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2014/12/29 ドン・パスクワーレ

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2014年12月29日   バーゼル歌劇場
ドニゼッティ  ドン・パスクワーレ
指揮  ジュリアーノ・ベッタ
演出  マッシモ・ロッキ
アンドリュー・マーフィー(ドン・パスクワーレ)、ジャンフランコ・モントレソー(マラテスタ)、ノエル・ヘルナンデス(エルネスト)、アガータ・ウィレウスカ(ノリーナ)   他
 
 
 バーゼル歌劇場は、権威あるドイツのオペラ誌OPERN WELTにおいて、かつて二年連続で最優秀歌劇場に選ばれたことがある。
 最優秀に選ばれたということは、すなわち現代における上演の意義を問おうとする姿勢を積極的に示し、数々の尖ったプロダクションを世に送り出した功績が評価されたということだ。当然その中味は、前衛的かつ先鋭的な演出が多くなる。
 
 2011年5月、私はこの劇場を訪れ、ワーグナーパルジファルを鑑賞した。文字通り「前衛的かつ先鋭的」なプロダクションで、とにかく難解極まりなかった。一方で客入りはというと、これが唖然とするくらいガラガラだった。
 
私は「うーむ・・・」と考えてしまった。
 
 こうした路線は一部の専門家・評論家は喜ぶかもしれない。だが、それが原因で一般聴衆離れを引き起こしているのではないか。果たしてそれは正しい道なのか・・・。
 
 あれから3年半。
 今回鑑賞したのは、平易で親しみ易く誰もが楽しめるドン・パスクワーレである。これをどのように見せるかは興味のあるところだ。ストレートに楽しませてくれるのか、頭を捻るような風刺を利かせるのか、それともやっぱり難解な前衛路線でユートピアをぶち壊そうとするのか・・・。
 
 結論から言うと、時代を現代に移しているものの、ごく穏当でノーマルなものであった。
 舞台はリゾート地の別荘。背景はスクリーンになっていて、次々と風光明媚な景勝地を映し出していく。オーケストラピットが別荘の敷地内にあるプライベートプールになっているのが面白い。ピットの前方で客席との間にも演技スペースを設け、そこを自由に行き来しながら多面的な舞台を創出しているのが特徴だ。
 
 設定をほんの少しいじっているだけで、あとは筋書き通りのドタバタ劇。観客は安心して芝居に見入り、時にクスクス、時にドヒャヒャと笑う。難しい事なんか何にも無し。これこそがコミックオペラの王道であり、本来の姿だろう。
 
 音楽的にも、指揮者の解釈、オーケストラの演奏、ソロ歌手の技術云々について特段コメントすることもない。お客さんは大いに楽しんでいた。だから、それでいいのだ。
 
 そして何よりも特筆すべきこと。お客さんが沢山入っていて、盛況だった。
 
 私はここでもやっぱり「うーむ・・・」と考えてしまった。
 この劇場は前衛を貫いたことで「最優秀歌劇場」という名誉を手に入れた。一方で、多くの一般のお客さんはこの路線に付いて来られない。
 もし、最先端を突っ走ることをやめ、今回のように誰もが楽しめる平易なプロダクションをどんどん用意し、多くの一般のお客さんを呼び込もうとしたら・・。最優秀は過去の物となり、ひょっとすると歌劇場の名声と評判は下り、ヨーロッパに数多くある地方劇場の一つとして埋没してしまうかもしれない。
 こうした地方劇場は世界的指揮者や世界的歌手の力に頼ることが出来ない。どのような演目を用意するか、その一点にかかっている。
 
 では、いったいどちらが正しい道なのだろうか。バーゼル歌劇場はどちらを目指すべきなのだろうか。
 
 おそらく「どちらが正しい」ということはない。また、目指すべき方向性だってそんなに簡単に決められないだろうし、単純ではない。どこの劇場も皆、必死に考え、芸術を守りつつ生き残りを懸命に模索しているのだ。バーゼルもまたしかり。たまたま2つのプロダクションだけを見た外野の人間にとやかく言われたくないだろう。
 
 外野の人間である私のせめての願いとしては、決して尖ってなくていいから、鑑賞し終えた時、何か心に残るような、何か考えさせるような、そんな演目を作って欲しいこと。そして、いつまでもその街の文化を担い支える芸術団体として劇場が存続して欲しいこと。
 
 もしそうであれば、私はこれからもこの街を訪れる機会があると思う。きっと。必ず。