指揮 ワレリー・ゲルギエフ
セルゲイ・ハチャトリアン(ヴァイオリン)、ナレク・アフナジャリャン(チェロ)
ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
今年完成した本格的コンサートホール「フィルハーモニー・ドゥ・パリ」は大きな話題を呼び、日本にもニュースが伝わった。これまでのパリのコンサートホールは、大都市かつ芸術の都でありながら、いささか寂しいレベルであったので、待ち望んでいた愛好家たちは「ついに、ようやく」という思いであろう。
そのホールであるが、実に素晴らしい! いきなり世界屈指、名門ホールの仲間入りではないだろうか。さすがパリ。威信を賭けて建設しただけのことはある。
まず、空間が美しい。思わず感嘆の声があがるほどである。どこからもステージが近く、色合いも良く、形もかっこいい。
肝心の音響だが、やわらかく、残響も心地よく、それでいて各パートの聞こえ方もクリア。文句なしだ。
ベルリンのフィルハーモニー、ムジークフェライン、コンセルトヘボウなどと同じように、オーケストラとホールが一体となって、その都市のクラシック界の顔となること間違いなし。パリ管の世界ランクも、これで上昇するのではあるまいか。
さて、この日の公演について。
しかも、幻想だよ、幻想。パリ管の名刺代わりとなる勝負曲だぜ。
それを、ゲルギーさん、あんたがやるか?(笑)
と言いつつ、実はこれもまた楽しみだった。
ゲルギエフという指揮者は、リハーサルを重ね、ああだこうだと議論を深めながら音楽を作っていく人ではない。パッションとヒラヒラタクトで、瞬時に化学反応を起こさせる魔法使いである。ただしその魔法が効く時と効かない時があり、その落差が激しい。効かなければ、ただのいかさま師。そんなゲルギーが、プレーヤーからしてみれば目をつぶっても演奏できる「幻想」を、果たしてどう手玉に取るのか。
結果は、実に面白い、思わず笑っちゃうような幻想だった。
パリ管のイメージにあるような洗練されたものではない。一言で言えば、グロテスク。ゲルギエフは客演指揮者らしく、アウトサイダー的異様な世界を構築した。まるでストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いているかのようなヒステリックな演奏が、何とも刺激的。
「こんなの、わたくしたちの『幻想』ではないざます」とパリの紳士淑女たちに呆れられるかと思いきや、お客さんも大いに熱狂。カーテンコールは盛り上がりました。やったね、ゲルギー。魔法効いたじゃんか(笑)。