2013年10月30日 東京・春・音楽祭特別公演 すみだトリフォニーホール
指揮 リッカルド・ムーティ
管弦楽 東京春祭特別オーケストラ
合唱 東京オペラシンガーズ
安藤赴美子(ソプラノ)、加藤宏隆(バリトン)
運命の力より序曲、第2幕「天使の中の聖処女」
マクベスより第4幕「虐げられた祖国」
ナブッコより序曲、第3幕「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」
だが、生誕200年というメモリアルをスペシャルに飾る必要があるのならば、この人を抜きにすることなど出来ないだろう。もはや「現役最高のヴェルディの権威」と称えてしまっても何ら差し支えない、皇帝リッカルド・ムーティ様である。
一曲目のシチリア島の晩鐘序曲を、私は特別な思いを抱きながら聴いた。
1985年5月、フィラデルフィア管弦楽団の来日公演。当時音楽監督だったムーティが披露したこの曲の演奏が忘れられない。稲妻の閃光が走り、瞬く間に私は雷に打たれた。ビリビリと感電したまま放心状態となって、しばらく動くことが出来なかった・・・。
今年1月、あの衝撃体験を再び味わえるチャンスが訪れた。シカゴ交響楽団のアジアツアー。なぜか日本をスルーされてしまい、私は台湾に馳せ参じた。ところが直前に指揮者が替わってしまい、わざわざ台北まで出向いてそこでクソぬるいシチリア島を聴かされてしまった。だから、どうしてもどうしても、ムーティ先生にはケリをつけてもらわねばならなかった。
フィラ管の時のマエストロの指揮姿は今も鮮明に目に焼き付いている。目にも留まらぬほどの素早いタクト、髪を振り乱さんばかりの激しい動き、獰猛なライオンに向かっていくかのような勇ましさ。
あれから28年。かつてのような動きの激しさはなくなった。
だが、年齢と経験を重ねた分、威厳と風格は極みにまで達し、手のひらの返し一つで瞬時にオーケストラを制圧するほどの凄味が加わった。オーケストラ奏者も合唱団員も、客席にいる聴衆も、すべての人が指揮台に立つ英雄の一挙手一投足に釘付けになっている。特に我々聴衆は、マエストロのサッとした手の動きによって空気が一変し同時に音楽が一変するという魔法を何度も目の当たりにし、そのたびに息を呑んだ。
それにしてもオーケストラは急造だ。しかも日本人。リハーサルの時間だって限られていたはず。
特筆すべきは、その音色とフレージングだ。出だしから終わりまで音の処理をおろそかにせず、一つのフレーズを大切に保っている。
マエストロはタクトだけでも雄弁に表現することが出来る指揮者であるが、それだけではあのような美しい音色とフレージングを生み出すことは出来ないと思う。リハーサルの段階で、自ら望む音をオーケストラから自在に引き出す独特の手法を展開しているのである。秘訣と言ってもいいだろう。
それは「歌って示す」ということ。
御存知だろうか、マエストロは歌がうまい。「このように演奏してほしい」という要求を、理論ではなく感性によって伝達することが出来る。(もちろん卓越した理論も備えているが) これは彼の強みでもある。
いかにもイタリア人であるがゆえの為せる業という気もするが、イタリア人指揮者がすべてそのやり方に長けているとは限らない。ムーティは特別に歌の心得がある指揮者だと思う。だから長きにわたってスカラ座の音楽監督として君臨することが出来たわけだ。