2014年8月15日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ザルツブルク音楽祭) 祝祭大劇場
指揮 リッカルド・ムーティ
「そうだったのか!?」とびっくりする人もいるかもしれないが、カラヤン亡き後、この音楽祭の支えとなり、実質的に首席指揮者級の扱いをされているのが、誰あろうリッカルド・ムーティ先生だ。マエストロはもうかれこれ30年近く、ほぼ毎年、世界最高の音楽祭に出演し続けている。そんな指揮者は、他にはいない。
そして、数多くの公演の中でも特に重要と言われる聖母被昇天祝日とその前後に催されるウィーン・フィルのコンサート、これを毎年任されているのもムーティ。首席指揮者扱いだと指摘したのは、こうした理由による。今さら言うのもなんだが、ムーティ様は偉大なのである(笑)。
さて、近年この音楽祭ではその年におけるテーマというものを打ち出しているが、今年の音楽祭のテーマの一つが作曲家ブルックナー。彼の一連の交響曲を著名指揮者たちが分担しながらチクルス演奏することになっている。
で、ムーティの担当が6番というわけだ。ムーティが他のブルックナーの交響曲をどれほど振っているのかはきちんと把握していないが(以前に来日公演で第2番を演奏したね)、この6番はベルリン・フィルと録音を残しており、そういう意味では既に手中に収めてある妥当な割当選曲と言えよう。
それにしても。
コンサートにオペラに目まぐるしいほどの出演をこなすウィーン・フィル、いったいリハーサルをどの程度やっているというのだろう。時間は自ずと限られる。
まさかぶっつけ本番ということはないよな。普段の国立歌劇場のレパートリー上演ではリハ無しも珍しくないらしいが、いくらなんでもねえ。
いずれにしても、リハーサルにたっぷり時間を取って、綿密な音楽づくりを施していくのは物理的に不可能だと思うのだ。
にもかかわらず、明らかに指揮者が手を加えた音楽に仕上がっている。ちゃんとムーティの音楽になっている。これはもう驚嘆としかいいようがない。
ムーティのタクトに力がこもる。途端に音楽が渦を巻く。
リハを重ねようが重ねまいが、音楽のツボを抑えつつ音楽を完全に掌握統制する指揮者。
リハを重ねようが重ねまいが、指揮者の要請に瞬時の判断で完璧に応えるオーケストラ。
そこにあるのは「プロのお仕事」だ。世界第一級の音楽家たちの仕事。最高の指揮者と最高のオーケストラが織り成す芸術の神秘。
もちろん、永年にわたって共演を重ね、絶対的かつ絶妙な信頼関係が構築されている両者のコラボレーションの賜物なわけであるが。
ブルックナーの音楽がどうこうというより、指揮者とオーケストラの役割や関係が顕著に表れたコンサートであった。思わず「うーん、さすが」と唸ったコンサートであった。