指揮 ワレリー・ゲルギエフ
ドミートリ・マスレエフ(ピアノ)
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
今年のチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門は、かなりのハイレベルだったと聞く。ショパンコンクール第2位のゲニューシャスを始め、様々な国際コンクールの入賞者がエントリーして覇権を競ったそうである。マスレエフは、これを制した。故に、少なからずの期待が高まった。(「新星の登場」というのはどんな時でも心が踊るものだ。)
ところがである。これがこちらの期待をはぐらかすかのような演奏スタイルに戸惑った。
「第一位」という輝かしい実績を引っ提げたいわば凱旋公演のようなものなのに、見得を切って大きく構えるのではなく、実に淡々とした演奏だったのだ。しかも「えー?大丈夫かよ!?」とヒヤヒヤする箇所も散見。
そりゃ確かにテクニックを誇示し、華麗な演奏を披露するだけが能じゃない。クールな佇まいで内面的な感情を表現することも、立派な音楽性だ。
だが、私には残念ながら表面を撫でているようにしか聞こえなかった。マスレエフはこの作品を通じて何を聴かせたかったのだろうか。この作品から何を掴んだのだろうか。
アンコールの小品2曲ではこのピアニストの持ち味が出て、ここでようやく才能が感じられたのは救いだった。
ゲルギエフの指揮によるオーケストラは、さすがというかハイブリッドな音楽を聴かせた。気のせいだろうか、例年だと若者特有のガッツや熱気がひしひしと伝わってくるのだが、今年の場合、コンマスを筆頭にやや小さくまとまっている印象。しかしながら、機能性は相変わらず高く、細かいパッセージもピッタリと決めて、潜在能力は十分に見せつけた。
リハーサルでああだこうだ言いながら細かく作り上げていく指揮者も重要かもしれないが、ゲルギーのように本番での全身から発するエネルギーでオーケストラをリードしていく指揮者というのも、若いアカデミー・オーケストラにとっては大切なのかもしれない。芸術家にとって最も大事なもの「感性」が、この指揮者によって更に一段と磨き上げられることまちがいなしだ。