クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/1/11 さまよえるオランダ人

2019年1月11日   ドレスデンザクセン州立歌劇場
演出  フロレンティーヌ・クレッパー
アルベルト・ドーメン(オランダ人)、アニヤ・カンペ(ゼンタ)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(ダーラント)、クリスタ・マイヤー(マリー)、トミスラフ・ムツェク(エリック)   他
 
 
開演の直前、公演責任者らしき人物が舞台に登場したのを見た時、思わず「あ~あ・・」とため息が出た。
こういう時は、突然のキャスト変更か、出演歌手の体調不良を告げるバッドニュースアナウンスしかないからだ。
 
しかし、違った。
アナウンスはドイツ語だったが、何の件だったかははっきりと分かった。
テオ・アダムの訃報である。彼は、ドレスデン出身であった。
 
それにしても、前回10月の旅行ではM・カバリエの訃報に遭遇した。今回またも・・。
とにかく偉大な歌手よ、安らかに。そして永遠に。
 
 
さて、今回、ドレスデンの演目が「単なる」さまよえるオランダ人だったら、訪れることはなく、別の都市での別の公演に足を向けていただろう。
ここドレスデンにやってきたのは、「単なる」ではなく「ティーレマンの」さまよえるオランダ人だったからに他ならない。
ティーレマンワーグナーを聴くチャンスが目の前に現れたのなら、絶対に行く。なんとしても行く。
史上最高のワーグナー指揮者かどうかはさておき、現代最高のワーグナー指揮者であることを断言してしまうティーレマンワーグナーを聴かずして、ワーグナーを語るなかれ、ということだ。
 
何がすごいのかって?
それはどうか御自身で、そして劇場で、体験してほしいと思う。彼のタクトを見、出てくる音を聴けば、だれでも分かることだ。
 
私自身は、彼のタクトを評してよく「揺るぎない確信」という言葉を用いるのだが、それは、ティーレマンは膨大なスコアを頭にインプットした瞬間、それをどのように表現したらよいかという明確な方向性が即座に出来上がるからではないかと思っている。
モーツァルトの場合、音楽をあれこれ考えながら作っているのではなく、頭でパッと出来上がった完璧な楽想を、単に楽譜に書き写しているだけの作業なのではないかと言われる。
実はティーレマンにも同じようなことが言える気がして、彼のタクトは頭の中で完璧に整っている音楽を、単にそのまま腕や体の動きに伝えているだけ、のように思えるのだ。
面白いことに、ピットを覗くと、あたかも指揮台の上にどでかい矢印マークが表示されているかのような錯覚を抱く。
だから、怒涛の音楽に対して安心して身をゆだねられるのだと思う。
 
今回の演出版について。いわゆる現代読替えだ。
船の上での出来事から丘の上の出来事に変わり、船乗りたちは漁師たちに変わる。ゼンタの幼児体験がベースに敷かれており、その幼いゼンタを演じる少女が黙役として登場する。
 
おそらく舞台上に完全に注意を傾けて見ていれば、その演出解釈やドラマトゥルクの全貌も語れたと思う。だけど、残念ながらそれは無理。
私の目は、常に舞台とピットの中を行き来しているからだ。舞台そっちのけでピットを見つめている時間帯だってある。
その結果、仮に演出の意図が時々不明瞭になってしまったとしても、自分としては別に何の問題も不満もない。演出家が語ることよりも、音楽が語ることの方が、より重要。
つまり、そういうことだ。
 
個々の歌手たちについてのコメントはあえて省略しようと思う。
それぞれ皆、レベルが高く、実力が際立っていたが、ワーグナーという音楽の塊の中で見事にまとまっていた。それで十分。それ以上の何を求める?って感じだ。