クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2016/1/19 シカゴ響2

2016年1月19日   シカゴ交響楽団   東京文化会館
プロコフィエフ  交響曲第1番古典
ヒンデミット  弦楽と金管のための協奏音楽
 
 
この日の演奏を聴きながら、ぼーっと考えていたこと。(「全力集中して聴いていたんじゃねえのかよ?」というツッコミ歓迎。)
私がマエストロの軍門に下ることとなった決定打が1985年フィラ管のコンサートだったことは昨日の記事に書いたが、要するに私にとってリッカルド・ムーティは、出発点において、オペラではなく「コンサート指揮者」だったのだ。
やがてスカラ座に君臨することとなり、私自身もオペラを愛するようになり、舞台に接する機会が格段に増えて、マエストロを「イタリア・オペラ界の総帥」と仰ぐようになるわけだが、それは後々にそうなったのであって、元々私が惚れ込んだのは彼が振る交響曲管弦楽の演奏だったのだ。
 
今回、コンサート・オーケストラの世界トップ級であるシカゴ響の監督として来日し、彼が振るプロコフィエフヒンデミットチャイコフスキーを鑑賞して、私は改めてこのことを認識した。そして、彼が振る管弦楽作品のレコードを聴きまくっていたあの頃を、とてもとても懐かしく思い出した。
 
ムーティは、音楽の主体性をオーケストラに任せ、大きな枠の中で自由に泳がせようとする指揮者ではない。作品に内在する本質を捉え、音楽の方向性を率先して示し、確信に基づいた力強いタクトでリードしていく指揮者である。
 
そうやって出来上がった音楽の、なんてドラマチックで、推進力があって、鮮やかなことか。
 
この日のプログラム、プロコといいチャイコといい、切れ味があって活きがいい。曲がまるで生き物であるかのよう。
作品に生命を宿らせる - 指揮者にとって大切で重要な役割と使命を、マエストロはさりげなく、ごく当たり前のように全うしていた。いろいろと再認識した一夜。なおかつ、ちょっとノスタルジックな気分になった一夜でもあった。
 
それにしても、今年はすごい。あと2回も日本で聴けるチャンスがあるのだから。