クラシック、オペラの粋を極める!

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2016/11/4 メフィストフェレ

 2016年11月4日  バイエルン州立歌劇場
ボーイト  メフィストフェレ
指揮  パオロ・カリニャーニ
演出  ローランド・シュワブ
エルウィン・シュロット(メフィストフェレ)、ジョセフ・カレヤ(ファウスト)、アウシュリネ・ストゥンディーテ(マルゲリータ)、カリーヌ・ババジャニアン(エレーナ)    他
 
 
今年3月。リッカルド・ムーティが来日し、日本とイタリアの合同オーケストラを指揮した。ソリストにアブドラザコフを迎え、メインプログラムとして披露したのが、このオペラのプロローグ。名演として、まだ記憶に新しいところだ。
抜粋だったが、この演奏で「メフィストフェレ」の音楽の素晴らしさに開眼したり、あるいは再認識した方も多かったのではないだろうか。何を隠そうこの私もその一人。この公演を聴いて、猛烈にオペラを観たくなった。
 
そうはいっても、なかなか上演されないレア作品。私もこれまでたったの1度しか鑑賞したことがない。今回のミュンヘン公演は、そういう意味で願ったり叶ったり。千載一遇のチャンスだった。
 
このバイエルンの上演、プレミエでは主役メフィストフェレをルネ・パーペが歌った。今回の再演ではそれがエルウィン・シュロット(※)に替わったわけだが、「最初からシュロットのために制作されたのではないか?」と見紛うような圧倒的存在感だ。結論から言うと、彼の独り舞台だった。

もちろん、演出の力に依るところが大きかったからなのだが、それを差し引いてもシュロットの迫力たるや凄まじい。強烈なオーラ。舞台を完全に支配していた。
 
彼はカッコいいし、なおかつ男の色気がある。南米特有のラテンの香り。歌姫ネトレプコは、かつてそこに惚れた(たぶん)。そうした雰囲気が、ファウストを誘惑する悪魔にまさにぴったりなのだ。
 
歌だって上手い。ここぞという時のパワーもあるので、盛り上がるし、舞台も引き締まる。
 
(※ファーストネームが日本では『アーウィン』で通っている。英語読みでは確かにそうだが、彼はスペイン系ウルグアイ人であり、彼自身『エルウィン』と名乗っているので、是非そう呼びたい。)
  
シュロットに比べると、他の出演者たちはなんとも影が薄い。
カレヤは序盤が不安定だった。後半持ち直したが、最後まで一本調子気味は直らず。たくさんのブラヴォーをもらっていたが、「ほんまかいな」と思った。
ストゥンディーテは、初めて聴いたが、これが本当に彼女の実力なのだろうか。少なくともこの日の出来は、一流歌劇場バイエリッシェ・シュターツオーパーの舞台に立つレベルに達していない。きっと調子が悪かったのだろう。
 
演出については、気に入った面と気に入らない面の両方がある。
 
気に入ったところ。
舞台が大がかりで非常にスペクタクルだということ。単純に見ていて楽しかった。
メフィストフェレがファウストを連れていく場所が、ジャンクな連中が集うアングラというのも面白い。(後半は、どういうわけか、場所を福祉施設に設定。人生の終焉の場所という意味なのだろう。)
 
気に入らなかったところ。
プロローグ、神の使徒たちの合唱の場面。まさに3月、日本公演でムーティが演奏した箇所なわけだが、一番肝心の合唱を舞台裏で歌わせ、その音を増幅させるためにスピーカーを使ったこと。
 
そりゃないぜ!指揮者はこれを許してはいかんのじゃないか?
 
 舞台上には蓄音機。メフィストフェレがレコードをかけて、そこから音が流れるという仕掛けである。なんだかコンヴィチュニー演出の真似事みたいだ。
そうすることが演出的に必要だったかもしれないが、ここは音楽上のハイライト。大合唱による生の迫力に浸りたかった私としては大いに不満だった。
 
 まあそうは言っても、総合的に見れば、レア作品を鑑賞出来た満足感が上回った。
っていうか、鑑賞できただけで満足しなければならないのである。
 
次にこの作品(オペラ全曲)を鑑賞できるのはいつの日になるのだろうか。
日本国内で上演を待ってても、望み薄なことくらい、分かっちゃいるんだが・・・。