指揮 エリアフ・インバル
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番
デュメイの音がいい。きれいとか美しいというのではなく、味がある。出汁が十分に染み込んだ煮込みダイコンのような音。良い例えなのかどうかは知らんが。
いずれにしても自分の音色を持っているというのは、強みだ。
長身のデュメイ、手にするヴァイオリンがまるでオモチャのよう。いつも思うのだが、もっと大きな楽器の方が身体にマッチするのではないか。ピアノとかチェロとか。弾いている姿もきっと絵になっただろう。
まあ、ヴァイオリンを始めたのは幼少の頃だからそんなことは考えも及ばなかっただろうし、世界的なヴァイオリニスト対して余計な話だわな、すまん。
メインのタコ8は、さすがインバルらしく強靭かつ雄弁。大音響の炸裂は見事なまでに圧倒的だが、静かな場面においても緊張感が果てしなく続き、フッと肩の力が抜けるような所がまったくない。聴いていて非常に疲れるが、もっともこちらはそれを体感するために会場に足を運ぶようなものだ。これぞショスタコーヴィチ、それでこそショスタコーヴィチ。
この日、配布されたプログラムに書かれたインバルの何とも自信満々のコメントに驚く。
「私は指揮をするために生まれてきた」
「オーケストラを育てる能力、それは私が生まれ持ったものかもしれない。リハーサルをする前と後とで、オーケストラが変わらないということは、自分にとってはあり得ない。」
こういう本人談を目にすると、さぞリハーサルで目からウロコのビルドアップを講じているように思えるが、同じくプログラムによると、彼からの要求は「そこはピアニシモで」「もっと軽く」など、非常にシンプルなのだという。
それだけ指示が端的かつ的確ということなのだろうが、以前にN響に客演した際、楽団員からの「評判の指揮者だったので、リハーサルでどんなに凄いことを言うかと思ったら『なんだ、この程度か』と思った。大したことなかった。」という内部評を教えてもらったことがある。
ちなみに、インバルはその後、N響からのお呼びがまったくかかっていない。