クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/2/20 二期会 タンホイザー

2021年2月20日   二期会   東京文化会館
ワーグナー   タンホイザー
指揮   セバスティアン・ヴァイグレ
演出   キース・ウォーナー
管弦楽   読売日本交響楽団
狩野賢一(ヘルマン)、片寄純也(タンホイザー)、大沼徹(ヴォルフラム)、田崎尚美(エリーザベト)、板波利加(ヴェーヌス)    他


以前にもコメントしたことがあるが、二期会公演の感想記事を書く時、毎度「何だか申し訳ないな」と思ってしまうことがある。
それは、歌手団体の公演なのに、真っ先に書いてしまうのは、演出のことだったり、指揮者がリードする音楽全体の仕上がりだったり、オーケストラのことだったりで、歌手に関することがほとんど後回しになってしまう、ということだ。
で、その歌手について、散々後回しにした挙げ句、「いつもの二期会レベル」、「日本という枠の範囲内で、まあ良かった」みたいにけんもほろろ、つれなく言い放ってしまうわけである。

当事者の方々が目にしたら、がっかりしてしまうだろう。
でも、絶賛したくなるような歌唱になかなか巡り合うことがない、というのは、正直、偽らざる感想。だから、仕方がないのだ。
逆に言えば、そのような歌唱を目の当たりにしたら、ストレートに絶賛コメントを書く用意がある。そういう歌手の出現を、私はいつも期待している。

一つ言っておくと、海外の劇場と提携して世界的に名高い演出家のプロダクションを制作し、指揮者も海外から積極的に招く意欲的な姿勢は、実に立派だし、プロフェッショナルだと思う。もう一つの某オペラ団体の、まるで同好会みたいに保守的かつ安直で、もはや呆れて物が言えない活動方針に比べれば、数段マシ。
だから、二期会にはもっともっと頑張ってほしいと心底思っている。


ということで、今回も最初に書くことは、指揮者とオーケストラについてだ。
ピットの中から本格的なワーグナーが聴こえてきて、まず仰天。そして感服。思わず唸った。
これぞ読響の実力、これぞフランクフルト歌劇場カペルマイスターの実力。

特に、ヴァイグレのタクトの求心力、推進力が特筆すべきことだった。
日本でこれまでに披露したオペラ公演だけでなく、私はフランクフルトでも彼が振った公演を何度も観ているが、卓越した統率力の発揮という点で、ほぼベストと思えた。
世界中の歌劇場がコロナの影響を受け、公演の開催が困難となっている中、日本でこうしてオペラを上演する機会を与えられたことを、彼は心の底から意気に感じ、いつも以上に気合いを入れたのではないだろうか。

加えて、読響が上手い。
比較しちゃいけないんだろうけどさ、普段新国立のピットに入っている某オケの演奏とは、出てくる音が違っていたわけである。

ふと思う。
もしヴァイグレが、新国立のピットに入っている某オケを振ったら、今回のような音が出てくるのだろうか?
有能な指揮者は、オーケストラから実力以上の物を引き出すことが出来るとのことだが、果たして・・・。


次に演出について。
演出家は新国立で「トーキョーリング」を手掛けた鬼才K・ウォーナー。フランス国立ラン歌劇場(ストラスブール)との提携プロダクション。
実際にはウォーナーは直接的な演出指導に関わらず、ラン歌劇場の制作責任者がリモートで仕上げていったとのことである。二期会はあくまでも提携先の劇場と契約したわけだから、ある意味当然とも言える。

K・ウォーナー、「トーキョーリング」があまりにも革新的で衝撃的だったので、奇抜な手法を採用するタイプのイメージがあるが、彼が演出した他の作品や舞台を見ると、結構堅実な物が多い。今回も、大幅な読み替えは避け、全体的にオリジナルの枠に収めつつ、細部には様々な仕掛けを施していて、彼なりの独自性を打ち出ている。

もっとも、そうした仕掛けが、作品の見方を大きく変えるほどの新たな視点の創出にまで至っているかといえば、そうでもない。

例えば、ヴェーヌスと一緒に登場する「子供」。「タンホイザーとの間の子」という設定と思われるが、成長後の将来に何かを暗示させるかというと、何もない。
絵画の中から飛び出したヴェーヌスベルク、ステージのある講堂という空間、巻いた針金で出来た籠のオブジェ・・・どれも思わせぶりでありながら、決定的な比喩や象徴になり得ていない。

ただし、「思わせぶりに提示だけして、あとは観客の自由な想像力に任せる」というやり方も、実はまた欧州でよく採用される手法である。「あれはいったい何なのか?」と演出家に尋ねれば、「ところで、あなたは何に見えたか?」聞き返される。
そういう意味で、ウォーナーは、自分の役目をまっとうしたということなのかもしれない。


歌手について。
好印象の方と、そうでない方と、半々に分かれた。
好印象を受けたのは、エリーザベト役の田崎さん、それからヴォルフラム役の大沼さん。
田崎さんは存在感があったし、歌唱の中に込められているものがしっかりと聴こえてきた。また、ドイツ語で歌っていることを忘れさせる表現力があった。(あとの人たちは、「外国語で歌ってるなあ」という印象を拭えなかった。)
大沼さんは、エリーザベトへの純愛を貫く姿勢が演技にも歌にもよく出ていた。演出にマッチした歌唱だった。

タンホイザーの片寄さんは、申し訳ないけど、ワーグナーの主役として磨きが足りない。フローとかエリックとかメロートとかなら十分だと思うけど。根本的に、ヘルデンテノールの人材不足が問題ということか。
ヴェーヌスの板波さんは、私の感性との相性が良くない。1月公演の「デリラ」も「だめだこりゃ」と思ってしまった。もはや残念としか言いようがない。

最後に、カーテンコールで、合唱指揮者として新国立劇場の三澤洋史さんが出てきて、ひっくり返った。なんじゃそりゃ。そういうのあり?
まあ、ありって言えばありかもしれないが・・・それでいいのか二期会さんよ。