二期会の「トリスタンとイゾルデ」は行かなかった。最初からチケットを買わなかった。
ヴィリー・デッカーの演出には惹かれるものがあったし、公演の成果はきっとあったんだろうと思う。
でもね、先月にバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」を聴いちゃったので、「何も立ち続けに聴くこともなかろう」と判断してしまったわけよ。日ごろ「公演の比較をして優劣を付けることには意味が無い」なんて偉そうに言ってるけどさ、立て続けに聴けば、実際には頭の中で色々と思いが巡ってしまうわけですわ。特に最高の物を観た後はね。それはやっぱり仕方がないと思う。
その代わり、じゃないけど、昨年8月のバイロイト・ライブ「トリスタンとイゾルデ」(NHK・BS放送を録画したやつ)を自宅で鑑賞した。
今年のバージョンと大きく違うのは、イゾルデ役がE・ヘルリツィウスだということ。
実はヘルリツィウスも、当初発表されたA・カンペの代役で、急遽出演だった。(バイロイトはホント色々ありますねぇ・・。)
そのヘルリツィウス、まるで魔物に取り憑かれたかのようなこわ~いイゾルデであった。
映像だとどうしてもアップに晒されるので、そのこわ~い表情が露わになると、「うわー、イッちゃってるなあ」って感じで、そこら辺はホント申し訳ない。
エレクトラだったら、これでいいんだけどな・・。
歌は本当に素晴らしかったというのに・・。視覚が印象に大きく影響を及ぼしてしまう映像の鑑賞というのは、実に厄介だ。
映像だろうがライブだろうが、相も変わらず凄いと思ったのはティーレマンが繰り広げるドラマチックな音楽。
この指揮者、オーケストラから音を引き出すのが抜群に上手い。音のうねりが、聴覚でも視覚でもなく触覚のように、手に取るようにひしひしと感じられる。それもこれも、劇場の音響特性を完璧に把握しているからだろう。
だからと言って、他の指揮者におせっかいアドバイスするのは、やっぱやめましょうね(笑)。
興味深いと思ったこと。
ところが、映像では、寂寥感は湛えているが、色調はもっともっと濃い。例えるなら、群青。
視聴の場所、方法、環境などによって、印象が大きく変わるものだと改めて思った。
この映像では、ほんのわずかだが、実に面白くかつ興味深いシーンが挿入されている。
バイロイトではピットが覆われて客席から見えないことをいいことに、みんなラフな普段着で演奏している。指揮者ももちろんそう。周知の事実だが、そうした格好の様子が放送されたのは前代未聞のことではないだろうか。
それから、ティーレマンは演奏が終了し、タクトを下ろすと、そのまま指揮台に伏してしまう。まるで精根尽き果てたかのように。まさかパフォーマンスではないだろうが、この壮大な楽劇の上演をやり遂げた達成感が伝わってきて、グッと来た。
カーテンコールで歌手たちに続いてティーレマンが登場。指揮していた時のラフな服装ではなく、ちゃんとお着替えした格好。裏では、さぞ慌ただしく忙しかったのでしょうね(笑)。
そのティーレマンを、外から見えないピット内のオーケストラ奏者たちが、客席と同じように拍手で讃えていた。そんなシーンもまた、貴重なカットだった。