先週の土曜日、リヨン国立管のコンサートに行った。ほぼ同時期にリヨンから二つの文化事業団体が相次いで来日したというのは、偶然とはいえ興味深いことである。両団体ともリヨン市にとっては、かけがえのない芸術使節団であったに違いない。もっとも、日本のお客さんの中には、紛らわしくて区別さえよく分からない人もきっといただろうけど。
コンサートはとても充実したものであった。演奏そのものは私も大いに満足したのだが、フランスのオーケストラにスラトキンというのがどうもピンと来なくて、なんか妙な組み合わせだなあと思った。
レナード・スラトキン。
私のイメージではコテコテの典型的アメリカ人だ。カウボーイハットをかぶらせたら良く似合う風貌。明るくて、ジョーク好き。ちょっぴり軽薄。いやホントすまん、そういうイメージなもんで。あくまでも私の主観。
指揮者としても、アメリカのオーケストラとの関わりが一番しっくりくる。今でも「セントルイス交響楽団のボス」の印象のまま。そんなわけだから、芸術の香りが漂うフランス・リヨンの音楽監督というのがピンと来ないのだ。(リヨンといえば美食の街。一方でスラトキンのアメリカはコカ・コーラとハンバーガーの国だからね(笑))
私がスラトキンの公演に初めて行ったのは1984年10月。N響定期演奏会の客演だった。チケットを買った時点で指揮者の名前は知らなかった。お目当てはコンチェルトに登場した当時まだ十代の天才少女、五嶋みどり嬢。指揮者が誰だろうとどうでも良かったのだ。
確かその直後だったと記憶する。
スラトキンの名前があたかも事件のように一躍知れ渡った。全米オーケストラ・ランキングにおいて、BIG5と呼ばれて不動の地位にあった名門オケに割り込むかのように、当時まったくのノーマークだったセントルイス響が堂々第2位に躍り出たのだ。そしてこのオーケストラを指揮していたのが、同じく世界的にノーマークだったスラトキン。
クラシック音楽界に衝撃が走った。
「セントルイス? スラトキン? いったいどういうことなんだ!?」
こうしてスラトキンは瞬く間に指揮者界の寵児としてもてはやされたのである。
2年後、そのセントルイス響が来日公演を果たした。もちろん「全米第2位!」というキャッチフレーズと共に。
宣伝効果は絶大だった。誰もが「直接聴いて、その実力を確かめたい」と思ったことだろう。私もその一人。会場は盛況だった。もし全米2位のニュースが流れなかったら、ひょっとしてコンサート会場は閑古鳥が鳴いたのではあるまいか。
今になってあの時の現象を振り返ると、一抹の胡散臭さを感じずにはいられない。
あれはひょっとしてクラシック業界を影で牛耳っていた敏腕仕掛け人の巧みな情報操作ではないか。(アレだよほら、カラヤンらと手を組んで一大勢力にのし上がった某Cマネージメント社。その参謀で現MET支配人の‘あの人’だよ。)
いやもちろん真相は知らんけどな。単なる推測。
いきなりのメジャー扱いに戸惑ったかどうかは知らないが、当の本人は一時の人気に奢ることなく、地道に着実にキャリアを築いていった。華やかなアメリカンドリームに乗せられることはなかった。
ひょっとすると、バーンスタインの後継者としては、少々スター性やカリスマ性に欠けていたのかもしれない。
だが私は、それはそれで良かったのでは、と思う。
スラトキンという指揮者は、きっとオーケストラ・ビルダーなのだ。自分が目立つ必要はない。彼の卓越した指導によって、オーケストラの水準が上がる。そうした任務をしっかり果たすことが出来る堅実な指揮者なのである。職人気質なのだ。センセーショナルな名声や浮ついた人気は不要。
もっとも本人が自分の立ち位置をどう思っているかは知らないけどね(笑)