指揮 大野和士
合唱 スウェーデン放送合唱団
先月からこの日まで足を運んだコンサートは、どれもこれも指揮者の個性や特長が滲み出ていて、とても面白い。
ルイージ指揮読響は、演奏を徹底的に細かく仕上げてきた完成品。
同じく読響のカスプシクは、スコアを注視し、クローズアップして、その解像度を高める手法。
バッティストーニ指揮の東京フィルは、音楽に潜む人間の心情を捉え、その変化を揺さぶった。
言い換えれば、作品に魂を宿らせ、生命を息吹かせるための表現を植え込む作業、だろうか。
単純な推論かもしれないが、それはきっと題名やテーマが「天地創造」だったからだと思う。
神が、無の世界から光を創り、宇宙を創り、空、大地、海を創り、生き物を創り、人間を創った。
この物理学的見地からおよそかけ離れた観念こそが、キリスト教を信じる人々の精神の拠り所であり、出発点。そこには命の根源と生の喜びが備わっているが故に、演奏においては「無上の素晴らしさ」を語らなければならない。
そのために、指揮者大野は、堅苦しい解釈や奏法の押し付けを極力避け、演奏者のモチベーションを高めつつ、シンプルさを心がけることに注力しているように見えた。そして、それは見事に成功していたと思う。
名演の手助けをしていた大きな支柱が、スウェーデン放送合唱団だ。
歌やアンサンブルが上手いのはまあある意味当然として、なんというか、とてもナチュラルでピュアなのだ。飾らず、地に足が付いた演奏とでも言おうか。
まあ曲がハイドンなわけだから、これがヴェルディのレクイエムだったらまた違った印象になるのだろうけど、とにかくオラトリオならこう、ハイドンならこう、という演奏の正当性を誇大に強調することなく、さりげなく披露していた。
やっぱりなんだかんだ言っても、彼らはヨーロピアンなんだよなあ。
新国立劇場合唱団も東京オペラシンガーズも十分に上手いんだけど、こういう作品ではやっぱり向こうの連中の演奏はさすがだなあと、素直に感心してしまった。