クラシック、オペラの粋を極める!

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2017/5/18 フィルハーモニア管

2017年5月18日   フィルハーモニア管弦楽団   東京オペラシティコンサートホール
指揮  エサ・ペッカ・サロネン
ストラヴィンスキー  葬送の歌
マーラー  交響曲第6番悲劇的
 
 
圧倒的なマーラーだった。ホールを揺るがすほどの凄まじい鳴り響きに、卒倒しそうになった。「激震」と表現するのがぴったりなこの演奏。きっと末永く記憶に留まることになるだろう。
 
確かにこの作品は、規模も大きいし管弦楽法も精緻で劇的。ホールのキャパの関係もあり、音量がMAXになれば、相当の音圧が迫ってくる。揺さぶられる要素は揃っていた。圧倒的に聞こえたのは、ある意味普通である。
 
それでも、卒倒しそうになったのは、それだけが原因ではないだろう。指揮者サロネンの音の引き出し方が、あまりにも鮮烈だった。
 
サロネンのタクトは光り輝いていた。オーケストラを率いる果敢な姿は、あたかも軍神マルスであるかのように眩しかった。
あの強烈なオーラは、揺るぎない自信から来るものであろう。
テンポの変化、絶妙のルバート、息を呑むようなパウゼ、誇張がかった奏法、そのどれもが極めて個性的であり、ややもすれば独善的に陥りかねなかったにも関わらず、有無を言わさぬほどの説得力を持って迫ってきたのは、演奏に絶対の自信があるからだ。そして、その自信は極めて論理的な解釈が源泉になっている。
 
サロネンの作品に対する自信は、昔からいつもタクトに表れている。これまでのどんな演奏でもそうだった。自信こそがサロネンの音楽の美学といっていい。
だが、特に今回の公演において効果に結実した。一筋縄ではいかないマーラー作品と、自身の鋭い解釈がドンピシャにはまったと言えそうだ。
 
フィルハーモニア管の演奏も見事。もちろんサロネンの解釈によるところが大きいのかもしれないが、陰鬱な響きはなく、音色は明燈かつクリアだった。
 
演奏直後に聴衆が作り出したしばしの静寂は素晴らしかったが、「残響や余韻を楽しもう」ではなく、「撃たれて身動き取れなかった」という人も少なからずいたのではなかろうか。かくいう私もその一人。
その代わり、その後のカーテンコールでは、稀に見るほどの熱狂的なブラヴォーが贈られた。
 
クールにほくそ笑むサロネン。まさにしてやったり。