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2014/8/16 ルツェルン祝祭管

2014年8月16日   ルツェルン祝祭管弦楽団ルツェルン音楽祭)  カルチャー・コングレス・センター コンサートホール
合唱  バイエルン放送合唱団
ブラームス  セレナード第2番、アルト・ラプソディ、交響曲第2番
 
 
 現地で無料配布されている音楽祭のプログラム冊子には、表紙をめくった1ページ目にアバドの写真が掲載されていた。「感謝を捧げる」という一文と共に。更に音楽祭のインテンダントがマエストロの功績について讃えるページもあった。やはりアバドルツェルン音楽祭は切っても切れない関係にあったのだ。
 にも関わらず、コンサート会場には故人を偲ぶようなパネルやコーナーは一切設置されておらず、それは少々残念でもあった。
 
 そのアバドの死去を受けた代役として祝祭管を振ることになったネルソンス。彼がこの時期ヒマだったのかというと、そんなことは全然ない。ネルソンスはバイロイトローエングリンのチクルスを振っている真っ最中だった。公演の合間を縫ってバイロイトからルツェルンに駆け付け、15日16日と祝祭管を振り、とんぼ返りでバイロイトに戻って17日にまたローエングリンという、超が付く慌ただしさだ。
 
 ルツェルンからバイロイトへはいったいいつどうやって帰ったのだろうか。ヘリでも飛ばしたか?
 
 いずれにしても、針の穴を通すようなスケジュールのやり繰り調整を行ってネルソンスとの契約にこぎつけたフェスティバル関係者には拍手を送りたい。
 もちろん引き受けてくれたネルソンス本人にも。彼はアバドが振る予定だったプログラムを、変更することなくそのまま引き継いでくれた。ブラ2はともかく、セレナードやラプソディがネルソンスのこれまでのレパートリーに入っていたかどうかは分からない。
 
 個人的に、今回のようなプログラムは好きだ。
 まず、渋い。それから、セレナードもラプソディも決してポピュラーではないが、こうした曲を採り上げることでブラームスの理解が一層深まる。
 
 ネルソンスの指揮はいつものとおり熱い。彼は「こうしたい。こうしてほしい。」という音楽表現を、かなりオーバーな身振りで要求する。必然的にメリハリの効いた音楽になる。ある意味、見ていて分かりやすい指揮者である。
 かといって、ただ「大きい所は大きく、小さい所は小さく」なのかというと、そんな単純ではない。表現の手段は非常に多彩で豊富である。その多彩な表現を駆使するために、両方の手の先をフル活用させる。結果、必然的にタクトの棒が用を為さなくなる瞬間がある。そんな時、彼は棒を逆さにして畳んでしまったり、左手に持ち替えたりしながら、やり過ごしていく。そこら辺は師匠のマリス・ヤンソンスにそっくりなのが微笑ましい。
 
 ネルソンスのブラームスは、優しく、人懐っこく、なおかつ感情を揺さぶられる音楽だった。情緒性に満ち溢れた人間的な演奏だった。
 
 果たして、アバドだったらどんなブラームスだっただろうか。晩秋に佇むような、枯れた味わいのある演奏だっただろうか。
 残念ながら、それを確かめることはもう出来ない。