クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2016/5/11 ベルリン・フィル1

海外コンサート・オペラ三昧旅行を終えて日本に帰ってきたら、すかさずベルリン・フィルが来日した。すごいスケジュールが続いている。疲れているなんて言っている場合じゃない。
奇しくも旅行記はちょうどウィーン・フィルについて書いたところ。こうして記事に世界の二大オーケストラ鑑賞記について立て続けにアップできるのは、ナイスなタイミングだし、我ながら嬉しい。
 
ベートーヴェン  交響曲第1番、第3番
 
 
音を出す前から、このオーケストラは独特の雰囲気を持っている。開演時間となってオーケストラプレーヤーが登場すると、その独特の雰囲気が一瞬にして会場を支配するのである。
「自分達は世界最高オーケストラなのだ」という誇りと自信と自負。そのオーラがステージから放たれるのだ。
 
そのオーラの発散は、演奏が開始された後も立ち消えることがない。一人ひとりが演奏技術に誇りを持った職人たち。合奏でありながら、「自分はこのように演奏したい」、あるいは「このように演奏するべき」という自己主張に溢れている。このオーケストラ奏者の自己主張がベルリン・フィルのゴージャスサウンドの原点。そして、これらは奏者の身体の動きとなって体現され、視覚的にも訴えかけてくる。
 
すると、どうなるか。
ステージが波打つかのようにうねる。
このうねりとともに繰り広げられる聴覚上の音楽展開を体感する。これこそがベルリン・フィルをライブで聴くことの醍醐味だ。
 
ラトルは、こうした各プレーヤーと丁々発止のやりとりをしながら音楽作りをするのが、もう楽しくてしようがないという感じだ。
「だったらこうしてみたらどうだろう?こういうのはどうだろう?」と次から次へと提案していく。これにオーケストラが即応する。そこからまた新たな展開が繰り広げられる。
 
そうやって作られていくラトル&ベルリン・フィルベートーヴェンは、一見オーソドックスでありながら、創造性に満ちていて、非常にモダン。ステージという現場において、音符が音楽に変容し、色付けされ、生命力が備わっていく。こうした作業を目の当たりにできる喜び。なんと幸せなことだろうか。
 
それにしても、管楽器のソロ奏者の上手いこと!
特にオーボエのA・マイヤーとホルンのS・ドールのまろやかな音はとにかく絶品、溜息ものだった。