1990年11月23日 ORFオーストリア放送交響楽団 ムジークフェライン
指揮 ズデニェク・コシュラー
ドヴォルザーク スラブ狂詩曲
ヤナーチェク グラゴル・ミサ
実は何を隠そう、この公演のことについても、ずいぶんと前に「思い出のグラゴル・ミサ」と題してブログ記事に書いている。
当該ページのリンクをそのまま貼るだけでもいいのだが、せっかくの旅行記シリーズの体裁を保ちたいので、転載しつつ、多少の加筆修正も施して、改めて記事にしようと思う。
それからもう一つ、訂正を。
9月9日に聴いた都響公演(大野和士指揮)に関して、「初めてムジークフェラインで聴いたプログラムとまったく一緒」と以前の記事に書いてしまったが、改めて自分のデータベースを調べてみたら、ウィーンではドヴォの交響曲第5番じゃなくて、ドヴォのスラブ狂詩曲でした。「まったく一緒」ではありませんでした。記憶違い、すみません、訂正します。
さて、この旅行の2年前に、飛び込みで見学をさせてもらったムジークフェライン。
だが、その時はただ見ただけ。言うまでもなく、コンサートホールというのは、音楽を聴く場所である。見るだけでは意味がない。
しかもムジークフェラインは「クラシック音楽の殿堂」と称され、音響も多くの人が世界最高と絶賛している。ここでクラシック音楽を鑑賞するのは、愛好家の夢、憧れと言っていい。
そのチャンスがついに、ついに、訪れたというわけだ。ワクワクドキドキ。この時、私は相当に浮かれていた。
ところが・・・。
前回記事に書いたとおり、立見席というのがとにかく大失敗だった。
この立ち見席、エリアは平戸間1階席の最後方にある。そこがまるで檻みたいな空間なのだ。指定席のお客様は上級。檻に入り、柵越しからステージを見つめる立ち見客は下層級。あからさまな身分差。
しかも、である。
どこのポジションで立って鑑賞するかは、結局早い物勝ち。ステージを真っ正面に見据えて眺められるベストスポットをゲットするためには、とにかく早く行って並ばなければならない。立見席のエリアのゲートが開いたら、すかさずポジションをゲットし、柵にハンカチなどを巻き付けて場所をキープ。
これ、国立歌劇場の立見席と同じやり方である。ウィーン方式というわけだ。
視界を確保できるのはせいぜい2列目まで。背が高ければかろうじて3列目もぎりぎりセーフ。あとは・・アウト!
そんなことなど露にも知らない私は、呑気に開演の15分くらい前にノコノコ会場入り。
すると、既にベストポジションは先着組によって占拠されていた。これには呆然だった。
私は人がびっしりと立ち並んでいる後方で、前の人と人との隙間から少しでも覗ける場所を見つけるため、演奏中もウロウロと動き回りながら聞き耳を立てていた。
やがて疲れてくる。哀しくなる。ホント情けなくなる。
何でこんなことまでして音楽を聴かなければならないのか?
私は途中で諦めてしまった。やめー。立ち見を放棄。後ろの方の地べたに座り込み、「クソー、失敗したぁ~!」という後悔の念を抱きながら、あたかもBGMのように流れてくる音楽をぼーっと聴いていた。
ふと周りを見渡すと、私と同じようにステージを眺めることを断念し、地べたに座り込んで聴いている人が何人かいた。そのうちの一人のおねえちゃんと目が合った。「やれやれですね」と心の中で会話し、微笑み合う。
一瞬だけ心が温まった出来事。何の慰めにもならないが・・。
私は固く決心した。
「今後ウィーンに来たとしても、ムジークフェラインの立ち見席だけは二度と買うまい。絶対に!」
良かったのは、こんな檻のように閉じ込められる立ち見席でも、休憩時間中は自由にホール内をうろつけること。黄金のホールをおのぼりさんのごとく「うわ~!!」と歩き回って眺め回ることができた。それだけだな~(笑)。
そんなわけなので、この時の演奏の中身については、何も語る事ができない。
いやー、申し訳ない。
ちなみに、この次にムジークフェラインを再訪するのは、6年後の1996年。
アーノンクール指揮のウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、それからショルティ指揮のウィーン・フィルの2公演を聴く。もちろん、ちゃんとした指定席で。ここで、ようやくリベンジを果たすのであった。