ロイヤル・オペラ・ハウスは、地下鉄コヴェント・ガーデン駅から徒歩1、2分。劇場に向かうには、当然この駅を利用するのが便利だ。
だが・・・。
私は、この駅が、なんとなく怖い・・・。
利用した人なら分かると思うが、この駅は入り口が一つしかない。地下鉄ホームと地上の改札を結ぶのは、4機(だったかな?)が稼働するエレベータ。エスカレータはない。階段はあることはあるが、かなりの段数があって、ほとんど誰も利用しない。
このエレベータに乗るために、大勢の乗客が一斉に狭い袋小路に向かい、エレベータが到着するのを待つ・・・。
私は、この袋小路の密集空間が怖い。
テロリストの標的にされる大都市ロンドン。中でもコヴェント・ガーデンは、多くの人出で賑わう名所だ。もしこの駅構内でテロを仕掛けられたら、逃げ場がない。
テロはいくら何でも大げさだとしても、例えば軽犯罪を犯す集団に囲まれたら、やっぱり逃げ場がない。
ということで、最近私はコヴェント・ガーデン駅ではなく、近くのレスター・スクエア駅で降りて、そこから劇場に向かっている。それほど不便は感じない。徒歩でわずか7分程度の近さなのだから。
過剰な心配じゃないのか、という意見はごもっとも。でも、怖いんだから仕方がない。
(ちなみにロンドン市交通局でも「コヴェント・ガーデン駅は混雑するので、是非一つ隣の駅をご利用ください。」と推奨している。)
さて、本題に移ろう。
2016年5月5日 ロイヤル・オペラ・ハウス
指揮 ハルトムート・ヘンヒェン
演出 ティム・オルベリー
本公演では、やはりタイトルロールを歌うペーター・ザイフェルトの歌唱に注目した。
その後私は一昨年ルツェルンで、トリスタンとイゾルデ第二幕コンサート形式上演に出演した彼を聴いた。ずいぶんと老けてしまった彼にびっくり仰天した。キャリアとしては、いよいよ終盤に向かっている感じがした。そんな中での今回のタンホイザーだ。
まず見た目であるが、白髪をしっかり黒に染めたのか、あるいはカツラなのか、すっかり以前のザイフェルトに戻って、ひとまず安心(笑)。肝心の歌も、かつてに比べてひ弱にはなっているものの、むしろ味わいのある円熟の歌唱。
まだ大丈夫だ、ザイフェルト。もう少しいけるぞ、もう少し頑張れ、ザイフェルト。
お次は、ヴェーヌスを歌ったソフィー・コッシュ。歌がとっても艶っぽい。(容姿じゃなくて、あくまでも歌ね(笑))
お次は、ゲアハーヘル。素晴らしい!一番良かった。歌唱が非常に正統的であり、インテリジェンスを感じる。彼はリートにおける評価がすこぶる高いが、なるほどなと思った。その評判は伊達ではなかった。
歌手についてはそんなところかな。残りの方々、エリーザベトさんのコメント、特にありません(笑)。
ついでに言うと、指揮者のコメントも特にありません。どうもすみません。
演出について。
男どもを惹きつけ、虜にしてしまうヴェーヌスベルク。この妖艶なる魔の場所の魅力を、舞台芸術の陶酔性に掛け合わせ、その入り口を舞台の扉、ロイヤル・オペラ・ハウスの緞帳幕に見立てているというのが、ポイント。
しかし、舞台芸術の行く末は決して楽観的なものではなく、道を誤れば、待っているのは没落と崩壊、という示唆を含んでいる。
と、このように描かれた総合プランを解き明かせば、いかにも先進的な演出のように見えるのだが、残念ながら少々詰めが甘い。着眼点は良好なのだが、やや中途半端。
理由は簡単。問題提起だけしておいて、その結論がぼかされているからだ。演出家が考える舞台芸術の未来がどこにあるのかが、よくわからないのだ。
それはつまり、タンホイザーは救われたのか、それとも救われなかったのか、これを詳らかにすることを怠った結果である。
まあ、「そこから先は、観客であるオマエら自身が考えろ」というのなら、話は別だが・・・。
ダンサーにものすごい運動量を求めていて、観ていて「こりゃあヘトヘトに疲れるだろうなあ・・・」と思った。ホントお疲れさま。
でも、そのおかげで、二週間以上経った今でも、舞台について思い出すのはこのシーンだけ。それだけ強烈な印象を残したというわけで、観ている人にそう思われたのなら、奮闘したダンサーたちも報われるのではないかな。