1997年9月14日 ウィーン国立歌劇場
R・シュトラウス サロメ
指揮 シモーネ・ヤング
演出 ボレスラフ・バルローク
ヒルデガルド・ベーレンス(サロメ)、ベルント・ヴァイクル(ヨカナーン)、ヨーゼフ・ホップファーヴィーザー(ヘロデ)、ネリー・ボシュコヴァ(ヘロディアス)、トルステン・ケルル(ナラボート) 他
この公演を鑑賞するためにウィーンに来たのだ。
「ベーレンスの歌唱については一秒たりとも一音たりとも聴き逃さない」という確固たる決意を持って臨んだのだ。
そういうわけだから、私にとってこの作品の上演時間約1時間45分は、大げさかもしれないが、全身全霊を傾けた一世一代の勝負のような時間だったかもしれない。
(やっぱり大げさだが、その時は真剣にそう思ったわけさ。)
演奏開始から約5分でサロメが舞台に現れる。
その数秒前から、既に私は自分の視線を、舞台中央ではなく舞台の袖に移している。彼女が登場するその瞬間でさえ、絶対に見逃さない。見落とさない。瞬き一つだってしない。
この時私は、集中のため、全神経を研ぎ澄ませていたと思う。
女神が舞台に現れ、音楽が俄然ヒートアップし始めた。緊張で固くなっていた全身に、麗しの声が染み渡る。
繊細でありながら芳醇な歌唱。圧倒的でありながら優しい包容力に満ちた歌唱。
想い焦がれていた声が、今、目の前で鳴り響いている。これは夢なのか、それとも現実なのか。
まあ別にどっちでもいい。現実でなくてもいいし、夢であっても構わない。
どっちでもいいから、この至福の時間は終わらないでほしい。このまま永遠に続いてほしい。
この日、ベーレンスの存在だけを脳裏に刻むつもりで臨んでいたのに、実はもう一人、強烈なキャラクターがそこに割って入ってきた。
B・ヴァイクルのヨカナーンだ。
登場シーンからして、恐懼の極みだった。閉じ込められた牢から出てきた姿は、まるで墓から蘇ったゾンビだった。
威圧的でありながら、それでいてどこか畏敬の念を抱かせる懐の大きな歌唱。これぞヨカナーンの声。
迫るサロメ、そして拒むヨカナーン。
二人の壮絶な応酬は、ぞっとするくらい凄く、この日の白眉だった。
1時間45分があっという間に経った。永遠に続いてほしいと願う身にとっては、あまりにも短い時間だった。
だが、息を止めて舞台に集中しなければならない時間としては、もしかしたらこれが限界だったかもしれない。
一通りのカーテンコールが終わり、客席の照明が点灯したが、拍手は依然として続いている。
私はNくんに声を掛けた。
「行こう!」
自席を立って離れると、そのまま1階席の最前列へ直行。オーケストラ・ピットの真ん前でポールポジションをゲットすると、そのままスタンディングでアプローズを続行した。最後の一人になるまで、その場で拍手を送り続ける覚悟だった。
鳴り止まない拍手に応えて、ベーレンスが再び登場した。
Nくんはここぞチャンスとばかりに無我夢中でシャッターを切る。
撮影禁止? そんなことはもちろん分かっているさ。でも、お願いだ、どうか我々の熱い思いに免じ、許してほしい。
私はというと、ずっとずっと熱烈に拍手を続けながら、憧れのディーヴァの神々しい姿をこの目に焼き付けていた。
宴が終わると、我々は劇場の楽屋口に駆け付けた。
普段はサインをもらうために出待ちをしない。
だが、この日は特別だ。
私は公演ポスター(キャスト名入り)を劇場内のショップで購入していた。そのポスターに、大きくサインを書いてもらった。
サインを書いてもらいながら、私は思い切って彼女に声を掛けた。
「I came here all the way from JAPAN just want to see your SALOME.」
私はあなたのサロメを聴くために、わざわざ日本からやって来ました。
彼女の返事は「Really? Thank you!」だった。
これがそのポスターの現物。
私の自部屋に飾ってある。23年間、こうして部屋の壁にずっと掛かっている。
(私の自宅に遊びに来たことがある方なら、必ずや目にしているはずだ。)
で、これからも、一生、私の部屋を飾り続ける予定。
たとえ部屋の模様替えをしても、引っ越しをしても(その予定はないが)、下ろすつもりはない。
もし私が死んだら、棺の中にこのポスターを入れてほしい。どうか一つよろしく頼む。