クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2020/10/10 新国立 真夏の夜の夢

2020年10月10日   新国立劇場
ブリテン   真夏の夜の夢
指揮  飯森範親
演出  レア・ハウスマン(原演出:デイヴィッド・マクヴィカー
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
児童合唱  TOKYO FM少年合唱団
藤木大地(オベロン)、平井香織(タイターニア)、河野鉄平(パック)、村上公太(ライサンダー)、近藤圭(ディミートリアス)、但馬由香(ハーミア)、大隅智佳子(ヘレナ)、高橋正尚(ボトム)、妻屋秀和(クインス)    他


予想を遥かに上回った素晴らしい上演。

実は、指揮者、演出家、歌手など海外からの客演キャストが日本に来られなくなったことが決まった時点で、私の期待値は急降下した。日頃から慣れているヴェルディプッチーニならともかく、ブリテンの、しかも日本でほとんど上演されたことがない「真夏の夜の夢」の上演をオール日本人キャストでやることなど、到底無理だと思ったからだ。

もちろん、単にそれらしく仕上げる程度なら出来るだろう。
だが、ブリテンの音楽は独特だ。響き、旋律、オーケストラの扱い、どれもブリテンのオリジナリティ溢れる世界観で構成されている。ブリテンのオペラを上演するには、このブリテンの世界観を分かっていないとダメ。これは演奏技術の問題ではなく、カルチャーの問題。
いくつもの名作を世に出しているにもかかわらず、世界でなかなかブリテン作品が上演されないのは、そうした高い敷居が存在するからだ。
ゆえに日本人オンリーでは無理。
そう思っていた。

ところが、フタを開けてみれば、今回の舞台にはブリテン特有の世界観が見事に表現されていたわけである。

出演の歌手の皆さんの頑張りも大きかっただろうが、とりわけ指揮者飯森さんの手腕を大いに讃えなければならないだろう。

この「真夏の夜の夢」には、「妖精」、「恋人たち」、「職人さんたち」という物語を構成する三つのエレメントがあって、それぞれにキャラクターの色合いがある。
この色合いの調整度合いによって、神秘的で幻想的で繊細なアンサンブルが出現するかどうかが決まる。
難しいのは、三様の色合いをそれぞれ際立たせようとすればまとまりがなくなり、逆に融合を図ろうとすれば色合いが薄まって曖昧になってくること。
実はこれ、演奏側だけでなく、聴き手に対しても突き付けられる課題で、漠然と聴いていると作品の本質がなかなか捉えられない。ある意味、非常に厄介な曲なのだ。上で「カルチャーの問題」「高い敷居の存在」と言ったのは、そうした側面が潜んでいるからだ。

おそらく解決の鍵となるのは、雰囲気を作り、カラーを装飾する役割を担っているオーケストラの楽器の鳴らせ方で、つまり指揮者の領分である。

本公演で初めてこの曲を聴いたという人は多かっただろう。(ていうか、一部のマニアを除き、ほとんどの人がそうだったに違いない。)
にもかかわらず、シュールで難解な音楽として気に障ることなく、シェークスピアの幻想的な物語への勧誘として受け取ることが出来たのは、飯森さんのタクト、音の紡ぎ方、サウンドの構築の仕方が秀逸だったからだ。改めて指揮者を讃えたいと思う。

出演歌手の方々の出来栄えも、まったく申し分なかった。
感心したのは、英語の発音やイントネーションがきちんと旋律に乗っていて、とてもスムーズだったこと。特に、セリフのみ(一部、歌うところがあった)のパック役の河野さんは完璧だった。

カウンターテナーの藤木さんの歌声にも魅了された。
調べてみたら、彼は2003年の新国立劇場公演「フィガロの結婚」にちょい役のドン・クルツィオで出演していた。
その後カウンターテナーに転向し、やがてウィーン国立歌劇場にも出演するなど、躍進が目覚ましい。来月のBCJ公演のヘンデル「リナウド」にも出演予定で、これからも楽しみな逸材になりそうだ。


