クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/10/9 名古屋フィル

2021年10月9日  名古屋フィルハーモニー交響楽団   愛知県芸術劇場コンサートホール
指揮  大植英次
渡辺玲子(ヴァイオリン)
バーンスタイン  キャンディード序曲、セレナード-ヴァイオリン独奏、弦楽、ハープと打楽器のための(プラトンの「饗宴」による)
バルトーク  管弦楽のための協奏曲


埼玉県民のオイラが愛知県芸術劇場を訪れたのは、今回で2度目だ。ただし、前回はオペラだったので、舞台装置機構を持つ大ホールの方だった。今回はコンサートホール。パイプオルガンを備えた本格的なクラシック専用ホールである。残響もしっかりあって、心地良い音響だ。

さて、この日のプログラムであるが、これはなかなか興味深い。前半に大植英次の師匠バーンスタインの2作品が並んだからである。


バーンスタインの日本人弟子としては、小澤征爾佐渡裕が有名だが、この大植英次もその一人。
1990年、バーンスタインが亡くなる直前、最後となった来日公演(ロンドン交響楽団)ツアーに、大植さんは同行している。
当時、無名。
で、お客さんはもちろん全員がバーンスタイン目当て。
ところが当のバーンスタインは、才能ある(?)日本人指揮者を急遽抜擢し、なんと自分が振るコンサートの一曲、自作のウェストサイドストーリー「シンフォニックダンス」の指揮を、それこそ勝手に(!)大植氏に委ねてしまったのだ。

バーンスタインからしてみれば、「良かれ」の思いからであろう。日本公演なのである。新人の日本人指揮者がそこに登場し、見事に成功すれば、きっとセンセーションになるはず。
いかにもシンデレラストーリーが好きそうなアメリカ人の発想だ。アメリカン・ドリームってやつ。

ところが、これが完全に裏目に出た。逆の意味でセンセーションに発展してしまった。日本のクラシックコンサート史上に汚点を残す事件の一つになったと言っていいだろう。
会場に到着してからそのことを知ったお客さんが「ふざけんなよ」と憤慨し、終演後、主催者に詰めかけ、抗議を行ったことが、マスコミを騒がすニュースになってしまったのである。

そりゃあそうだよなあ。
だって、バーンスタインを目当てにめちゃくちゃ高いチケット代払ってるわけだし、バーンスタインの自作自演を聴く貴重な機会を奪われたわけだから。私自身もびっくりしたし、当然頭にきた。

そんな曰く付きエピソードが備わった大植英次バーンスタイン作品演奏。
私が彼の指揮でバーンスタイン作品を聴くのは、なんとその1990年のロンドン響以来、30年ぶりなのである。いやー、感慨深いね。


エピソードといえば、この日の2曲目、セレナードもまた然り。
ていうか、エピソードというより、これはもうほとんど伝説に近い。
御存知、五嶋みどりが14歳の時、天才少女としてアメリカで頭角を表し、バーンスタイン指揮によってソロを務めたコンサートで、演奏中、弦が2度も切れるというアクシデントに平然と対処し、最後まで演奏し切ったという武勇伝。いわゆる「タングルウッドの奇跡」。この時彼女が演奏した作品が、このセレナードなのであった。

改めてこの作品を聴いてみると、すっげー難曲。弦が切れちゃうのも分かるわなあ、って感じ。変拍子の嵐だし、とてもじゃないがそこらの14歳の少女が弾きこなせる代物ではない。
まあだからこそ、天才と称され、伝説になっちゃうわけだよな。

この日の渡辺さんの演奏は、さすがの貫禄。
そういえばこの渡辺さんも十代でセンセーショナルにデビューし、天才少女ともてはやされた技巧派だったのだ。


バルトークも含めて、もう一度大植さんのタクトの話に戻ろう。
なんだか円熟の業を感じる。昔は腕がブチ切れるのではないかと思うくらいブンブン振ってオーケストラを引っ張っていたが、今は程良い加減で巧みにコントロールしているのが目に付く。

ただし、オケコンに関して言えば、もっと鋭く尖ったギラギラの演奏であってほしい。もちろん個人的な趣味、感想なわけだが。
名古屋フィルの演奏水準は高く、ハイスペックだったので、あの角の取れたまとまり具合は、大植さんが構築した音楽作りの賜物で間違いなかろう。

まあ、それも含めて、上に書いたとおり「円熟」ということなのかもしれないが。