2019年11月9日 新国立劇場
ドニゼッティ ドン・パスクワーレ
指揮 コッラード・ロヴァーリス
演出 ステファノ・ヴィツィオーリ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
ロベルト・スカンディウッツィ(ドン・パスクワーレ)、ビアジオ・ピッツーティ(マラテスタ)、マキシム・ミロノフ(エルネスト)、ハスミック・トロシャン(ノリーナ) 他
スカンディウッツィは、好きな歌手だった。90年代後半から00年代にかけて、海外の名だたる歌劇場で彼の素晴らしい歌唱を鑑賞し、とても感銘を受けた。
日本にも来日し、ドン・キショットのタイトルロールやドン・カルロのフィリッポなどで見事な歌声を披露しており、このまま一流歌手としての名声を盤石にするものだと思っていた。
ところが、その後、彼をオペラで聴く機会がご無沙汰になっていく。今回、なんと10年ぶりなのだ。(ヴェルディ・レクイエムのバスパートを担ったコンサートを除く)
私はかれこれ30年近く世界中の一流歌劇場に通い続けている。トップアーティストの地位に君臨している歌手であれば、必ずやどこかでお目にかかっていたであろう。
でも、この10年間なかったのだ。なんだかちょっと複雑な気分である。
まあでも、以前と変わらぬ歌声が聴ければ、それでいい。どこで活躍しているのかが重要なのではなく、今ここで聴く歌唱が素晴らしければ、それでいいのだ。
で、10年ぶりに聴いたスカンディウッツィの歌唱の感想は、「うーーーん・・・」だった。
あらら・・・。
ブッファ、合わねえなあ、と思った。
ただし、私がスカンディウッツィに対して持っているイメージとのギャップのせいで「うーーーん・・・」なのだとしたら、それは聞き手の勝手な烙印だ。正当な評価ではないだろう。
まあいい。そこらへんは曖昧、うやむやにしておこう。
できればまた次の機会で再確認したいが、はたしてそういう機会は訪れるのか??
一方で、ノーマークだったピッツーティとトロシャンには感銘を受けた。
特にトロシャンは、新たな発見。もしかしたら、当初予定だったドゥ・ニースよりも良かったかもしれない。ドゥ・ニース、3年前にストラスブールで聴いたアディーナ役は、ちょっと重たい印象を受けたからね。
ところで、演奏の感想ではないんだけど、この物語、つくづく時代錯誤だよね。
「いい年をして結婚しようとするなんて許せないから懲らしめよう」だなんて、今の時代、誰も共感しない。
むしろ、莫大な遺産目当てで、叔父にすり寄って独り立ちせず、更にうまくやって好きな子と結婚しちゃおうっなんていうバカ甥っ子こそ、徹底的に懲らしめるべき。
ですよねえ!??