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2015/1/18 新国立 さまよえるオランダ人

2015年1月18日   新国立劇場
指揮  飯守泰次郎
演出  マティアス・フォン・シュテークマン
トーマス・ヨハネス・マイヤー(オランダ人)、ラファウ・シヴェク(ダーラント)、リカルダ・メルベート(ゼンタ)、ダニエル・キルヒ(エリック)、竹本節子(マリー)、望月哲也(舵手)
 
 
 今回の公演では、特にソロ歌手の方々の出来について、賛辞を送りたいと思う。
 特に、R・メルベートのゼンタが素晴らしかった。身震いするくらいだった。声にエネルギーが宿り、パワーが漲っていて、訴えかける力となって聴き手に迫っていた。
 以前のメルベートはどちらかと言うと繊細だったが、近年、声に威力が増し、強靭さを兼ね備えるようになった。
(それに比例するかのように、御自身の横幅も徐々に増えてきているのだが、そうした強靭さを手に入れるためにスリムを差し出してしまった結果なのだろうか。あ、余計なお世話か。)
 
 まあそれはさておき、メルベートは「ゼンタはこういう声であってほしい」という私の理想どおりのものだった。狂喜とも言えるような一心不乱の熱情。ゼンタ役はそれを声に反映させなければならない。(母性、あるいは幼児性や未熟さを強調させる演出なら話は別だが)
 
 T・J・マイヤーのオランダ人もとても良かった。苦しみ、思い詰め、かすかな希望を見い出し、そして絶望するという感情の変化が良く出ていたと思う。歌も演技も、とても人間らしさを感じさせるものだった。
 
 ダーラントのシヴェクは、昨年11月の新国立の公演で既に芯のある歌声を披露していて、今回も期待どおりだったが、ノーマークだったけど「おお、意外といいじゃん!」と思ったのがエリックのD・キルヒ。
 どうも個人的にこのエリックという登場人物が私はあまり好きではなくて、いつも冷めた目で役を眺めているのだが、今回彼のおかげでほんの少し感情移入出来たのは収穫だった。
 話は逸れるが、初めて聴く歌手だと思っていて、それでもひょっとして以前に何かの公演で見かけたことがあるかもと思い、自分が行ったこれまでの公演データベースで調べてみたら、なんと17年前、ベルリン・コーミッシェ・オーパー来日公演のこうもりで彼がキャストに名を連ねていることを発見した。ちょい役のブリントで。成長しましたねー(笑)。
 ちなみにこの時のコーミッシェのこうもりにはもう一人、「え?こんな人も出ていたの?」という人がいる。モイツァ・エルトマンだ。役はイーダ。びっくりでしょ?
 
 
 オランダ人に話を戻すと、飯守芸術監督のタクトによって奏でられた音楽は、果たしてどうだったのだろう。私自身、どう評価していいかちょっと迷っている。
 昨年10月のパルジファルでは、この指揮者のこだわりと意欲が強く感じられた。音楽を通して飯守氏のやりたいことがひしひしと伝わってきたし、「ああ、これは飯守さんが仕立てた音だな」という箇所がいくつもあった。
 
 今回のオランダ人では、そうしたこだわりがほとんど聞こえなかった。
 どうしてだろう。曲のせいだろうか、オケのせいだろうか、演出のせいだろうか、私のボンクラな耳のせいだろうか。よく分からない。
 
 
 演出については、申し訳ないが、何もコメントできない。なぜなら、この舞台を見て心に感じた物、受け取った物が何もないから。以前に鑑賞した際にもそのように感じ、今回も同様だった。
 
演出家はいったい何を描きたかったのだろう・・・。わかった人がいたら教えてほしい。
 
象徴的なのがラストシーン。
ゼンタは船と一緒に沈んでいき、オランダ人は一人残され、悶えるように倒れる。
ゼンタはオランダ人を救おうとしたのだろうか? オランダ人のために自らの命を差し出したのだろうか?
それによってオランダ人は救われたのだろうか? それとも救われなかったのだろうか?
わからん・・・。
 
ひょっとしてそうした曖昧な解釈を提示して、「あとは皆さんがご自由にお考えください」という投げかけでもしているのだろうか? 私はそのような演出にはとても見えないが・・・。
 
ゼンタが救済してくれたもの - それはオランダ人の魂ではなく、本プロダクションの最低限の質だった・・・なんて言ったらあまりにもキツイかな・・・。