2014年6月3日 フィラデルフィア管弦楽団 サントリーホール
指揮 ヤニク・ネゼ・セガン
その当時、何かで見かけたキャッチコピー(レコードジャケットの帯だったかな?)を覚えている。記憶なので正確ではないかもしれないが、こんな感じだった。
ちなみにムーティ&フィラ管のコンビによる1985年の来日公演では、今回と同様にプログラムの一つにマーラーの1番が入っていて、私もそのマラ1プロに行った。人生初の生マラ1で、今なお記憶が褪せることがないぶっ飛び名演だった。(ムーティのマーラーなんて、今じゃ滅多に聴けないよなあ)
時は経過した。
あれから30年近く経った今、フィラ管と共にやってきた指揮者は、やはり飛ぶ鳥を落っことす若獅子だった。
ヤニク・ネゼ・セガン。自信満々、恐れ知らずのキレ者だ。時に強引かつ高慢。自分がやりたいことで出来ないことは何一つないと言わんばかりに、高性能のオーケストラを自在に操る。電光石火のタクト一撃は、まさに疾風怒濤の快演だった。
クライマックスをものすごいテンポで猛然と駆け抜け、聴衆の度肝を抜き、唖然とさせて演奏を終えると、場内からは割れんばかりの拍手とブラヴォーが沸き起こった。ネゼ・セガンは狙いどおり聴衆を巻き込んで熱狂の渦を構築したのである。してやったりだろう。
ところが、どういうわけか、私はその熱狂から距離を置き、傍観していた。確かに圧倒はされたのだが、感動はしなかった。すごいとは思ったが、その受け入れには抵抗があった。
なぜか。
あまりにもアスリート的な音楽だったからだ。
だが、そうした指揮者の解釈を含めて、聴き手に十分な思索の時間を与えてくれなかったことが不満。例えて言うのなら、リニアモーターカーに乗車すると、その速さに驚き、乗り心地も快適だが、車窓からの風景はほとんど見えなかった、みたいなそんな感じであろうか。(もちろん乗ったことはないが)
以前の自分なら、こういう演奏にゾクゾクし、思い切り喜んで満足していただろう。ひょっとすると、歳とともに感性が変化しているのかもしれないな。
まあいい。いずれにしてもネゼ・セガンは5年後、10年後と、これからの成長と変貌を見守っていきたい指揮者ではある。有能であることは間違いないのだから。