。

レヴァイン自らピアノ伴奏しながら、ジェシー・ノーマンに稽古をつけるシーン。
彼女の痺れるような歌声に「アンビリーバボー!」と首を横に振り、ため息をつきながらも、もう楽しくて仕方がない、嬉しくて仕方がない、なんてジェシーってすごいんだ、なんて音楽って素晴らしいんだ、みたいに感じ入りながら、笑顔を湛えているそのレヴァインの表情が、すごくいい。

レヴァイン、きっと三度の飯よりも音楽が好きなんだろうな。

そんな好感を抱かせるほどだったのに、晩年のセクハラ疑惑はとんだ冷や水だった。
なんだか日本中の誰からも親しまれていた愛ちゃんの不倫疑惑みたいな後味の悪さ(笑)。

ま、それはともかくとして、どうか安らかに。