クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2015/5/8 サムソンとデリラ

2015年5月8日   ダルムシュタット州立劇場
サン・サーンス  サムソンとデリラ
指揮  エリアス・グランディ
演出  インガ・レヴァント
ステラ・グリゴリアン(デリラ)、ルイス・チャパ(サムソン)、ルチア・ルーカス(ダゴン大司教)、トーマス・メーネルト(アビメリク)   他
 
 
唖然、当惑、混乱、閉口、絶句、狼狽・・・。
何がなんだかわからない。まったくと言っていいほど分からない。これほどちんぷんかんぷんな舞台は滅多にない。
 
 いわゆる読替えによる前衛路線なわけだが、何をどう読替えたのか、何を描いたのか、場所はどこなのか、登場人物はいったい何者なのか、皆目見当がつかないのである。
 ここまでお手上げ状態になるのもなかなかない。たいていの場合「ははーん、なるほど、そういうことね」というのが見て取れるのだが、この舞台から読み取れたことはゼロ。皆無。ナッシング。いやー、参ったね。
 
イスラエルの人々(合唱)は手にボードをもち、それを掲げて人文字を作るのだが、折れ線グラフを作ったり(何の数値を表しているのかは不明)、マネーを意味するクレジットカードのロゴを作ったりする。上部には端末の電波受信感度指数やバッテリー容量指数の表示が。
イメージ 1
 
せり上がり機構を利用して舞台を上階と下階の二層にし、ビルの地下室を作る。ここはどこ?ボイラーみたいな物はいったい何?
イメージ 2
 
ペリシテ人ダゴン大司教はご覧の格好。
イメージ 3
 
サムソンはこんな格好。最後にスーパーマンに変身する。まあ確かにサムソンはある意味スーパーマンかもしれないが。
イメージ 4
 
 演出家インガ・レヴァントは、ロシア生まれのイスラエル人女性。ストラスブール・ライン歌劇場でコルンゴルトの「死の都」を演出したライブ映像を持っているが、この演出はとてもまともで、好感の持てるものあった。
 いったい彼女にはこの伝説物語から何が見えたのか。彼女にしか成し得ない独自の世界の創出と展開なのか、それともスキャンダラスに意表を突くことだけを狙った‘はったり’なのか。
 
 ちなみに終演後、壮絶なブーイングが飛び交うかと思いきや、普通のパラパラ拍手。まあ確かにプレミエ(初日)で演出家が挨拶に登場したわけではないので、大騒ぎになることはないのだが、お客さんはこの舞台を理解出来たのだろうか。これを許容するのだろうか。
 
衝撃はもう一つあった。
ダゴン大司教を歌ったルチア・ルーカス。諸兄はこの歌手をご存知か。
 
上の3番目の写真を見て欲しい。真ん中がルチア・ルーカスだ。ご覧のとおり、どう見ても女性である。
しかし、大司教役なのだ。男でありバリトン。つまりルーカス氏は女性でありながら男の低い声を持つ歌手なのだ。
 私は最初、男性が女装しているのかと思ったが、劇場のキャスト紹介パンフに「ゼンガリン」とあった。ゼンガリンとはドイツ語で「女性歌手」という意味だ。
 
 男性がファルセットでソプラノ(あるいはメゾ)の声を出すことはよくある。女性が女性の声を出しながらズボン役として男性を演じることはある。だが、彼女の場合は女性バリトンであり、女性の格好で男性役を歌う。完全なる倒錯。
彼女の生い立ちやキャリアについては存じ上げないが、両性具有ということなのだろうか。あるいは性転換手術を受けた人なのだろうか。いずれにしても世界的に珍しい歌手であることは間違いない。
 
 デリラを歌ったグリゴリアンは、出演陣の中では一番馴染みがある。日本でもカルメンを歌ったことがあるし、一昨年は東京・春・音楽祭の「マイスタージンガー」でマグダレーネ役を歌った。ウィーン国立歌劇場でも脇役でチラホラ登場している。
 なので期待したわけであるが、印象としては「フツー」。
 っていうか、意味不明な演出とルチア・ルーカスさんのインパクトに負けてしまった感が無きにしもあらず。仕方がありませんな。
 
 演出の話にもう一度戻るが、ひたすら当惑だったとはいえ、私自身、この舞台が受け入れ難く腹立たしかったかというと、実はそうでもない。
 同じようにアバンギャルドだったケルンのアラベッラでは拒絶感があった。
 それは読替えによって置き換えられた事象が明らかに異物であり相応しいものではなかったから。元の物と出来上がった物を比較で捉えることが出来たがゆえに、その大きな差異が許容範囲を越えた。
 今回の場合、置き換えそのものが何だか分からない。そうなると現実や知識を超越した単なるイメージでしかなくなり、漠然とした「何か不思議なもの」として入ってきた。サルバトーレ・ダリの絵のようなものか。
 
演出家はそれを狙っていたのだろうか。そういう意味も含めて演出家の戦略にまんまとハマってしまったのだろうか・・・。
 
 最後に、第3幕の「バッカナール」について。
 バレエ音楽ということで、実際にバレエが実演されれば一番いいのだろうが、中小劇場でダンサーを使って出演者の規模を大きくすることは、それがそのまま経費の増大に直結する。かといって、この作品でも特に有名な曲をそのままカットしてしまうのはもったいない。
 ということで、このプロダクションではバッカナールを冒頭に持ってきた。幕が開く前の序曲としたわけである。賛否はあるかもしれないが、私はこの音楽を楽しみにしていたので良いアイデアだと思った。