演出について。
原演出のマクヴィカーのコンセプトによると、舞台は屋根裏部屋での出来事であるとのこと。

なるほどねー。

日本には「屋根裏部屋」が備わる家屋というのがあまりないので、多くの人がピンと来ないと思う。
私は若かりし頃、ヨーロッパの貧乏旅行で宿代をケチった際、よく屋根裏部屋をあてがわれた。
暗くて狭くて閉塞感が漂っていて、小さな窓が天井に付いている。夜になると月明かりが差し込み、覗き込むとそこから星空が見えたりした。
小さな空間の中で天井の窓を見上げ、そこで出来ることといったら、想像や夢を膨らませ、思いを巡らせるくらい。
つまり、おとぎ話はそこから出発するというわけで、私にはそうしたコンセプトが自らの経験上、とてもよく理解できた。

今回、キャストだけでなく、演出チームも来日が不能となったことで、リモートによって演技を付けていったとのことだが、「そういう時代になったのだな」という率直な感慨が湧く。
演技的に、会話をしているのに向き合わず、接近せず、客席の方向を向いて歌う姿勢というのは、普段だったらツッコミを入れたくなるところだが、ソーシャルディスタンスの確保ということで、こちらも受け入れなければいけない方式ということ。

感染対策という意味で、カーテンコールで普段なら歌手たちが一同手を繋いで答礼する儀式も、手繋ぎを回避。「withコロナ」によって失われる伝統は確実に存在するわけだなあ、と何だか寂しくもあった。

1997/9/16 パリ

ウィーンの四日間の滞在が終わり、ここでNくんと別れることとなった。
彼はこの後ミュンヘンに向かい、更にミラノまで足を延ばす。
私はこの後パリに向かい、一泊してオペラを観た後、一足先に日本に帰国する。

当時、私は仕事が忙しかったので、これ以上の休暇を取得することは難しかった。
だが、今考えてみれば、無理矢理にでも休暇を取ってNくんと行動を共にすれば良かったなあ、と思う。
彼はミュンヘンワーグナーの「マイスタージンガー」を鑑賞したのだ。これは羨ましい。

初演の場所であるミュンヘンでマイスターを鑑賞するのは特別だ。
ザックス役はB・ヴァイクルだったとのこと。この役の第一人者であり、なおかつ一緒に観たサロメで衝撃的なヨカナーンを歌った、その人である。
うーん、やっぱり羨ましい。

ま、それは残念だったが、とにかく私はパリにやって来た。

この日、観光として訪れたのは、パリを代表する美術館の一つ、オルセー美術館

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パリには美術館がたくさんあるが、そんな中でもオルセーは、ルーヴルと並び、別格だ。
フランスが誇る印象派作品の宝庫。印象派が好きな人にとっては聖地。たまらない場所だよな。

私自身は正直に言って、特別印象派好きというわけじゃないのだが・・・それでもここで世界的な名作を巡るのは楽しい。
この時、2度目。これまでにトータルで4回くらい行っているが、訪れる度に心が踊る、至福のひと時だ。

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オルセーには、館内にとっても優雅なレストランがある。
なんだか高級フレンチのような華やかさを備えているが、実は敷居はそれほど高くなくて、気軽に入店することができ、人気がある。昼時は、入店待ちの行列が出来るくらい混雑する。

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値段はそれほど高くない。(安くもないが)
味は値段相応。(たまたま食べた物の感想だが)
えーと、すまん、20年以上前の記憶による情報なので、最新の状況と違っていたらゴメンね。

「オルセーに行く機会があったら、是非、物は試しで行ってみて!」と言いたいところだが、果たしていつになったら行けるんでしょうか・・・。

2020/10/3 小山実稚恵 ピアノリサイタル

2020年10月3日   小山実稚恵 ピアノリサイタル   オーチャードホール
ベートーヴェン   ピアノソナタ第30番
バッハ   ゴルトベルク変奏曲


ベートーヴェン、そして」というタイトルを銘打った全6回のシリーズリサイタルで、その第3回目。各回にもタイトルが付けられていて、今回は「知情意の奇跡」。

6回シリーズのプログラムを組むにあたり、タイトルもそうだが、その一大構想について、相当に深く、そして入念に研究、洞察したことが伺える。また、それが意気込みとなって、ひしひしと伝わってくる。
単に個々の作品の解釈に力を込めるだけでなく、時代や背景、現代社会との関わりやつながりなどにまで踏み込み、「今、その作品を採り上げることの意味、意義」を探ろうとしているわけである。
このような壮大なチャレンジは、まさに演奏家としての円熟期に差し掛かった小山さんの決意そのものに他ならない。「それを行うことこそが、演奏家としての使命」という宣言なのだ。

