クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2016/1/23 読響

2016年1月23日  読売日本交響楽団   東京オペラシティホール
 
 
「特別演奏会」と銘打ったとおり、本当に特別な演奏会だった。
桂冠名誉指揮者としてここ数年毎年のように来日し、毎回圧倒的な名演を披露してきたミスターS。今シーズン当初のラインナップにはその名がなかったが、多くのファンの期待に応えて来日が決まった公演のプログラムは、ブルヲタどもが泣いて喜ぶ至高の作品。こうして、多くの信者がその啓示を拝聴するためにホールに集った。
 
音楽と真剣に向き合う。一音たりとも聴き逃さない。
そんな張り詰めた空気が会場を支配する。
異様とも言えたその雰囲気は、ステージ上にもひしひしと伝わったのだろう。コンマスをはじめ、演奏に没入する奏者たちの全身全霊の気迫が尋常でない。
 
指揮者と奏者と聴衆が三位一体となって天地創造の扉を叩く。
やがて扉の隙間から光が差し込み、指揮台に立つ人物を照らす。
その神々しい輝きに、目の当たりにするその人物がはたしてスクロヴァチェフスキなのかそれとも降臨した作曲家なのか、現実の世界なのか瞑想の世界なのか、わからなくなってくる・・。
 
こうした奇跡が起こるのは、やはり指揮者がスクロヴァチェフスキだったからだ。彼こそが現存で最も神に近い指揮者ということなのだ。
 
かつてピンと伸びていた背筋はいつしか丸くなり、かつて奏者を見据えながら高々と合図していたタクトはいつしか懐の内側で空を切るようになっている。
それが余計に「オーケストラとの対峙」から「内なる世界との対話」へと変化し、あたかも昇華した悟りのように見えてくる。ますます際立つ孤高感。これこそが今回の特別演奏会の「特別」たる所以であろう。
 
すべての演奏が終わった後の、怒涛のブラヴォーコール。
何人かの信者が思い切りフライングし、神聖な空気を壊してしまったが、分からないではない。一刻も早く叫ばずにはいられなかったのであろう。許したくはないが、仕方がなかったと思いたい。
 
私は演奏を聴きながら、「ひょっとしてこれが最後なのであろうか。本当に最後なのだろうか。」と何度も自問していた。
聴衆の願いは一つ。皆共通だ。「是非、是非、また来てほしい。どうか・・。」
でも、仮に日本での公演がこれで最後だったとしても、私はきっと納得が出来る。ブルックナー交響曲第8番を振って有終の美を飾る。聴衆は熱狂的な喝采を指揮者に贈った。指揮者としてこれほどの満足があるだろうか。スクロヴァチェフスキは日本でそれを手に入れることが出来た。
彼は幸せだ。そして、この演奏を聴くことが出来た我々も、きっと・・。