2016年7月5日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 東京オペラシティコンサートホール
指揮 飯守泰次郎
合唱 東京シティ・フィル・コーア
安井陽子(ソプラノ)、増田弥生(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)、清水那由太(バス)
ブルックナーは言った。「もし第9番が未完となってしまったら、最終楽章はテ・デウムに置き換えても良い」と。
ブルックナーの遺志に従いそのように演奏される公演も多いが、指揮者飯守さんは、あえてそれを避けた。
プログラムでこう言っている。「深遠で天国的な第三楽章に続く楽章を作れなかったのは、一種の必然性があったのではないか」と。
私も飯守さんの考えに賛成である。なぜなら、曲想が全然違うからだ。第三楽章に続いたテ・デウムを聴くと、違和感が湧く。だから、私はこれでいいと思う。
テ・デウムは合唱、ソロ歌手、オルガンを配したスケールの大きさが魅力だが、この日の公演ではそれよりも圧倒的に第9番が良かった。
やはり、指揮者の思い入れが篭っている。交響曲チクルスの最終回という大きな区切りがそうさせているのだと思う。スコアへの没入。タクトに込めた一念。これらがオーケストラにひしひしと伝わり、オーケストラから聴衆に圧倒的説得力を伴って伝わる。
オーケストラの演奏も感動的だ。指揮者のタクトに食らいつき、応える様が、音楽を更なる高みに昇華させる。
先日、ハーディングが指揮した新日本フィルを聴いてまったく感じ取ることが出来なかった「渾身」がそこにあった。こういう演奏を私はいつも求めている。待ち望んでいる。
うーんごめん、それはちょっと持ち上げ過ぎかな??(笑)
でも、その時は本当にそう思ったんだって。