今回は、軸となるベートーヴェンソナタに、バッハのゴルトベルクを加えるという試み。

一見すれば、「第30番」と「30の変奏」という数字の関連や、ベートーヴェンの第3楽章が変奏曲となっている形式の関連などが容易に見えてくるが、そうした表面的なことだけでなく、「バッハがベートーヴェンに繋いだ物は何か」というところまで見据えていることは間違いないだろう。

それゆえ、彼女の演奏からは、インスピレーションやパッションといった即興的な物はほとんど聞こえず、あたかも論文のような理知的な識見が全面的に打ち出されていた。
例えば楽章ごとの変化や、変奏の繋ぎ方など、これら一つ一つに確たる理由と根拠があって、おそらく説明を求めればそのすべてを詳らかにしてくれると思うが、いずれにしても披露されたのは、隙がないくらいの完成品であった。

ただ、残念なことに凡人の私には、結局、タイトル「知情意の奇跡」とはいったい何だったのか、その演奏からは理解が出来なかった。ちょっと哲学的過ぎて、難しい・・・。

ということで、聴いている途中から「いいや、考えるの、止めよう」と諦め、単純にバッハの音楽に身を委ねた結果、最終的な感想は「ゴルトベルク、やっぱいい曲だよな」でした(笑)。

ま、凡人だからな、オレはさ。

1997/9/15 ウィーン国立 エフゲニー・オネーギン

1997年9月15日   ウィーン国立歌劇場
チャイコフスキー   エフゲニー・オネーギン
指揮  シモーネ・ヤング
演出  グリシャ・アサガロフ
ガリーナ・ゴルチャコーワ(タチヤーナ)、マルゴルツァータ・ワレウスカ(オルガ)、トーマス・ハンプソン(オネーギン)、フランシスコ・アライサ(レンスキー)、ペーター・ローゼ(グレーミン公爵)、ゲルトルーデ・ヤーン(ラリーナ)    他


シモーネ・ヤングは、女性指揮者のパイオニア的存在である。
と同時に、その中で最も成功しているお方だろう。ハンブルク州立歌劇場の音楽監督を担った実績は侮れない。初めて女性でウィーン・フィルを指揮した人でもある。もはや女王と言ってもいいかもしれない。
国立歌劇場との結びつきも深い。1993年にデビューして以来、ウィーンの膨大なレパートリー公演を今も支え続ける功労者だ。

この日の我々の席は、ミッテル・ロージェと呼ばれる真正面のボックス席1列目。VIPなど招待客が座ることも多い特等席ということで、開演前は「我々に相応しい(笑)」などと浮かれていたが、いざ演奏が始まると、私は指揮者の後ろ姿を注視しながら、じっくり聴いていた。ここは、ピットの中を覗き込むには絶好のポジションだった。
ヤングは2日連続でのタクトだったが、前日は一人の偉大な歌手に全神経を集中させていて、指揮者はまったく眼中になかった。
なので、この日は指揮者をよく観察しようと思ったというわけ。
当時、私はヤングのことをまったく知らなかったが、この若さで、そして女性で、ウィーン国立歌劇場のタクトを任せられるというのは、相当実力が買われているからに違いない。
そう睨んだわけである。

びっくりするくらい丁寧に振っている。
多くの指揮者が力を込める箇所と抜く箇所を上手に切り分けるが、この指揮者はすべての音を均等に扱っている。
「あ、このタクトなら演奏しやすいだろうな」

以上がこの時のヤングについての感想だ。

丁寧かつ細やか、そしてしなやかなタクトは、20年経った今も健在であり、彼女の特徴だ。
美しい流麗さとエレガンスを兼ね備えており、そこらへんは女性らしい強みでもある。

