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2017/5/12 水戸室内管弦楽団

2017年5月12日   水戸室内管弦楽団   水戸芸術館
指揮  小澤征爾ベートーヴェンのみ)
グリーグ  組曲ホルベアの時代より
グノー  小交響曲変ロ長調
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第1番
 
 
小澤征爾が指揮する公演を聴くのはおよそ6年ぶりである。
久しぶりなのは当然。私にしてみれば、小澤征爾はもう終わっているからだ。
たった30分しか振れない指揮者。それを、やれ「監修」だの「半分だけ」だのと、姑息にごまかしているやり方が気に入らない。特に「一つの曲を二人の指揮者で半分ずつ振り分ける演奏」なんてのは、はっきり言って言語道断、作品に対する冒涜、客を舐めてる、と思う。
 
「半分ずつ」ではなく「一曲だけ」というのなら、費用対効果はともかく、最低限許せる。その一曲がアルゲリッチとの一期一会の共演だというのなら、今回は、今回だけは色々言いたいことは伏せ、高いお金を出すことにしよう。仕事を休んで水戸まで駆けつけることにしよう。ただしこれで最後。
私はこの公演を「区切りの惜別公演」と位置付けた。
 
ベートーヴェンのコンチェルト。
別に私個人の一区切りとかはまったく関係なく、何もかもがスペシャルな演奏だった。「破格の」「稀代の」という形容がピッタリな特別な時間だった。
渾身のタクト、全身全霊で食らいつくオーケストラ、そして魔法としか言いようがないピアノ・・。
聴衆は一音たりとも聞き逃すまいと、固唾を飲んで演奏の行方を見守る。ピンと張り詰めた真剣な空気。なんという濃密な時であろうか。
 
この「スペシャル」を創っていたのは、やっぱり小澤征爾だった。小澤征爾でしか成し得ないものだった。
プロの演奏家としてどうかはさておき、純粋な音楽家として、彼は終わっていなかった。音楽の魂が依然として宿っていた。情熱は衰えるどころか、燃え盛っていた。小澤征爾は、音楽そのものだった。
 
だとしたら、「半分だけ」なんて、あまりにも惜しい。惜しすぎる。
前半も後半も振ってくれるのなら、プログラム間の休憩がたとえ一時間に設定されても、聴衆は喜んで待つのではなかろうか。そうすることは、やっぱり体調上無理なのか・・・。
 
アルゲリッチ。神に祝福された空前絶後のピアニスト。奇跡の演奏だった。
彼女の演奏は、いつも奇跡。「いつも」というのは奇跡と呼ばないというかもしれないが、だって毎回奇跡なんだから仕方がない。
彼女の奇跡を初めて体験したのは、およそ30年前。チャイコフスキーのピアノ協奏曲。新日本フィルとの演奏。伝説はここから始まった。
 
その時の指揮、小澤征爾