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2016/1/18 シカゴ響1

2016年1月18日  シカゴ交響楽団   東京文化会館
マーラー  交響曲第1番
 
 
待ちに待った公演。ようやく。やっと・・・。
 
自慢じゃないが(いや、自慢かもしれないが)、私がこれまでにマエストロムーティの公演に足を運んだ回数は、ごく普通の愛好家連中には決して負けんと思っておる。(熱烈なファンの方々には負けるが。)国内国外を問わず、チャンスがあれば行く。私はマエストロの信奉者なのである。
 
だから、マエストロがシカゴ響の音楽監督に就任すると、このコンビによる公演を鑑賞する機会を虎視眈々と狙った。
いつになるか分からない日本公演なんて、待ってられるかよ。
私にとって、それはごく当然のことだった。
 
2011年2月。シカゴ。
はるばる行ったら、マエストロは練習中に指揮台から落ちて重傷を負い、指揮者が変更となった・・・。
 
2013年1月。台北
東アジアへのツアーだというのになぜか日本は素通りされ、仕方なく行ったら、マエストロはインフルエンザで一連の公演をすべてキャンセルし、指揮者が変更となった・・・。
 
そんな中でようやく迎えたのがこの日なのだ。気持ちが高揚せずにいられようか。
(結局「いつになるか分からない日本公演をひたすら待っていた一般ファンと同じじゃんか」と言われれば、そのとおり。私の内なるプライドは少々傷ついているが、それは頼むから言わんでくれ。)
 
待ちに待っていた理由がもう一つ。
31年ぶりなのだ。
何がって? マーラー交響曲第1番をマエストロのタクトで聴くのが。
1985年5月。フィラデルフィア管弦楽団との来日公演で演奏したマラ1体験は、私にとって最大級の衝撃であった。
作品が持つ巨大なエネルギーに驚愕。フィラ管の上手さに驚愕。そして何よりもマエストロの疾風怒濤のタクトに驚愕。この時の記憶の断片は決して消えることがない。
「何があっても、この指揮者に付いていこう!」
この観賞体験が私の運命を決めたと言っても過言ではない。
 
あれから年月は経った。なにも「あの時の再現プリーズ!」などとは言わない。生演奏はスイッチ一つで蘇るCD録音の再生ではないことくらい分かっている。
それでも私は期待してしまう。また打ちのめされたい。目から星が飛び出してキラキラ舞うほどのパンチを浴び、ノックダウンされたい。いつの間にか74歳になっていた円熟の巨匠に、それを望んではいけないのか?
 
それにしても、なんという魅力的なプログラムであろう。
ベト5とマラ1。どちらもメインになり得るほどの重厚さ。これは王者のプログラム。そこらの若造指揮者がやったら、身の程知らずとして誹りを受ける。王者にしか許されないプログラムなのだ。
 
まずベト5。
冒頭の第一主題の厳粛な音。弦楽器の響きに、奏者が弦を弓で押す圧力の重みを感じた。音量ではない。渾身の音圧。これが豊かに鳴り響き、ホール空間をあっという間に満たした。
更には、管楽器の音色の絶妙なニュアンス。ティンパニーから伝わる振動。
 
「あ、これは・・全然違う!」
同じシカゴ響でも、マエストロが振るのと振らないのとでは、各奏者の気合い、音の込め方が段違いに異なるのだ。不運なことに二回も代役指揮者で聴くはめになった経験から、はからずも気が付いてしまった如実かつ決定的な差。
 
メインのマラ1。
第一楽章はこちらのボルテージに肩透かしを食らわせるかのように淡々と進んだ。しかし、第二楽章からいよいよ本領が発揮される。それは、見た目のタクトでも瞭然だった。
左手である。
「右手がテンポとリズムと強弱の表現なら、左手は情感や陰影、色彩などを表現する。」
指揮法教本にそのまま載っていそうな言い表しだが、まさにマエストロの左手はそのお手本。
その左手が描く弧によって音楽が自在に変化する奇跡を、視覚と聴覚の両方で感じ取る。
 
最終楽章。嵐のような激しい炸裂。しかし、ここでもマエストロは泰然と動じない。
例えば一昨年のフィラ管で、若き俊英ネゼ・セガンは、ここで一気呵成になだれ込んだ。そこにあったのは、マーラーの最初の交響曲らしく、「青春の熱情」だった。
翻ってマエストロのクライマックスは、プログラムのことで上に書いたとおり、堂々たる「王者」の行進。まさに皇帝ムーティ歓喜の戴冠。
 
今回の演奏で、望んだとおり打ちのめされたか、ノックダウンされたかといえば、そうならなかった。おそらくあの原体験から月日が経ち、私は歳を取って少々のことでは動じなくなり、そして鈍感になってしまったのだ。
 
それだけの月日が経ったというのに、かたや全然衰えが見えないマエストロよ、永遠なれ。偉大なる指揮者に栄光あれ。