とはいえ、その後、まさか「女王」の道を歩んでいくとは思いも寄らなかった。そこまでの輝かしい未来を見抜くことは、この時出来なかった。


歌手について。
ガリーナ・ゴルチャコーワ。この時がウィーン・デビューだったとのこと。
ゲルギエフによって発掘され、マリインスキー歌劇場(当時はキーロフ歌劇場)の歌姫として、一時、プリマ的存在だった。まさにこの頃人気絶頂、旬の歌手で、その勢いでのウィーン初見参だ。

私にとっては、1993年キーロフ歌劇場来日公演でのプロコフィエフ「炎の天使」レナータ役があまりにも強烈だが、このウィーンのタチヤーナについては、今思い起こしてもイマイチ印象に残っておらず、残念。
そういえば最近お名前をあまり聞かないが、今もご健在なのかな?

名歌手ハンプソンも、この時初めて聴いた。
ものすごく期待していたのだが、実を言うと、こちらも強いインパクトを残すに至らず。あらら・・・。
原因はなんとなく推測できる。
きっとロシア語の問題だと思う。とにかく不明瞭だったから(笑)。
難しそうだもんな、ロシア語。許してあげましょう。(何様?)

ちなみにアライサのロシア語も、輪をかけたように不明瞭。
こうなってくると、もはや劇場側の人選の問題か?

ということで、この時の出演歌手の中で今でもはっきり思い出せるは、何を隠そう、グレーミン公爵を歌ったペーター・ローゼであった。
実は、グレーミン公爵、登場時間は短いにもかかわらず、いかにもチャイコらしい、美しくしみじみとしたアリアのおかげで、けっこう印象に残ることが多い。トゥーランドットのリューと同様「おいしい役」と言ってもいいかもしれないね。
バス歌手なら、この役のオファーがあったら、「よっしゃ!」と思わねば(笑)。


こうしてウィーンでのオペラ三昧の日々が終わった。あっという間。寂しい~。

それにしても、4日連続で異なるオペラの演目が並び、しかも連日連夜、一流歌手が入れ替わり立ち代わりで登場するウィーン国立歌劇場。レパートリーシステムの強みを最大限に活かしている。いやー、マジすごい。
これぞ世界最高の歌劇場の実力であり、貫禄の為せる業ってわけだ。

Nくん、ウィーンのバカンス、満喫しましたか??

ちなみに彼はこの旅行がきっかけで海外旅行の楽しさにハマってしまい、その後、ウィーン再訪、念願のスカラ座詣でなど何度となく旅立って、そこに足跡を残していくことになる。

現在は御家族をお持ちなのでしばらく足が遠のいているが、お子さんがもう少し大きくなったら、是非ウィーンやミラノに連れて行ってあげたらいかが?

Kくん、今度「ボクも行きたい!」ってパパにおねだりしてみましょう!(笑)

1997/9/15 ヴァッハウ渓谷

海でも山でもそうだが、アウトドア・レジャーを楽しむ際に最も気掛かりとなるのは、天気だ。

この日、我々はウィーン市内を抜け出し、ヴァッハウ渓谷でのドナウ川遊覧船観光を企てていた。

今、ふと思ったのだが、もし天気が悪かったらどうするつもりだったのだろう・・・。何か代替の計画を考えていたのだろうか。
うーむ、思い出せない。
「なーに、そんなのいい天気になるに決まってるじゃんか」みたいなポジティブシンキングだったか?

