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2017/12/8 ムーティ指揮ウィーン・フィル

 
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2017年12月8日  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(楽友協会主催公演)  ムジークフェライン
ハイドン  交響曲第39番
 
 
東京で、あるいはザルツブルクで、マエストロ・ムーティが指揮するウィーン・フィルの公演を何度となく聴いてきた。だが、オーケストラの本拠地ムジークフェラインで鑑賞するのは、初めてのことだ。
最高の指揮者、最高のオーケストラ、最高のホール。
ここに三拍子が揃った。胸の鼓動の高鳴りを抑えられない公演であった。
 
ところが鼓動の高鳴りは、演奏開始後、見事に消去されてしまった。
 
高揚が萎んでしまったのではない。
鼓動が葬られたのだ。
 
私は、ムーティに撃たれてしまった。この演奏に撃たれてしまった。一撃により、心臓が止まった。
 
脳天、あるいは心臓を貫通させた必殺の一撃は、いったい何回あったことだろう・・。
 
ブルックナーの第1楽章。開始から2分くらいで訪れる第一の頂点の部分、曲をご存知の方ならおわかりだろう、あそこでもういきなりバシッと撃たれ、私はバタンと倒れ、死んだ。
 
もちろんこれは比喩である。比喩ではあるが、少々物々しくて、もしかしたら良い例えではないかもしれない。
でも、とにかく私はやられてしまったのだ。「良かったぁ!」とか、「感動~!」とか、そんな軽い言葉では言い尽くせない。だって、こっちは息の根を止められたのだ。
 
この衝撃は、ちょっと過去に記憶がない。
 
私はムーティのことを、ずっと司祭者だと思っていた。聴いている私たちの心を、魂を、天に運んでくれる導師だと思っていた。音楽を聴くというのは、そういうものだと思っていた。
 
だが、音楽は、時に思考を停止させ、体を硬直させ、目の前を真っ白にさせ、そして死に至らしめる(かのように錯覚させる)恐ろしいパワーも備えている。
その最終手段としてのパワーを、ここで容赦なく非情のごとく、まるでスナイパーのように行使してきたのが、ムーティだった。
 
これもまた音楽の一面、表裏の裏部分ということなのだろうか・・。
 
もう一つ確実に言えること。
この衝撃は、ムジークフェラインでなかったら得られなかったであろう。オーケストラ、指揮者、楽器に加え、ホールもまた強力な「武器」ということであった。
 
 
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