2016年7月1日 新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだトリフォニーホール
指揮 ダニエル・ハーディング
合唱 栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊
エミリー・マギー(ソプラノ)、ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)、市原愛(ソプラノ)、加納悦子(アルト)、中島郁子(アルト)、サイモン・オニール(テノール)、ミヒャエル・ナジー(バリトン)、シェンヤン(バス)
「ミュージックパートナー」という称号を得て新日本フィルを振ってきたハーディングのラスト公演。これでおしまいとは本当に惜しい。
東京フィルのチョン、東響のスダーン、都響のインバル、日本フィルのラザレフのように、桂冠指揮者に奉って、「せめて一年に一度だけでもいいから」と願いたいところだが、やはりこれほどの人気指揮者をつなぎとめるのは、難しかったということなのだろう。彼の近年の世界的な活躍ぶりは、それほど目覚ましい。
こうして最後に特大スペシャルな作品を演奏してくれるのは、ファンへのせめてものプレゼントということで納得しようではないか。
演奏は、最後の最後までハーディングらしかった。
壮大な音響の構築で聴き手をグイグイと揺さぶるようなものではない。どれだけ作品の規模が大きくなっても、アプローチは毎度のごとく非常に分析的だ。第一部の大きく鳴り響くところよりも、むしろ第二部のファウストの物語のテキストを几帳面に表現しているように感じた。そこに何が書かれ、どんな心情を表しているのかを注意深く拾っている。私自身、劇的なクライマックス部分ではなく、こうした部分に惹きつけられたのは、ひょっとすると初めてかもしれない。
合唱はとても健闘した。ソリストも国際級が並んで壮観、「さすが!」と思わせ、日本人も良かった。
で、オーケストラは・・・。
ハーディングのタクトへの喰らいつきが、どうもイマイチ鈍い。敏感な感じがしないのである。気概というか、そうした熱いものもあまり伝わって来ない。音は鳴るのだが、内面は淡々としている。マラ8だというのに。聴衆はあたかも身を乗り出すかのように音に集中しているのに。
もっとも、これはこの日に限ったことではない。昔からそう。小澤征爾が振っても、結構こんな感じ。クールと言えば聞こえがいいのだが・・・。