結論を言うと、この日の天気は快晴! 絶好のクルーズ日和。いやいやラッキー、結果オーライ。二人の日頃の行いが良かったというわけね。

スケジュールとしては、まずメルクという有名な修道院がある町に行く。
修道院見学後、そこから遊覧船に乗ってデュルンシュタインという小さな村を訪ね、そしてウィーンに帰ってくる。

これ、地球の歩き方に「おすすめ」と書いてある定番中の定番コース。

出発にあたり、ウィーン西駅で「メルクまでの鉄道切符」+「修道院の入場チケット」+「遊覧船の乗船切符」のセットチケットを購入。これもまた、地球の歩き方からの入れ知恵なり。

この頃、海外旅行の情報ツールと言えば、書籍の「地球の歩き方」がとにかく定番。旅行のバイブルだった。
海外に行くと、日本人の個人旅行者は“ほぼ全員”と言っていいくらい、皆片手に黄色い本を持っていた。この本を持っている持っていないで、日本人かどうかの区別が付くくらい(笑)。
私は、同類扱いされるのが嫌なので、片手に持ち歩かず、常にバッグの中にしまっていたが、頼りにしていたことは間違いありません。
(やがて出版元のダイヤモンド社は中国語版や韓国語版なども刊行し、海外販売を展開したため、日本人だけでなく東アジア人がみんなこの本を片手に持つようになり、実に気持ち悪かった(笑)。)

旅行中常時ネットに繋がり、情報を簡単に入手できる今の時代に突入して、私も最近ようやくこの本の携帯が必須ではなくなった。長年、本当にお世話になりました。


ウィーンから電車でおよそ1時間半。メルクに到着。

「華麗なるバロックの大修道院がそびえる街、メルク」(by地球の歩き方

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修道院は丘の上に建っており、まさにそびえ立っている感じ。内部は実に壮麗で、大理石の間、図書室、付属教会など、ため息が出るくらいに豪華。

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私は慎重にドナウ川クルーズ船の出発時間を気にしながら館内を巡るが、目が眩むほど素晴らしいので、ついつい足が止まってしまい、やがて時間が押してくる。Nくんもその美しさに圧倒されて佇んでいるが、そんな彼を「さあ行こう」と急かすのは何だか気が引けるし、かといって遊覧船に乗り遅れたら元も子もないし・・・焦る(笑)。

 

修道院見学を終え、やや早足で船着き場に向かい、なんとか間に合って船に乗り込んだ。ここからはおよそ1時間半の優雅なクルーズだ。

ドナウ川流域で最も美しいと言われるヴァッハウ渓谷は、まさに『美しく青きドナウ』のイメージにぴったりの世界」(by地球の歩き方

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デュルンシュタインに到着し、ここで下船。水色の修道院教会が美しく目立っている。

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街はメルヘンチックだが、とても小さくて、300メートルも歩くとあっという間に街の端に行き着いてしまう。ということで、ここではのんびりゆっくり過ごそう。周辺はぶどう畑が広がっているので、カフェやレストランのテラスでワイングラスを傾けながらくつろぐ、なんていうのがいいかもね。
私の場合はビールでしたが(笑)。

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デュルンシュタインからウィーンへの帰路は、電車で。
ウィーン西駅で購入したセットチケットには、帰りの電車切符が含まれていない。なので、ここデュルンシュタインで買わなければならない。
ところが、この日、デュルンシュタイン駅に駅員はおらず、切符売り場もシャッターが閉まっていた。(たまたま無人だったのか、常時なのかは不明。)

うーーん、切符が買えない。どうしたらいいのだ!?

そこに若いお姉ちゃんが通りがかったので、声を掛けて呼び止めた。
「すみません、英語、大丈夫ですか?」
(こういう時、「Can you speak English?」って言っちゃダメよ。「あんた英語の能力あるの?」みたいな見下したニュアンスになるからね。「Do you speak English?」あるいは「Speak English?」が正解。)

彼女の返事は「ノー」。
ガクッ。

そこで私は、知っているドイツ語のたった一単語で再び尋ねた。
「オーケー。ええーっと、Kassa?」(切符売り場のこと)
お姉ちゃん、すぐさま理解してくれて即答。
「in the train!」
うん、確かにこれくらいの初級英語なら話せるってわけだ(笑)。

電車に乗り込むと、検札で車掌が回ってきた。
まさか無賃乗車で咎められるなんてことはないよな、と少し不安だったが、無事に車掌から直接切符が買えた。

ヴァッハウ渓谷クルーズ、本当に楽しかったし、いい思い出だ。
いつかまた行きたいと思っているのだが・・・あれから20年以上経ち、その後ウィーンに20回くらい行っているのに、未だにその機会がないというのは、いったいどういうわけだ?

