サン・サーンス サムソンとデリラ
指揮 フィリップ・ジョルダン
演出 ダミアーノ・ミキエレット
3階席だったが、バルコニー1列目だったので、舞台だけでなくオペピットも十分に眺めることが出来た。
そこで目の当たりにした指揮のジョルダンが力強いタクトでぐいぐい引っ張っていたのが、とても印象的であった。
この指揮者、颯爽としてカッコいい! 華があるし、カリスマ的雰囲気も備えている。タクトは自信満々、音楽はストレート勝負なので、非常に潔い。方向性がはっきりしていて、決してぶれない。それでいてサン・サーンス特有の色彩は、まばゆいほどに光沢を放つ。
この日の主役はジョルダンで決まり!
歌手でもなく演出でもない。ひょっとすると作品の潜在力さえ上回ったかも。
どうやらお客さんの評価も、私と同じだったようだ。オペラ公演のカーテンコールで、指揮者に一番の拍手が贈られる。これは実に素晴らしいことだし、なかなかないこと。大抵は主役の歌手が持って行ってしまうのだ。
デリラのラシュヴェリシュヴィリ。
なるほど、なんとも魅惑的だ。ビロードのような歌声は、デリラにぴったりで妖艶。力に頼らず、時に口ずさむかのような歌いっぷりで表現にアレンジを持たせる様は、懐の大きさを感じさせた。
アントネンコも素晴らしかった。この人、近年一皮むけた感がある。ドラマチコとして、今や世界屈指の歌手ではないかと思う。アントネンコがいるのなら、もうホセ・クーラにすがる必要はない。この日も強靭な声で、聴衆を唸らせた。
演出について。
天才ミキエレットにしては、少々控えめで、大人しい部類と言えそうだ。
ポイントは、デリラの誘惑は策略を伴ってのものではなく、彼女は本当にサムソンを愛していたということ。サムソンが捕まってしまったのは、自らの行いのせいとはいえ、本意ではなく、辛いことだった。
彼女は意を決し、サムソンと一緒に死んでいく。
ラストの大団円では、サムソンが神殿を壊すのではなく、デリラがガソリン缶を撒き、自分の身にもガソリンを掛け、そして火を放った。なるほど、解釈としてはユニークだ。
終演は午後11時に迫った。
このような遅い時間になると、大抵の街ではレストラン探しが難しくなるのだが、さすがは大都市パリだ。バスティーユ界隈でも、遅くまでやっているお店で溢れている。公演の感動に浸りつつ、あっという間の四日間を名残惜しむ最後のディナー。ホテルに戻ると、日付が変わっていた。