いや、機会というのは自分で作るもの。
ないということは、自分が作っていないってこと。
「その気がないだけだろ?」と言われても仕方がないな(笑)。

1997/9/14 ウィーン国立 サロメ

1997年9月14日   ウィーン国立歌劇場
R・シュトラウス   サロメ
指揮  シモーネ・ヤング
演出  ボレスラフ・バルローク
ヒルデガルド・ベーレンス(サロメ)、ベルント・ヴァイクル(ヨカナーン)、ヨーゼフ・ホップファーヴィーザー(ヘロデ)、ネリー・ボシュコヴァ(ヘロディアス)、トルステン・ケルル(ナラボート)    他


この公演を鑑賞するためにウィーンに来たのだ。
「ベーレンスの歌唱については一秒たりとも一音たりとも聴き逃さない」という確固たる決意を持って臨んだのだ。
そういうわけだから、私にとってこの作品の上演時間約1時間45分は、大げさかもしれないが、全身全霊を傾けた一世一代の勝負のような時間だったかもしれない。
(やっぱり大げさだが、その時は真剣にそう思ったわけさ。)

演奏開始から約5分でサロメが舞台に現れる。
その数秒前から、既に私は自分の視線を、舞台中央ではなく舞台の袖に移している。彼女が登場するその瞬間でさえ、絶対に見逃さない。見落とさない。瞬き一つだってしない。
この時私は、集中のため、全神経を研ぎ澄ませていたと思う。

女神が舞台に現れ、音楽が俄然ヒートアップし始めた。緊張で固くなっていた全身に、麗しの声が染み渡る。
繊細でありながら芳醇な歌唱。圧倒的でありながら優しい包容力に満ちた歌唱。
想い焦がれていた声が、今、目の前で鳴り響いている。これは夢なのか、それとも現実なのか。
まあ別にどっちでもいい。現実でなくてもいいし、夢であっても構わない。
どっちでもいいから、この至福の時間は終わらないでほしい。このまま永遠に続いてほしい。


この日、ベーレンスの存在だけを脳裏に刻むつもりで臨んでいたのに、実はもう一人、強烈なキャラクターがそこに割って入ってきた。
B・ヴァイクルのヨカナーンだ。
登場シーンからして、恐懼の極みだった。閉じ込められた牢から出てきた姿は、まるで墓から蘇ったゾンビだった。
威圧的でありながら、それでいてどこか畏敬の念を抱かせる懐の大きな歌唱。これぞヨカナーンの声。
迫るサロメ、そして拒むヨカナーン
二人の壮絶な応酬は、ぞっとするくらい凄く、この日の白眉だった。


1時間45分があっという間に経った。永遠に続いてほしいと願う身にとっては、あまりにも短い時間だった。
だが、息を止めて舞台に集中しなければならない時間としては、もしかしたらこれが限界だったかもしれない。

一通りのカーテンコールが終わり、客席の照明が点灯したが、拍手は依然として続いている。
私はNくんに声を掛けた。

「行こう!」

自席を立って離れると、そのまま1階席の最前列へ直行。オーケストラ・ピットの真ん前でポールポジションをゲットすると、そのままスタンディングでアプローズを続行した。最後の一人になるまで、その場で拍手を送り続ける覚悟だった。

鳴り止まない拍手に応えて、ベーレンスが再び登場した。
Nくんはここぞチャンスとばかりに無我夢中でシャッターを切る。
撮影禁止? そんなことはもちろん分かっているさ。でも、お願いだ、どうか我々の熱い思いに免じ、許してほしい。

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私はというと、ずっとずっと熱烈に拍手を続けながら、憧れのディーヴァの神々しい姿をこの目に焼き付けていた。

宴が終わると、我々は劇場の楽屋口に駆け付けた。
普段はサインをもらうために出待ちをしない。
だが、この日は特別だ。
私は公演ポスター(キャスト名入り)を劇場内のショップで購入していた。そのポスターに、大きくサインを書いてもらった。

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サインを書いてもらいながら、私は思い切って彼女に声を掛けた。
「I came here all the way from JAPAN just want to see your SALOME.」
私はあなたのサロメを聴くために、わざわざ日本からやって来ました。
彼女の返事は「Really? Thank you!」だった。

これがそのポスターの現物。

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私の自部屋に飾ってある。23年間、こうして部屋の壁にずっと掛かっている。
(私の自宅に遊びに来たことがある方なら、必ずや目にしているはずだ。)
で、これからも、一生、私の部屋を飾り続ける予定。
たとえ部屋の模様替えをしても、引っ越しをしても(その予定はないが)、下ろすつもりはない。
もし私が死んだら、棺の中にこのポスターを入れてほしい。どうか一つよろしく頼む。

1997/9/14 ブラチスラヴァ

日帰りでのブラチスラヴァ観光のために、日本でビザを取ったことについては、プロローグで書いた。
ベルリンの壁が崩壊し、東と西の冷戦構造が解消されたとはいえ、入国管理はまだまだ厳重。観光だけなのに審査がある。面倒くさいが、一方で、ちょっとエキサイティングな感じ。

ウィーンから電車で約1時間。国境を越えた付近で、電車は一時停止。制服を着た警察官と入国管理官が車内に入ってきた。
「キター!」
緊張する瞬間である。
彼らは乗車している客全員のパスポートを回収していった。どうやらその場ではなく、いったん集めた上で、別場所でチェックする方式のようだ。
こちらとしては、事前の手続きに抜かりはないし、そこで問題が起こることは決してないんだけど、「海外では命の次に大事」と言われるパスポートを黙って渡し、そのまま持っていかれてしまうのはチョー不安・・・。

現在スロバキアは、短期旅行でのビザが不要などころか、EUの一員として圏内の自由な往来が認められ、しかもユーロ統一通貨を使用している。東欧の痕跡は消失しつつある。
つまり、この時のような「見えない障壁」「審査されるドキドキ」はもう味わうことができないわけだ。

ブラチスラヴァ中央駅に到着。下車前にパスポートが無事に返還され、入国が許された。
よし、こうなればもうこっちの物だ。
さあ、それではスロバキアという国を探索してみよう。首都とはいえ、小ぢんまりした古都で、旧市街の散策だけなら徒歩で十分。

街のシンボル、ブラチスラヴァ城。

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旧市街からはそのそびえ立つ威容が望めるし、お城からは旧市街、ドナウ川、川向うの新市街を見下ろす景観が素晴らしい。
(川向うの新市街に無機質な団地が立ち並ぶ様は、なんとなく旧共産主義国っぽい。)

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街の中心、旧市庁舎前のフラヴネー広場は、人々の憩いの場。

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この像はユニークでユーモアがあって、市民や観光客に愛されていそうだね。

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スロバキア国立歌劇場。

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その劇場前で、掲示されている公演告知ポスターを発見。なんと、母国が産んだ偉大なスター・ソプラノ!! キャー♡

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凱旋公演というわけだねー。
しかも指揮はスロバキアを代表する名指揮者オンドレイ・レナルトではないか。新星日本交響楽団の首席指揮者だったこともあり、日本でもおなじみだ。

9月22日かぁ・・・。一週間後なんだな。聴きたかったよな。残念。
もっとも、日程がうまく重なったからといって、チケットが取れるかどうかはまったく別問題だが。

現在、ブラチスラヴァには、こちらの旧劇場と、近代的でよりキャパシティが大きい新劇場の二つがある。
残念ながら、私はまだ一度もブラチスラヴァでオペラを鑑賞したことがない。
一度行くチャンスがあったのだが、他国でもっと興味深い公演が見つかり、計画を変更してしまった。

考えてみれば、ブラチスラヴァはウィーンから気軽に行けるのだから、ウィーンでオペラを観て、ついでに足を延ばすことは決して難しくないはず。ならば、今後もきっとチャンスがあるだろう。

物価、相変わらず安いのかなあ・・・。
市電の一回乗車券、たしか30円くらいだったぜ。「昭和か?」って感じ。

まずはとにかくその前に、コロナの収束が先決だが・・・。